第22話 ベルサイユ・カジノと運命のポテト
夜の帳が下りたベルサイユ宮殿。昼間の泥にまみれた健康的な菜園の空気とは打って変わり、夜の王室サロンには、頽廃的で甘い誘惑の悪魔が手招きをしていた。
「王妃様、今夜こそ『トランプゲーム』の雪辱を果たしましょう。さあ、こちらへ!」
扇子で口元を隠し、目をギラギラとさせたギャンブル狂いの貴族たちが、私を豪奢なカードテーブルへと誘い込む。
テーブルの上に山と積まれているのは、眩いばかりの金貨。そして、その脇に恭しく控え、私の理性を粉砕しにかかってくるのは……最高級のシャンパンと、脂の乗ったフォアグラのカナッペ、輝くキャビアのタルトレットだった。
(……来たわね。史実の私が数百万リーブルという国家予算を溶かし、民衆からガチの『赤字夫人』と指差される最大の原因となった、禁断の徹夜カード遊び! いわゆる宮廷カジノ!)
深夜のドカ食いと、破滅的な賭け事。現代日本の女子大生としても、フランス王妃としても、絶対に手を出してはいけない「死へのダブルパンチ」である。負ければ国庫が死に、食べればドレスのボタンが物理的に弾け飛ぶ。
「……いいわ。お相手しましょう。ただし、今夜は少しルールを変えさせていただくわ。ただ金貨を賭けるだなんて、これからの時代にはもう古くてよ」
「……え? 金貨でなければ、一体何を賭けるとおっしゃるのです?」
貴族たちがキョトンと首を傾げた。
「これよ!」
私はバサァッ! と、ドレスの深いポケットから大量の『紙切れ』を取り出し、カードテーブルの上に豪快にぶちまけた。
そこには、私が夜な夜な手書きし、王室の立派な蜜蝋のハンコを押した、謎の数字が記されている。
「これは『芋振興債』──この紙切れ一枚につき、我がベルサイユ第一菜園で秋に収穫される、最高品質のジャガイモ一キロと交換できる絶対的な権利書よ!」
「は……? い、芋……?」
「金貨の代わりに、泥臭い芋の権利書を奪い合うと……?」
サロンの空気が凍りついた。貴族たちは、私がついに過労で発狂したのだという目をして後ずさる。
「あら、勘違いしないでちょうだい。ただ勝って芋をもらうだけじゃないわ。……今夜の『負け役』には、特別な代償を払ってもらうわよ。……ランバル、持ってきて!」
銀の蓋が開けられ、広間に登場したのは、黄金色に揚げられた一口サイズの丸いポテト……のように見えるが、少し緑色がかっている不気味な代物だった。
「これは、東洋の植物学者から取り寄せた強烈な香辛料を、ジャガイモのデンプンで練り上げた『激辛・わさび風ジャガイモ団子』よ! 負けた人はこの『罰ゲーム団子』を完食し、さらに明日の朝五時から、私の畑で三時間、みっちり土寄せと肥料撒きを手伝ってもらうわ!」
「……ば、罰ゲーム!? 労働!? 王妃様、一体何を狂ったことを! 我々誇り高き貴族が、そのような下品な……」
「あら、怖いのかしら? 普段から『命を懸けて国を守る』と豪語している貴族の殿方やご婦人方が、たかが辛いお団子と朝の運動から逃げ出すなんて。……まあ、無理もないわね。金貨を失うより、プライドと味覚を失う方が恐ろしいですものね」
私がワザとらしくため息をつき、扇子で顔を仰ぐと、元々スリルに飢え切っていたギャンブル依存症の貴族たちのプライドに、見事に火がついた。
「お、面白い! その挑発、乗りましたぞ! 負けた奴が泥まみれになる姿を見るのも、また一興!」
数時間後──。
夜のベルサイユ宮殿のサロンには、上品なクラシック音楽や金貨が触れ合う音の代わりに、「ぎゃああああっ! 辛い! 鼻が、鼻がもげるぅぅ!!」という、貴族たちの阿鼻叫喚の絶叫が響き渡っていた。
「はい、ポリニャック伯爵、あなたの負け! さあ、遠慮せずに男らしくそのわさび団子を一口でいってちょうだい! 明日の朝五時に菜園集合ね。特注のサロペット、貸してあげるから!」
「そ、そんな……私が、土を……ヒィィッ! 辛っ! 痛い! 脳を直接殴られたような……(モグモグ)……あ、あれ?」
涙と鼻水を垂らしながら悶絶していたポリニャック伯爵の動きが、ふいに止まった。
「……辛い、確かに殺人的に辛いのだが……なんだろう、この鼻を抜ける爽快感は。そして、辛さの奥から湧き上がってくるジャガイモの甘みと、全身を駆け巡るこの熱い高揚感……! クセになる! なんだか、もう一つ食べたい気が……」
そう。現代のバラエティ番組でおなじみの「罰ゲーム」の刺激、そして辛味成分による脳内エンドルフィンの大放出は、退屈で刺激のない宮廷生活を送る彼らにとって、合法的な最強のエンターテインメントへと昇華してしまったのだ。
「王妃様! もう一回です! 私もその刺激を味わいたい! 次こそ勝って、その『ジャガイモ権利書』を百枚手に入れ、負けたあいつを畑でこき使ってみせる!」
(……勝った。完全勝利よ!! これで一晩で数百万リーブル溶けるはずだった賭け金(国費)は一銭も減らないし、明日の人手(無料の労働力)は大量に確保できた。おまけに、みんな辛さで喉が渇いて大量の白湯を飲むから、お腹が膨れて高カロリーなフォアグラを食べる余裕もないわ!)
私は、お肌に良い温かい白湯をゆっくりとすすりながら、目を血走らせて「芋振興債」と「激辛団子」を奪い合う貴族たちを、冷ややかに、そして大満足で見つめた。
そこに、騒ぎを聞きつけた夫、ルイ十六世がひょっこりと顔を出した。
「アントワネット、すごい熱気だね。僕も参加……いや、僕はいいよ。それより、彼らが食べているその『激辛団子』の化学的な調合比率に猛烈な興味があるんだ。この強烈な刺激成分、もしかして新しい真鍮の防錆剤や、金属を溶かす酸の代用に……応用できないかな?」
旦那様、さすがに食品の辛味成分で鉄のサビを落とすのは無理だと思うわ。あなたは相変わらず、視点がブレなくて最高ね。
マリー・アントワネット、18歳。
歴史的なギャンブル狂いの汚名と国家破綻の危機を、「健全なレクリエーションと強制労働」に見事変換し、ベルサイユの夜に空前の『農業ゲーセン』を誕生させたのである。




