第23話 ベルサイユ・ブートキャンプ
朝日が眩く昇る、ベルサイユ第一ジャガイモ菜園。
小鳥たちがさえずる清々《すがすが》しい朝の空気を切り裂くように、甲高い悲鳴と怨嗟の声が響き渡っていた。
「ひっ、……ふ、ふざけないで! 私は誇り高きポリニャック家の女主人ですよ!? なぜ夜明け前から叩き起こされて、こんな泥のついた棒を握らされなきゃいけないの!」
そこに立っていたのは、昨夜の宮廷カジノで「負け」を喫した大貴族たちである。
彼らは、私がローズ・ベルタンに特注して作らせた機能性抜群のインディゴブルーのサロペットに無理やり身を包まされ、絶望と怒りが入り交じった表情で立ち尽くしていた。
特に、昨夜の「激辛わさび団子」の殺人的な刺激でまだ鼻の頭を真っ赤に腫らしているポリニャック夫人は、ついに我慢の限界を迎えたらしい。手渡された重い鉄のクワを、地面に向けてガシャン! と乱暴に投げ捨てた。
「罰ゲームの契約とはいえ、こんな卑しい平民の真似事、貴族の矜持が許しませんわ! いくら王妃様のご命令でも、これ以上は我が家の名誉に関わります! 私は帰らせていただきます!」
彼女の反逆を皮切りに、他の貴族たちも「そうですわ! 特権階級への侮辱だ!」「手が荒れてしまう!」と同調し、クワを放り出してストライキの構えを見せ始めた。
(……来たわね、特権階級特有の面倒くさいプライド! ここで権力に物を言わせて無理やりムチで叩き直しても、面従腹背になるだけ。彼らの最大の弱点……『見栄と世間体』をピンポイントで突くわ!)
「……そう。名誉に関わるのね」
私はあえて悲しそうな顔を作り、わざとらしく、周囲に響くほどの大きなため息をついてみせた。
「仕方ないわ。じゃあ、ランバル。今日のパリの新聞社に、特大の号外を出すよう手配してちょうだい。見出しはこうよ。『ポリニャック家をはじめとする大貴族の方々、王妃との神聖なる賭けに負けた挙句、借金を踏み倒して逃亡。王家との約束すら守れない、貧困と不名誉の極み』……ってね」
「なっ……!?」
ポリニャック夫人の顔から、一瞬で血の気が引いた。
「お、お待ちになって! そんな破廉恥な噂が流れたら、私たち、パリの社交界で生きていけませんわ!」
「あら、でも約束の労働は『名誉に関わる』のでしょう? 賭けに負けたのに労働で支払わないなら、それはただの債務不履行。正真正銘の借金踏み倒しよ。……あ、それにちょうどいいところに『観客』もいるみたいだし」
私が扇子で指差した先――菜園の門の外には、朝の農作業や市場へ向かうパリの民衆たちが、足を止めてこちらの様子をニヤニヤと見守っていた。
「おい、見ろよ。あの高慢ちきな貴族ども、王妃様との賭けに負けたのに逃げる気らしいぜ」
「なんだ、口ばっかりで約束も守れねえのか。だっせぇなぁ! スカンピンの嘘つきめ!」
民衆からの、容赦ない野次と失笑。
「平民からの物理的な嘲笑」と「社交界での致命的な不名誉」。この絶対に避けたい二つの地獄の板挟みになり、ポリニャック夫人たちはワナワナと全身を震わせた。
「……くっ、や、やります! やればいいのでしょう!? 私たちが約束を違えるなど、天地がひっくり返ってもあり得ませんわ!」
夫人は涙目でクワを拾い上げ、憎々しげに、しかし猛烈な勢いで土を叩き始めた。他の貴族たちも、恥辱に顔を真っ赤にしながら、「くそっ、この泥め!」「私のサロペットが汚れる!」と文句を言いながらも、しぶしぶ泥作業に取り掛かる。
(よし、ヘイト管理と無料の労働力の確保はバッチリね。でも……)
クワを振り下ろす彼女たちの目には、明らかな「屈辱」と「不満」の火種がくすぶっているのが見えた。
(今は私の権力と見栄の板挟みで従っているけれど……彼らの根底にある『特権階級としての傲慢さ』までは、そう簡単には変わらないわね。これは、いつか爆発しないように気を引き締めてかからないと……)
一時間の過酷な労働が終わる頃には、彼女たちの白魚のような手には豆ができ、息も絶え絶えになって、サロペットは泥だらけになっていた。
私はすかさず、地下の氷室でキンキンに冷やしておいた『おからと芋の低糖質スムージー』を銀のトレイに乗せて差し出した。
「ほら、約束の労働を終えたご褒美よ。一気にお飲みなさい」
「こ、こんな豆のカスをすり潰した泥水……誰が……(ゴクッ)……ひ、ひんやりして、渇ききった喉に染み渡りますわ……ッ! 悔しいけれど、甘くて、美味しい……!」
疲労困憊の体に染み渡る冷たい糖分とタンパク質。プライドと生理的欲求の狭間で激しく葛藤しながらも、ズズズッ!と音を立ててスムージーを飲み干す貴族たち。
その時、一人の若い近衛兵が、震える声で私に駆け寄って報告に来た。
「王、王妃様……! パリの街で、奇妙な噂が流れております。『ベルサイユには、罪を犯した貴族を強制的に更生させる、最強の尼将軍がいる』と……」
「……あま、しょうぐん?」
「はい。その尼将軍に睨まれると、激辛の毒団子を飲まされ、一日中泥の中で土を掘らされるが、なぜか終わる頃には肌がツヤツヤになり、心も浄化されて別人のようになる……という、聖母伝説と地獄の特訓が混ざったような恐ろしい噂です」
(……何よそのマッスル・ブートキャンプ! 私はただ、自分の首を守るために、彼らの見栄を利用してカロリーを消費させてるだけなのに!)
すると、後ろからひょっこりと夫であるルイ16世が顔を出した。
彼は、ポリニャック夫人たちが怒りに任せて力強く耕した畑の土を、指先でつまんで熱心に観察している。
「アントワネット、見てごらん。彼らが不満げに力任せに耕した後の土も、均一に空気が含まれていて素晴らしい空気の層ができている。この『見栄を利用した強制労働システム』、国家の公共事業として法制化できないかな? 例えば、橋の建設や道路の舗装に貴族のプライドを応用すれば……」
「陛下、それはさすがに本物の暴動が起きますわ……。ほどほどにしておきましょう」
私は、慣れない筋肉痛で小鹿のように脚を震わせながらも、私を恨めしそうに睨みつけてくるポリニャック夫人の背中を見ながら、そっと自分の細い首を撫でた。
貴族を働かせ、民衆を笑わせる。
一見うまくいっているように見えるこのサバイバル生活も、一歩間違えれば、彼らのプライドという名の爆弾を暴発させかねない危険な綱渡りだ。
マリー・アントワネット、18歳。
ついに「ベルサイユの女王」から、フランス全土を震撼させる「最強の鬼教官」へとクラスチェンジを果たしつつあったが……その足元には、確かな不穏の種が蒔かれていた。




