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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第153話 パリの心臓を掘り起こせ

 パリの地下深く。

 迷路のように入り組んだその暗黒の地下空間こそが、私たちが挑むべき「フランス最大の土木プロジェクト」の最前線であった。


「……クソッ! なんて脆い地盤だ! イギリスの固い岩盤とは訳が違う。少し掘り進めるだけで、周囲の土が崩れてきやがる!」


 薄暗い松明の明かりに照らされた地下坑道で、イギリスから半ば拉致同然にスカウトされた土木王、ジョン・スミートンが苛立いらだたしげに声を荒らげた。


 彼のブーツは泥に深く沈み込み灰色に汚れている。


「おまけに、どこを掘っても地下水が滲み出してきやがる! 王妃殿下、このパリの地下というのは巨大なスポンジのようなものですぞ! こんな場所に、数十キロにも及ぶ巨大な下水道のトンネルを築くなど……セメントを流し込む前に、作業員ごと泥の海に沈んでしまいます!」


 スミートンの悲痛な叫びに、周囲でツルハシを振るっていた労働者たちの手も止まり、不安げな視線が私に向けられた。


「弱音を吐かないで、スミートン先生」


 私はインディゴブルーの作業用サロペットに身を包み、防塵用のマスクを首から下げて、泥濘ぬかるみを力強く踏みしめた。


「これがただの泥遊びなら、とっくに諦めているわ。でも、私たちの頭上には七十万人のパリ市民が住んでいるの。この泥のスポンジから汚水を抜き取り、清潔なトンネルで覆わなければ、来年の夏もまた恐ろしい熱病が子供たちの命を奪うわ。……私たちは今、病魔に冒されたパリの『心臓』を直接手術しているのよ。後戻りなんて絶対に許されないわ」


「王妃様の仰る通りです、スミートン殿」


 私の背後から、懐中時計を片手にしたナポレオンが冷徹な声で告げた。彼は泥だらけの地下にあっても、軍服のボタン一つ乱さず、冷ややかな視線で坑道を見渡している。


「あなたの不安は『水』と『崩落』でしょう。……ですが、そのリスクはすでに計算済みです。第4区画の土砂搬出ルートを二系統に分け、万が一の崩落時には予備坑道へ作業員を逃すルートを構築しています。……立ち止まる暇はありませんよ。遅延は即、一日の人件費と資材費の致命的な損失に繋がります」


「貴様ら……机上の空論で現場を語るな! 水の恐怖を知らんからそんな事が言えるのだ!」


 スミートンが激昂して反論しようとした、まさにその時だった。


 ――ゴゴゴゴゴォォォォォッ……!!


 突然、地下空間全体を揺るがすような、不気味な地鳴りが響き渡った。


「な、なんだ!?」

「地震か!?」


 労働者たちがパニックに陥り、ツルハシを放り出して立ちすくむ。


 次の瞬間、坑道の奥――現在最も深く掘り進めていた『第4区画』の方向から、作業員たちの絶叫がとどろいた。


「うわぁぁぁぁっ!! 水だ!! 水脈にぶち当たったぞ!!」


「壁が……壁が崩れる!! 逃げろォォッ!!」


 ドバァァァァァァッ!!!


 暗闇の奥から、鉄砲水のような勢いで泥水が押し寄せてきた。

 パリの地下に何百年も溜まっていた地下水脈の薄い壁を、ツルハシが突き破ってしまったのだ。凄まじい水圧で泥が噴出し、作業用に組まれていた太いオーク材の支柱が、まるでマッチ棒のようにミシミシと嫌な音を立ててひしゃげ始めた。


「いかん!! このままでは坑道全体が水没するぞ!!」

 スミートンが顔面を蒼白にして叫んだ。


「全作業員、直ちに退避!! ナポレオン、予備坑道への誘導を急いで!!」


 私がメガホンで叫ぶが、泥水は容赦なく水位を上げ、労働者たちの腰の高さまで到達しようとしていた。逃げ惑う人々の中で、足を滑らせて泥水に飲み込まれそうになる者もいる。


