第24話 ベルサイユ農業アカデミー開校
ベルサイユ宮殿の謁見の間は、かつてないほどの異様な熱気と喧騒に包まれていた。
「王妃様! 我が家のドラ息子を、どうか……どうかあの『ブートキャンプ』に入れてやってください!」
「うちの夫もです! 毎晩カジノに明け暮れて一向に働かない穀潰しを、王妃様のしごきで立派なジャガイモの精霊にしてやってくださいまし!」
私の目の前には、フランス全土から駆けつけた大貴族の夫人たちが、必死の形相で「入学願書」なるものをこれ見よがしに突き出していた。彼女たちの目は血走り、中には私のドレスの裾に縋りついて号泣する者までいる。
(……え、何この状況? 私はただ、昨夜の賭けで負けた生意気な貴族たちに罰ゲームとして土を掘らせて、ついでに私のダイエットと労働力確保を両立させていただけなのに!)
どうやら、ポリニャック夫人たちが泥まみれになりながらも、謎の達成感に満ちたツヤツヤの顔で宮殿に戻ってきた姿が、「奔放な貴族を物理的に叩き直す魔法の教育法」として、悩める家族たちの間で爆発的なバズを起こしてしまったらしい。
「王妃様、これは大変な商機……いえ、救国の一歩でございます。入学金として多額の寄付を申し出ている家がこれほど……」
側近のランバル夫人が、見たこともないような分厚い札束(寄付金リスト)を胸に抱えて、感動のあまり小刻みに震えている。
(……これだわ! 税金を上げるから民衆が怒ってフランス革命が起きるのよ。なら、有り余る富を持て余して悩める親御さんたちから、『特別な教育費』として自発的にお金を絞り上げればいいじゃない! これぞ現代日本のプレミアム・パーソナルジム方式!)
私の脳内で見事な黒字のそろばんが弾かれた。
私は咳払いを一つして、威厳たっぷりに扇子を広げた。
「よろしい。皆様の切実なる願い、このマリー・アントワネットが確かに受け止めましたわ。本日をもって、ベルサイユ第一菜園は『王立農業更生アカデミー』として生まれ変わります! ただし、入学条件はただ一つ。私のおからクッキーを水なしで一気食いできる根性と……高級馬車一台分に相当する『施設拡充のための寄付金』よ!」
夫人たちは「おおおっ!」と歓喜の声を上げ、競うように寄付金の小切手にサインを始めた。
数日後──。
かつて貴族たちが日傘を差して優雅に散策していた庭園には、インディゴブルーのサロペットに身を包み、銀のホイッスルを首から下げた私の姿があった。
「ピィィィィッ!! 動作が遅いわよ! 背筋を伸ばして! クワの角度は常に四十五度! 昨夜飲んだ高級ワインの糖質を、すべて今ここで筋肉と大地のエネルギーに変換しなさい!」
「「「イエス、マイ・マム!!」」」
私の号令に応えて、泥だらけの若き貴族たちが「一、二! 芋、掘る!」と野太い声を上げながら、一糸乱れぬ動きで畑を耕していく。
彼らはつい数日前まで、顔に白粉を塗りたくり、香水を振りまいて夜会で女性の尻ばかり追いかけていた軟弱な青年たちだ。しかし今や、私から与えられる「おからスコーン」と「ジャガイモの塩茹で」という極限までストイックな食事管理、そして適度な肉体労働により、見る間に健康的な肉体へと変貌を遂げていた。
「……ふんっ! 見てください王妃様、私のこの上腕二頭筋を! 以前はトランプのカードを持つのすら重かったというのに、今では特大のジャガイモを一気に十個引き抜けます!」
「素晴らしいわ、シャルル! その筋肉こそがフランスの宝よ! さあ、次は肥料の運搬三十往復よ!」
余分な贅肉が削ぎ落とされ、太陽の光を浴びて顔色が良くなり、何より「食べ物が育つことの有り難み」を文字通り骨の髄まで叩き込まれた彼らは、もはやパリで暴動の火種を作るような危険分子ではない。大地と筋肉を愛する、従順な「農業戦士」へと完全に覚醒していた。
「……信じられない。あんなに反抗的で遊び呆けていた息子が、週末に帰宅するなり『お母様、我が家の庭の土壌のpH値は少々酸性に傾いております。消石灰を撒くべきです』と語り出すなんて……」
見学に来た母親たちは、逞しく日焼けした息子たちの姿にハンカチを噛み締め、歓喜の涙を流している。
そして、この光景を遠巻きに見ていたパリの民衆からも、全く新しい声が上がり始めていた。
「おい見ろよ、王妃様が、働かない金持ちのボンボンどもをムチ打って教育し、俺たち市民のための農地を自ら広げてくれているぞ!」
「あのお方こそ、貴族の腐敗を正す真の『労働の母』だ! マリー様万歳!」
(……よしっ! 大僥倖よ! 『赤字夫人』の汚名どころか、今や私は特権階級の富を再分配し、青少年の健全な育成まで手掛ける『黒字・教育・マザー』よ! これでギロチンの刃は、完全に錆びついて粉々になったも同然だわ!)
私は青空に向かって、特大のガッツポーズを決めた。
だが、このあまりにも順調すぎるサバイバル生活の中で、たった一人だけ、少し寂しそうにしている人物がいた。夫であるルイ十六世である。
「アントワネット。君が教育や農業に熱心なのは国のトップとして大変素晴らしいことだけれど……」
夜の執務室で、ルイは机の上に広げられた複雑な歯車の設計図を見つめながら、少し拗たような表情で呟いた。
「最近、僕の趣味の錠前を作る時間が、あのアカデミーの生徒たちの使う『新型・水圧式自動散水機』の図面を引く時間にすべて奪われているんだ。彼らときたら、休憩時間のたびに僕の工房に押し寄せてきて、『陛下、このバルブの耐圧性が……』とか『散水角度の最適なパラメーターは……』と、専門的な質問ばかりしてくるんだよ」
そう言いながらも、ルイの瞳の奥は「自分の技術を頼りにしてくれる若者たち」に対する、隠しきれない理系教師としての喜びに満ち溢れていた。
「あら、いいじゃないですか、陛下! それも立派な、国の未来という名の『扉』を開けるための鍵を作る作業ですわ!」
「……まあ、それもそうだね。彼らの情熱に応えるためにも、明日はノズルの噴射機構を根本から見直してみよう。ベルヌーイの定理を応用すれば、飛距離はあと三メートルは伸びるはずだ!」
ルイは途端に目を輝かせ、徹夜のテンションで再び羽ペンを走らせ始めた。
どうやら、フランス国王すらも「農業アカデミーの熱血技術顧問」として、完全にこの渦の中に巻き込まれてしまったようだ。
マリー・アントワネット、18歳。
彼女の保身と食欲から始まった気まぐれな罰ゲームは、いつの間にかフランスの階級社会の歪みを筋肉と土の力で矯正し、王室を黒字化させる最強の教育機関へと大進化を遂げていた。




