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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第145話 ベルサイユの密室

 チュイルリー宮殿の朝は、いつものように活気と幸福に満ち溢れていた。


 庭園の木々から爽やかな朝の日差しが、私室の大きな窓ガラスを通して柔らかく差し込んでいる。


 私は、淹れたてのコーヒーと、クロワッサンを楽しんでいた。


「……というわけで、アントワネット! このシリンダーの直径をあと三ミリ広げれば、新型馬車の出力がさらに二割も向上するんだよ! つまり物資の輸送時間が劇的に短縮されて——」


 食卓の向かい側では、ルイが設計図を広げ、朝からフルスロットルで熱弁を振るっている。


「はいはい、ルイ。お話は後にして、コーヒーが冷める前にパンを食べてちょうだいね。ジョゼフも、遊んでないで手を洗っていらっしゃい」


 私が微笑みながら家族に声をかける。

 世界で最も強固な経済力と武力を手に入れたフランス王室の、何よりも平和で、何よりも尊い「日常の風景」。


 未来永劫、この幸せな時間が続くのだと、私は疑っていなかった。

 それが無惨にも打ち砕かれたのは、まさにその直後だった。


 ——バンッ!!!


「王妃様!! 陛下!! 一大事でございます!!」


 私室の重厚なオーク材の扉が、凄まじい勢いで蹴り開けられた。

 部屋に飛び込んできたのは、アーサーだった。


「どうしたのアーサー! 朝からそんな血相を変えて。……まさか、イギリス軍が武力行使でも仕掛けてきたの!?」

 私は、手に持っていたクロワッサンを皿に置き、サッと立ち上がった。


 アーサーの顔は真っ青だった。

 どんな絶体絶命の窮地でも顔色一つ変えない、いつもの彼の面影は微塵もなく、その額には大粒の冷や汗が浮かび、肩で激しく息をしている。


「違います!! 今しがた、ベルサイユ宮殿から早馬の急使が到着しました! ……ベルサイユの、地下宝物庫が破られました!!」


「「「なんだってェェェェッ!?」」」


 私とルイの声が、ハモって部屋中に響き渡った。


 現在、私たち王族の主な居住地はパリ市内のチュイルリー宮殿に移っているが、かつての居城であるベルサイユ宮殿の最深部、地下数十メートルの岩盤をくり抜いて作られた『特別金庫室』には、国家の莫大な金塊や、国の命運を握る特許書類、そしてフランス王室が誇る至高の歴史的宝物の数々が厳重に保管されたままである。


 そこはまさに、フランスの心臓とも言える場所だ。


「ベルサイユが破られたって……アーサー! 宝物庫の扉の前は、精鋭の衛兵たちが、二十四時間体制で監視しているはずじゃないの!」


「はい……! 急使の報告によれば、警備の兵は一睡もしておらず、誰も扉を通していません! もちろん、扉の鍵も一切開けられた形跡はないとのことです!」


「そんな馬鹿な!!」

 ルイが、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、顔面を蒼白にして叫んだ。


「あの金庫室の扉には、僕とフランス最高の錠前ギルドの職人たちが数ヶ月かけて結集して作り上げた、極めて複雑な『多重タンブラー錠』が仕込まれているんだぞ! 鍵穴に特殊な形状のマスターキーを差し込まなければ、内部の十数個のシリンダーは絶対に回転しない! ピッキングのプロが束になっても、開錠には三日はかかる代物だ! 警備の目を掻き潜って中に入るなんて、絶対に不可能なはずだ!!」


「とにかく現場へ急ぎましょう! アーサー、馬車の用意を! ナポレオンも呼んで!」


「ハッ! 既に手配済みです!!」

 私たちは大急ぎでエントランスへと向かい、待機していた馬車へと乗り込んだ。


 * * *


 超高速馬車『マリー・エクスプレス号』がパリからベルサイユへの街道を猛烈なスピードで爆走していく。


 車内には、私とルイ、アーサー、そして知らせを聞いて駆けつけたナポレオンが同乗していた。


「……ナポレオン。どう思う?」

 私は、揺れる車内で向かいの席に座る天才少年に尋ねた。


「情報が少なすぎます。しかし、衛兵が誰も通していない以上、内部の裏切りによる合鍵の不正使用か、あるいは……我々の想像を絶する『侵入ルート』が存在したかのどちらかでしょう」

 ナポレオンは、腕を組みながら冷静に分析する。


「侵入ルートなんてないよ! あの金庫室は地下三十メートルだ! 壁も床も分厚い石造りで、外界と繋がっているのは、天井付近にある換気のための直径15センチの通気口だけだ!」


 ルイが爪を噛みながら反論する。

「15センチの穴なんて、人間はおろか犬だって通れない! 完全に閉ざされた密室なんだ!」


「ええ。だからこそ、その『密室』をどうやって破ったのかを解明しなければなりません。……敵は、我々フランスの頭脳に真っ向から喧嘩を売ってきたのです」

 ナポレオンの瞳の奥に、獲物を狙う鷹のような鋭い光が宿っていた。


 やがて、マリー・エクスプレス号はベルサイユ宮殿の正門を潜り抜けた。


 エントランスに到着すると、そこは既に怒号と悲鳴が入り混じる大パニックに陥っていた。知らせを聞いて駆けつけた保守派の老貴族たちが、衛兵の胸ぐらを掴んで喚き散らしている。