「助けてくれ!! 足が挟まって抜けねえ!!」


 悲鳴を上げたのは、かつて悪徳賭場で私に助けられた労働者のジャンだった。彼は崩れかけた土砂の下敷きになり、木のはりに足を挟まれて身動きが取れなくなっていた。


 そして最悪なことに、彼の上部にある数トン規模の岩盤が、土砂の流出によって支えを失い、今にも彼の頭上に崩れ落ちようとグラグラと揺れていたのだ。


「ジャン!!」


 私が駆け寄ろうとした瞬間。


「――退けェェェェェェッ!!!」


 嵐のような怒号とともに、一人の男が泥水の奔流ほんりゅうを掻き分けて飛び出してきた。


「ル、ルイ!?」


 そこにいたのは、泥と機械油にまみれた作業着姿のフランス国王、ルイ16世だった。


 彼は迷うことなく泥水の中に飛び込むと、ジャンの足を挟んでいる巨大な梁の下に、持っていた極太の『鋼鉄製パイプ』をテコのように差し込んだ。


「うおおおおおおおっ!!!」


 ルイの太い腕の血管が、はち切れんばかりに隆起する。

 極限まで鍛え上げられた大腿四頭筋と広背筋が、泥の中で凄まじい爆発力を発揮し、何百キロという木の梁を「ミシミシッ」と持ち上げたのだ。


「今だ、ジャン! 足を抜け!!」


「へ、陛下……っ!!」


 ジャンは涙と泥で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に足を引き抜いた。


 だが、安堵したのも束の間だった。

 梁が動いたことで、ついに天井の岩盤がバランスを崩し、凄まじい轟音とともに彼らの頭上へ落下してきたのだ。


「ルイ!! 逃げて!!!」


 私が絶叫する。

 しかし、ルイは逃げなかった。逃げれば動けないジャンが確実に潰される。


 ルイは、自らが持ち上げていた鋼鉄のパイプを垂直に立て、自らの肩と背中を巨大な岩盤の下へと滑り込ませた。


 ――ドガァァァァァンッ!!!


「……ぐ、ぅおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」


 数トンの岩盤の重圧が、ルイの肉体と鋼鉄のパイプにダイレクトにのしかかる。

 パイプが悲鳴を上げてしなり、ルイの膝が泥の中に深く沈み込んだ。彼の作業着が破れ、肩から鮮血が滲み出し、泥水と混ざって流れていく。


「へ、陛下!! なぜ……! なぜ俺たちみたいな薄汚いゴミのために、命を……!」


 ジャンが、圧倒的な質量を自らの肉体で支え続ける国王の姿に、恐怖と感動で顔を歪めて叫んだ。


 その言葉に、ルイは血の滲むような、しかしどこまでも力強く、熱を帯びた声で吠え返した。


「……馬鹿を言うな!! 君たちは、ゴミなんかじゃない!!」


 ルイの咆哮が、水の音を切り裂いて地下空間に響き渡った。


「君たちは、このフランスという国を根底から支える『基礎』だ!! 基礎が崩れれば、上に乗っている王室ごと国は倒れる! だから……一番上の『王』が、一番下で君たちの重みを支えるのは、建築学的に当然の構造だろうがァァァッ!!」


 ――ッ!!


