月光・・・いつだって私たちはその優しさに気づかない ⑧
カランコロンとドアベルを鳴らし、私は”星の木”の店内に入った。
現在、私にとって唯一の贅沢は、一週間に一度くらいこの”星の木”のコーヒーを飲むことだった。マスターがサイフォンを使って淹れるコーヒーは人生で一番くらいの美味しさで、それはアイスでも変わりはない。
今日はアイスカフェラテの気分だった。私はコーヒー好きだがコーヒー通ではない。砂糖もミルクも入れるしカフェラテも好きだった。
「いらっしゃい」とマスターが奥から声をかけてくれる。
私は軽く会釈しいつものように窓際に腰かけた。
カフェというより“純喫茶”と呼ぶのがふさわしいこの店は絶対昭和から続いていると思う。
カウンターも椅子もテーブルもアメ色に光っていて重厚感があり落ち着いた気分にさせてくれる。
ヨーロッパの田舎を描いた大きな油絵、帆船や蓄音機の置物もかなり古いものだ。
店の真ん中には本棚が置かれ、窓側には三席、奥の方にも三席、そして使われていない暖炉があった。
外はまだ光が溢れているのに店内は薄暗く、そして期待していたように冷房がよく聞いていた。BGMはジャズ・・・ではなくマスター好みのクラシックだ。
ピアノの曲はどこかで聞いた気もするけど曲名を思い出せない。
奥の席には40歳ぐらいの男性がひとり雑誌を読んでいた。
マスターが水とおしぼりを持ってきてくれる。
タオル地のおしぼりも冷えていて気持ちよかった。
アイスカフェラテを注文する。70代のマスターは親しみのある笑顔を浮かべても「お、今日は珍しいね」なんてことは言わない。
私は店の人に顔を覚えられるのが嫌いだ。たとえ覚えていたとしても店の人から馴れ馴れしい言葉を言われるととまどってしまい、もうその店には行きたくなくなる。
美味しいコーヒーに加えて、マスターがへんに馴れ馴れしくないのも私が”星の木”を好きな理由だった。
いつもはもう一人、50代のパートのおばさんがいるけど今日はもう帰ったらしい。
軽食が出されるのはランチどきだけで、店も6時前には閉店されるから、夕方にさしかかるこの時間は高齢のマスター一人でも大丈夫なのだろう。
マスターに家族はいるのだろうか。
家族が遊びに来ているので出くわしたことがないからもしかしたら一人なのかもしれない。
孤独感は感じられないから、もしかしたら隣町に住んでいるとか?
想像してみるがあえて聞いてみる気にはなれない。
わかっているのはマスターが善人だということ。
一度、食事をした後で財布もマスターもないことに気がついたお客がレジでマスターと話しているのが耳に入った。
「いいよ今度で」
とマスターは常連でもなさそうなスーツを着たサラリーマン風の男性にごく普通のことのように言った。身分を証明できるものはないか、とも言わなかったと思う。それより早く交番に届けることを促していた。
「すいませんすいません」とその男性は恐縮していたけど、きちんとした身なりの人がきちんとした人
とは限らない。
あの男性は食事代を返しに来たのだろうか?
気になったけどやはり聞いてみる気にはなれなかった。
返しに来ていたらいいと思う。
アイスカフェラテはすぐに運ばれてきた。
窓の外の通りを行き交う人たちを眺めながら少しずつ飲む。
歩道を行き交人たちは一様に、暑くてかなわないというような疲れた顔をしていた。
涼しいところでカフェラテを飲んでいる自分を身分不相応な、でもこのぐらいの贅沢は許されてもいいように思えた。
トートバックの中には人気の若手作家の文庫が入っていたが、取り出して開く気にはなれなかった。
ぼんやりと間仕切りとなっている本棚の方を見やる。
本棚は向こう側が見えるタイプのもので、本が立てられていない枠には外国のお土産らしい人形や小さな鉢植えが置かれている。
それでもマスターは相当な読書家を見えて、新旧様々な本がジャンル問わずに並べられていた。
私は本棚からお客さんが本を取り出している姿を見たことはなく、本たちは店のインテリアの役割の方が大きい気がした。
本のタイトルを目で追っていくと、夏目漱石の本があるのに気がつく。どうも全集の中の一冊であるようだった。
私は昔、和彦が言った「月がきれいだね」という言葉を思い出す。
なんか夏目漱石と関係があったことも言っていたな。
あの頃だって調べようと思ったら簡単にできたのにそうしなかった。
何年かに一度思い出しては「ああそうだ、調べないとな」と思ったけど結局そのままになってしまっていた。
ずっと気持ちの余裕がなかったせいかもしれない。
私は立ち上がって夏目漱石の本を手に取る。
表紙は古くて固い。そして片手をあげてくつろぐようなおなじみの漱石の写真がついていた。
ちょうど、テーブルを片づけに来ていたマスターと目が合う。もう一人の男性客は帰ったばかりだった。
「あの、ちょうっと伺いたいんですけど」
何かな、といった表情をマスターは浮かべる。
マスター穏やかな表情に勇気をもらって私は聞いてみた。
「男性が女性に、月がきれいだね、って言うとき、なんか深い意味があるんでしょうか。漱石関連として」
私は本に目を落とす。
「それは、君が好きだ、ってことになるらしいよ。通説としてだけどね」
「へっ?」
私はへんな声が出てしまった。
和彦が私を好きだった(こともある)ということ?