「王室の至宝が盗まれるなど前代未聞だぞ!!」


「やはり王室がパリのチュイルリーなんかに移るから、ここの警備が手薄になるのだ! 泥棒に入られるなど、フランスの恥辱である!!」


「——道を開けなさい!!」

 私が、肺の底から絞り出した、腹に響くような大音声で一喝した。


 ピタリと。

 まるでモーセの十戒のように、騒ぎ立てていた貴族たちの人だかりがサッと真っ二つに割れ、道ができた。


 彼らは、私が放つ凄まじい『王妃の覇気』に気圧され、青ざめた顔で一斉にかしずく。


「騒ぎ立てる暇があるなら、犯人の手がかりを探しなさい!」

 私が言い放つと、貴族たちは震え上がって口を閉ざした。


「アントワネット様!! ああ、アントワネット様!!」


 その静まり返った人だかりの奥から、血相を変えて小走りで駆け寄ってくる一人の貴婦人の姿があった。


「ランバル!」


 私は思わず駆け寄り、彼女の華奢な体をギュッと抱きしめた。

 私が転生した直後から、私の奇行に怯えながらも常に寄り添い、今では私が不在のベルサイユ宮殿の管理と実務を一身に背負ってくれている、最高の親友であり右腕だ。


「ご無沙汰しております、アントワネット様! お会いしとうございました……っ! なのに、こんな不祥事の折にお呼び立てしてしまうことになろうとは……私が不甲斐ないばかりに……ッ!」

 ランバル夫人は、私の腕の中でボロボロと大粒の涙をこぼした。


「泣かないで、ランバル。あなたが悪いわけじゃないわ。ベルサイユの留守を立派に守ってくれていたこと、私は誰よりも知っているし、感謝しているのよ」

 私は彼女の背中を優しく撫でて落ち着かせた。


「……それで、状況はどうなっているの? 早馬の知らせでは、誰も扉を通っていないということだったけれど」


 私の言葉に、ランバル夫人は涙を拭い、キリッと表情を引き締めた。彼女もまた、この数年でただの気弱な侍女から、逞しく成長しているのだ。


「はい。今朝、見回りの衛兵長が、宝物庫の内部から『微かな機械油の匂い』が漏れていることに気がつきました。不審に思い、急遽、私がマスターキーを取り出し、責任者権限で扉を開けて中を確認したのです」


 ランバル夫人は、ゴクリと唾を飲み込み、震える声で続けた。


「……中の展示台から『あるもの』だけが、忽然と姿を消しておりました。他の金塊や書類には一切手がつけられておりません」


 私はルイと顔を見合わせた。


「とにかく、現場を見せてちょうだい」


 * * *


 私たちは、ランバル夫人の案内で、ベルサイユ宮殿の最深部へと足を踏み入れた。


 地下深くへと続く螺旋階段を降りていくにつれ、空気はひんやりと冷たくなり、松明とガス灯の明かりだけが、重苦しい石の壁を照らし出している。


 やがて、薄暗い地下廊下の突き当たりに、問題の金庫室の扉が現れた。

 扉の前では、青ざめた顔の衛兵たちが直立不動で立っていた。彼らの顔には、己の失態に対する恐怖と、わけのわからない事態に対する混乱が入り混じっている。


 ランバル夫人の言う通り、分厚い真鍮製の扉は、強固な鍵穴の周囲に無理にこじ開けようとしたような傷は一つもついていなかった。


「ルイ」

「……ああ」


 ルイが震える手で懐からマスターキーを取り出し、鍵穴に差し込む。

 ガチャリ、ガチンッ、と。


 複雑な複数のタンブラーが噛み合う重厚な音が鳴り響き、ルイが全身の体重をかけてレバーを押し下げると、重い扉がゆっくりと内側へと開いた。


 宝物庫の内部は、窓一つない石造りの空間だ。

 天井を見上げれば、地上の庭園の茂みへと真っ直ぐ上に繋がっている換気用の『直径15センチほどの通気口』があり、そこには太い鉄格子が嵌め込まれて切断された形跡はない。壁にも穴はない。


 当然、人間はおろか、小さな子供でさえも絶対に出入りすることはできない、完璧なる密室だ。


 部屋の奥に積み上げられた莫大な金塊の山や、蒸気機関の設計図が収められた棚は、無事だった。しかし、部屋の中央に置かれた、真紅のビロードが敷かれた豪奢な展示台だけが、空っぽになっていた。


「……嘘でしょ。フランス王権の象徴……シャルルマーニュ大帝の伝説の聖剣『ジョワユーズ』が、丸ごと綺麗さっぱり消え失せている……!」


 十字の立派な黄金の鍔と、長く重厚な鋼鉄の刀身を持つ、あの巨大な剣が。


「警備の兵が居眠りをしている隙に、誰かが合鍵を使って持ち出した……それ以外に、この完全なる密室からあんな重くて巨大な剣を盗み出す方法など存在しませんわ!」

 後からついてきた貴族の一人が、ヒステリックに叫んだ。


「衛兵たちは一睡もしておりません! 扉からは誰も出入りしていないと、私がこの目で確認しました!」

 ランバル夫人が毅然と反論する。


「ですが、実際にあの巨大な聖剣は消えている! 壁にも天井にも穴はない! 通気口から、あんな巨大な剣を引き上げられるはずがない! 魔法でも使ったとでも言うのですか!?」


 魔法。

 まさに、そうとしか思えないような、あり得ない消失劇だった。


 人間が入れない完全密室から、いかにして重い伝説の剣を丸ごと盗み出したのか。

 フランス王室の威信を根底から揺るがす、前代未聞の不可能犯罪。


「……いいえ。魔法などではありません。極めて大胆なトリックです」


 ナポレオンの言葉に、私はゴクリと唾を飲み込んだ。


 聖剣ジョワユーズを、どうやってこの完全なる密室から盗み出したのか。


 そして、この信じられないようなトリックを仕掛けた『黒幕』の正体とは——。


 静寂に包まれたベルサイユの地下宝物庫で、フランスの威信を懸けた、前代未聞のリアル密室ミステリーの幕が、今ここに切って落とされたのである。

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