 その場にいた全員の心臓が、激しく跳ね上がった。


 王権神授説という虚飾を捨て去り。

 ただ一人のエンジニアとして、一人の男として、民衆のために自らの体を絶対的な『大黒柱』としたフランス国王の姿。


「へ……陛下ぁぁぁぁぁっ!!!」


 ジャンの目から大粒の涙が溢れ出した。

 それまで恐怖で逃げ惑っていた他の労働者たちの目にも、強烈な炎が宿った。


「逃げるな野郎ども!! 陛下を、俺たちの王様を死なせるな!!」


「木材を持て! ジャッキを噛ませろ!! 陛下と一緒に岩を支えるんだ!!」


 怒号とともに、数十人の男たちが一斉に泥水の中へ飛び込んだ。


 彼らは恐怖を忘れ、ルイの隣に肩を並べ、泥まみれになりながら丸太をねじ込み、全員の筋力で巨大な岩盤を支え始めたのだ。


「スミートン先生! 崩落を止める手立ては!?」


 私が叫ぶと、スミートンもまた、王の異常なまでの自己犠牲に心を打たれ、技術者としての魂を極限まで燃え上がらせていた。


「水脈の圧力を逃がすしかない! おい、そこの壁の横をツルハシでぶち抜け! バイパスを作って水流を予備坑道へ逃がせば、土圧は下がる!!」


「アーサー! 水路の確保をお願い!!」


「イエス、ボス!!」


 アーサーが爆薬とツルハシを持ち、労働者たちと連携して瞬く間に壁にバイパスの穴を開けた。


 ゴバァァァァッ!!


 噴出していた泥水が、新しい穴を通って予備坑道へと一気に流れ込み、第4区画の水位が劇的に下がり始めた。土圧が抜け、岩盤の重みがふっと軽くなる。


「今だ!! 支柱を固定しろ!!」


 ガンッ! ガンッ! と労働者たちが丸太を打ち込み、ついに数トンの岩盤は固定され、崩落の危機は去った。


「……ハァッ……ハァッ……」


 パイプから手を離したルイが、泥の中に力なく座り込んだ。


 全身が泥と血にまみれ、呼吸は荒く、指先は極度の緊張と疲労で小刻みに震えている。


「ルイ!!」


 私は泥水を蹴立てて走り寄り、彼に強く抱きついた。


「無茶よ……! 死ぬところだったじゃないの……っ!」


「はは……ごめんよ、アントワネット。でも、強度の計算は完璧だったはずさ……。それに、僕は絶対に彼らを見捨てないと決めていたからね」


 ルイが泥だらけの顔で、不器用に微笑んだ。


 その時。


「…………王様」


 助けられたジャンが、ルイの前に膝をついた。

 そして、それに呼応するように、他の労働者たちも、次々と泥水の中に膝をつき、深く頭を下げたのだ。


「俺たちは……今まで、王室ってのはふんぞり返って税金をふんだくるだけの、冷血な金持ちだと思ってました。……でも、違った。あんたは、俺たちのために血を流してくれた。……俺たちの本当の『大黒柱』だ」


 ジャンが、声を震わせて宣言する。


「一生ついていきますぜ、陛下。このパリの地下に、世界一頑丈で、世界一綺麗な水路を……俺たちが死に物狂いで造り上げてみせます!!」


「「「国王陛下、万歳!! 王妃様、万歳!!」」」


 暗く冷たい地下の迷宮に、地鳴りのような、熱く強固な「連帯」の歓声が響き渡った。


 それは、権力や金で縛り付けたものではない。

 一人の不器用なオタク王が、自らの肉体と命を懸けて民衆の心に打ち込んだ、決して折れることのない「絶対的な信頼のくさび」であった。


 その光景を、少し離れた安全な場所から見つめていたナポレオンが、静かに懐中時計の蓋を閉じた。


「……計算外ですね。人間という不合理な生き物は、死の恐怖に直面してなお、このような非論理的な結束を生み出すことができるのか」


 彼の冷徹な瞳の奥に、かつてないほどの深い畏敬いけいの色が宿っていた。


「軍隊の規律を遥かに超える、血よりも濃い忠誠心。……ルイ陛下は、無意識のうちに『世界最強の軍隊』を作り上げてしまった。これほどの求心力を持つ王を、他国が力でねじ伏せることなど、もはや不可能でしょう」


 マリー・アントワネット、26歳。

 彼女の始めた都市大改造は、単なるインフラ整備の枠を超え、パリの地下という見えない泥の中で、フランス国民と王室を「完全なる一つの家族」へと鍛え上げる、究極のるつぼと化していた。


 水脈の壁はまだ続く。

 しかし、この無敵の労働者たちと、オタク王の背中があれば、どんな硬い岩盤も必ず打ち砕ける。そう確信した熱い地下の夜であった。

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