意外過ぎた。
和彦は私に何のアプローチもしてきた記憶はなく、「飲みに行こう」と誘うのも私からの方が多かった気がする。
「そう言われたら、ちゃんと気持ちを伝えてあげた方がいいけど、ま、いまどきは知らない人が多いかもしれないしれないね。実はね、私は若い頃ばあさんに言ったんだ」
他にお客がいないときならではの会話かもしれない。
「おばあさんはなんて?」
「嬉しいです、ありがとうって言ってくれた。ばあさんはちゃんとわかってくれていた。僕たちは間もなく結婚したんだ。五年前にばあさんが逝くまで喧嘩もせず幸せにくらしたよ」
「じゃあ今はい寂しいですね」
「そうだけど、自分のために好きな料理をして、好きな曲をレコードで聞きながら本を読むのも悪くない。近くに住んでいる息子や娘も気づかってくれるしね」
「そういうのもいいですね」
私は心からそう言った。マスターが孤独でなくてよかったと思った。
善人は孤独であってはならない。
「で、君はちゃんと答えてあげたのかな?」
マスターには私自身のことだとバレているらしい。
「だいぶ昔のことなんで細かいところは忘れちゃいました。私、国文科だったのにその逸話知らなくて・・・申し訳ないことに後で調べもしなかったんです」
「そりゃ男はあきらめたかも、だな。男って案外臆病な動物だし」
「そうなりますよね」
私は他人事のように同意した。
ちゃんと読んでくれる人にもらってくれると嬉しい、というマスターの言葉に甘えて私は漱石の本をもらい店を出た。
日差しはもう濃い朱色で、落日が近いことを物語っていた。
商店街は夕食の材料を求める人で、人再び活気を取り戻しつつある。
空の雲は刻一刻と色を変えていく。散歩にはいい時間だった。
こりゃいつもの二倍は歩かなければなりそうだと思う。
さっきの衝撃が大きくて歩いてクールダウンさせなければならないからだ。
私は駅を超えて川べりまで行く「散歩のロングコース」を頭に描く。
和彦が私を好きだった(かもしれない)?
嬉しいという気持ちはなくて、そりゃ嫌われるよりは好かれる方がいいから広範囲な意味では嬉しいのかもしれないけど、私に恋心はないのは明らかだった。
はるか昔だけと、片思いの経験が私にもある。
その人の名前を聞いただけでドキドキするような恋心は和彦にはない。
仕事上の活躍を知って好感度はグンと上がったけど、今のところ友達以上の気持ちはないと思った。
一方で、和彦とうまくいけば将来は大学教授夫人となり、外国で暮らせるかも、なんて突飛なことを想像してみる。
かつて女子大生という鎧や編集者という鎧をつけていた私にとって世間は味方だった。
しかし、それらの鎧をを脱ぎ捨てた私は何者でもなく、ただのミスの多い29歳の女性だ。
鎧を取った私に世間の風当たりは強かった。
出版社にいたときの社長のように「失敗しない人なんていないんだから、お互いにチェックし合えば大丈夫」と言ってくれる人ももういない。
もし大学教授夫人という鎧をつけたら、世間は以前のようにまた味方をしてくれるのだろうか?
実家の親たちだって見返せる。
しかしすぐに、
ありえないよね、やっぱり。
と思い直す。
こんな風でも、私は自分を捨てられない。
ふいに高校生の頃見た、「ロボトミーの手術を受ければ楽に生きられるけど自分を無くしてしまうから受けない」という女性を描いた映画を思い出した。
しかし、
私はこれからどうやって生きていけばいいのだろう
駅の改札からはき出される人の数はグンと増えて、駅前の広場が混雑している。
でもこの混雑を突き抜け、線路を渡れば人混みはすぐにまばらになるはずだ。
私は足を速めた。