月光・・・いつだって私たちはその優しさに気づかない⑦
携帯の画面を見るとそこに映っていたのは、
カズヒコの文字だった。
2年前まではときどき連絡を取りあっていた。しかし、留学でアメリカに渡るとき、携帯電話は解約したと疑わなかった私。その和彦の番号が私を読んでいた。
あせって切ってしまないように慎重に電話にでる。
「よう」
間延びして気だるそうないつもの和彦の声だった。
「うそ、電話通じてる」
「あたりまえだろ、俺がお前の番号にかけてんだから」
「いや、絶対解約したと思っていた。昨日連絡先聞かなかったこと後悔して、でも名前で検索したら出てくるかも、と下の子に教えられて、Facebook見つけてラッキーと思っていたとこ」
「今は海外に携帯持って行ってもSIMカード入れ替えたらそのまま使えるの知らんの?」
「知らんかった。便利な世の中になったねー」
3年前、作家さんの取材のお供ででアメリカに行きかけたけど、やっぱり専門のコーディネーターに任せた方が安心だろうことで初の海外出張はたち切れとなってしまった。で、私は日本から出た経験ははなくSIMカードの存在も知らなかった。
「遅れてんな、それでもマスコミ関係?」
「もう辞めているし」
もし辞めてなくても、私とマスコミ関係という言葉は到底結びつかなかったと思う。仏像とか町おこしとか”成功する移住”とか、そんな地味過ぎる本を作り、月間の小説の冊子に書いてくれるのも老作家ばかりという地味過ぎる出版社だった。
でも、同じく古く地味な社屋と共に私はそんな会社がとても好きだったのだ。
「とにかくFacebookで友達申請する前に話せてよかったよ」
「ああ、本当に。Facebook、ほとんど見ないから申請してくれても気が付かなかったと思うし。実は後輩まかせだしね」
経済の研究者ってそういうものなのか。よほど忙しいのかもしれない。
「そうそう検索したら和彦の名前いっぱい出てくるんでビックリした」
酔うと下ネタが混じる和彦とは今も合致しない。
「まぁこの歳だしね」
「それにしてもすごいよ。で、何?」
「実はこっちも携帯の電話帳見て、エマの連絡先見つけて試したとこ」
「そっか、まぁ嬉しいけど」
私はできるだけ平静を装いそう答える。
でも、本当はすごく嬉しかった。
家族とはほとんど連絡を取り合わないし、勤めていた会社の人たちはいい人たちだったけど、辞めてから電話するのも違うと思うし、アルバイトは日雇いだった。
さっき下の小雪ちゃんと話すまで、ここ半年間、人と会話らしい会話はしなかったのだ。
世界中の誰も私を気に留めてはくれない。
もし何かの拍子で死んでも誰も悲しんではくれないだろう。
ときどきそう思った。
「それはそれで清々する」
と思おうとした。
でも心は乾いていたのだろう。
だって和彦が、私の番号を捜して電話をくれた、それだけでこんなに嬉しいのだから。
今日は何も予定がなかった。
でも、昨日の今日だ。
一緒に夕食でもどお? という言葉を言うのが憚れる。
他に親しい人がいない孤独な毎日がバレるのが恥ずかしかった。
だから
「今日は大学の関係でアレだけど、また会おうよ。電話する」
という和彦の言葉にホッとした。
「OK。落ち着いたらでいいから、またビール飲みに行こう」
「いいね。まだ暑いから夏バテしないようにな。お互いもう若くないしね」
「ちょっとそれは余計なんですけど。でも、ほんと電話ありがとう」
「うん、話せてよかった」
電話を切ると温かいものが残った気がした。
小雪ちゃんとの会話は楽しかったけど、実は驚くことも多かったし、自分たちの暗部もさらけ出したせいかかなり疲れを感じた。
でも和彦との会話は穏やかで温かい気持ちにしてくれた。
和彦の社会的地位を改めて知ったことで、尊敬の気持ちが芽生えたこともある。
彼の印象が数段UPした感じだ。
健康保険の納付書のことはまだ頭に引っかかっていたけど、もう先ほどの落ち込みはなかった。とりあえず今月分を払うことだけ考えよう。
そのまたまた考えればいい・・・。
時計を見るとまだ三時だった。
散歩に出るにはまだ早い時間だったけど、さっき行きそびれた”星の木”でアイスカフェラテを飲んで、ちょっと本を読んで、それから歩くことにしよう。
そう思って、日焼け止めを塗り腕に日焼け防止カバーをつけ、今度は日傘を忘れずに部屋を出た。
日差しはまだ衰えてくれていない。
アパートから商店街へ向かう路地を少し行くと、小雪ちゃんが(この暑いのに)彼氏と腕組み、コンビニの袋を下げて帰ってくるのが遠くに見えた。
二人ともタンクトップにショートパンツ、サンダルという夏の格好だ、もちろん日傘などはさしていない。近くに寄ったらキラキラした汗の粒が見えるかもしれない。
小雪ちゃんの身長は低く、彼氏の方は180センチはあるからかなりの凸凹コンビだ。
小雪ちゃんは顔をかなり上にむけ、彼の方は小雪ちゃんを覗き込むように何やら話していた。
二人とも笑顔だ。
可愛いなー小雪ちゃん。彼氏のことが本当に好きなのだということがその笑顔から伝わってくる。
小雪ちゃんを悲しませることなく幸せにしてあげなよ、と彼に言ってやりたいと思った。
しかし、顔を合わせることが2度目の私がそんなことを言えるはずがない。
私に気づいた小雪ちゃんが
「あっ、エマさんだ。さっきはどーも。また食べたり飲んだりしましょうね!」
と元気に言ってくれる。
人の笑顔っていいなぁ、と私は改めて思った。
「いっぱいご馳走になって、なんかごめんね。美味しかったよ」
「いえ、ただの冷凍食品だったじゃないですか
「美味しかったことに変わりないって。今度は私が手料理をふるまう」
「わっ、楽しみだ。ほんとですよ。催促しますからね」
「もちろん忘れないよ」
笑顔で聞いていた彼が「俺もおじゃましていいですか」と口を挟むが、「だめに決まっているでしょ。秘密の女子会なんだから」と小雪ちゃんは一蹴した。
小雪ちゃんは女子だけど、私はもうそうじゃないんだけどね、とまた思ったが黙っていた。
彼氏は「ちぇ」とすねたような顔。
顔がイケメンなものだからすごく可愛い。
私は不覚にも「コイツ母性本能をくすぐる」と思ってしまった。
いるんだよね、ただそこにいるだけで誰からも好かれるような人って。
たぶんそんな人たちは、人から好かれるように生まれてくるのだ。
「じゃまた」と互いに言って私たちは別れた。
キャッキャッと二人がふざけ合いながら歩くのを背中に感じながら、私は大通りの方へ歩いて行く。
”星の木”の冷房が恋しかった。




