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第五十五話 ひとつの命を拾うこと、再び

 これはつい先日の話である。

 普段はほとんど連絡がない友人から、LINEのメッセージをもらったぼくは、その内容に顔をしかめた。


『猫……もう一匹飼えないよね?』


 思わず返した。


『は?』


 実はこの友人。ぼくがねこさんを拾った同じくらいのタイミングで、野良猫を拾ったのである。うちのねこさんより少しばかり小さかったが、ほとんど変わらない。話を聞く限り、人懐っこく、特に病気もせず、ごはんもしっかり食べる子で、大人しいタイプの子だった。黒と白の混じった子で、鼻の下にチャップリンのような黒い毛が生えていて、愛嬌のある顔をしていた。


 友人の引き取ってほしい猫はまさに、この子のことだった。


 うちにはひなさんもいるし、ねこさんもいる。それに加えて、ハットリくんの会社の近くにいる問題のある、あの母猫がまたしても妊娠したということで、もしかしたら一匹、保護しなければならない状態になるかもしれないと、友人には難しい旨を伝えるとともに、なぜ、そんな心境に至ったのかを訪ねた。


『ズバリ、お世話がストレス』


 言葉がなかった。


 友人のことは小学生のころから知っている。家も近所でよく遊んだ仲だ。だから、性格もよくわかっている。実は、この友人が猫を保護した話をしてきたときから、ぼくの中ではずっと不安だったのだ。本当に世話ができるのだろうか? 最後まできちんと責任を持てるのだろうか? と。


 しかし、友人もいい大人だ。結婚もして、子供もいる。きっと家族と相談のうえで決めたことだろうし、前には犬を飼っていたこともある。この犬に関しても、本当にしあわせにしてくれたのだろうかと、子犬の仲介をしたぼくとしては、大変疑問に思うところもあったのだが、飼った後に関して、ぼくはノータッチであったため、そのわんこがしあわせな生涯を終えたのかどうかまではわからない。


 なぜ、ぼくがこんな疑問を抱いたのかと言えば、友人は小さいころに動物を飼った経験がない。犬にしても、猫にしてもだ。うずらのひなや、ひよこは飼ったが、結局、途中で死んでしまった。


 そう、幼いころに動物と暮らす経験をしっかりしてきていないのだ。つまり、動物と暮らすということが、記憶にすりこまれていないのである。


 動物をお世話するということは大変なことである。命を育むことなのだから。当然、排泄物の処理も毎日あるし、ごはんの支度もある。病気になれば病院に通わねばならないし、わんこなら散歩もあるだろう。汚くなれば洗ってやらねばならないし、いたずらだってする。

 

 ある意味、小さな子供と一緒なのである。それに加えて、彼らは人間のように言葉を話すことができない。コミュニケーションは、こちら側が察してやることによって、なんとなく、彼らの訴えていることを理解する――という具合だ。


挿絵(By みてみん)


 友人がお世話がストレスとなる原因は、とりまく環境だった。仕事して、育児をして、家事をして、地域の役割の仕事をして、さらに動物の世話。家族の中で世話役は友人が主にやっており、手伝ってはもらえない。そもそもが、拾ってしまった責任感で世話をしており、あまり可愛いとも思っていない。もちろん、可愛くないわけではないが、常に可愛い存在ではないというのだ。


 それに加えて、友人はアレルギー体質だった。猫に噛まれて蕁麻疹になったし、一緒にいれば鼻の調子がずっと悪いという。


 さらにこの過剰なストレスで自殺まで考えたらしいのだから、もう末期だとぼくは判断した。この状態では、友人にとっても、拾われたねこさんも不幸だと思えたからだ。


『本気で譲渡先を考えたほうがいいかもしれない。でも、家族とまずは話し合うんだよ』


 友人は譲渡を本気で考えながら、探してみると言った。


挿絵(By みてみん)


 正直に言えば、ぼくはこの話に憤りを覚えている。確かに、ぼく自身もとても温い考え方でねこさんを拾った。他に頼ろうともした。けれど、ねこさんと一緒に暮らすようになって、ぼくにとってはかけがえのない存在になった。今ではもう、手放すなんて、とても考えられない。


 そして、先生に言われたことが、すごく重たく響いた。ひとつの命を拾うことの責任の重さだ。


 確かに、動物は可愛い、愛らしい。けれど、そうした彼らと一緒に暮らすということは、お世話をしてくれる使用人でもいないかぎり、全部背負うことになる。それら、ひとつひとつの行為は、いのちの重さと一緒だ。


 それにストレスを感じるから、誰かにもらってもらいたいと思うのは、あまりにも無責任な行為ではなかろうか? これが進めば、保健所へ連れて行って殺処分だろう。


 これをどう思うだろうか?


 こういう身勝手な行いは、おそらく拾われた方にも傷を残す。彼らだって心がある。数か月も共に暮らせば、彼らだって人間を家族だと思うだろう。それを捨てるのだ。家族に捨てられた彼らはどう思うだろう? 悲しくないだろうか? 寂しくないだろうか? 


挿絵(By みてみん)


 確かにアレルギーが出てしまったら、飼うことは難しくなる。ぼくも一時期、『ねこアレルギーなんじゃないの?』と言われたくらいに、湿疹ができて困ったことがある。


「それ、ねこアレルギーじゃないの? っていうか、動物アレルギーだろう?」


なんて、ハットリくんに言われたが、ぼくの答えは一つだった。


「別にブツブツができてかゆいくらいなら、我慢すればいい。それより、ぼくには彼らがいる生活がなくなるほうがつらい」


 酷いアレルギーになったことがないから言えるのではないか? と言われそうだが、ぼくだって、アレルギーで苦しい思いはしたことは何度もある。動物ではないけれど……ゆえに、そこも踏まえて、どう行動するかを決めてほしいのだ。


 ひとつの命を拾うとき、まず、考えてもらいたい。本当にその子の一生の面倒を看られるのか。自分にとって、かけがえのない存在になるのか、一度、自分の中で問うてから、飼うか、飼わないか、それを決めてもらいたい。


 可哀想なだけで拾い、その後、世話ができなくなってしまったら、彼らはもっと可哀想な道を進むことになる可能性もあるのだ。もしかしたら、拾わなかったことで、もっと別の幸せな道が待っているかもしれない。それは誰にもわからないけれど、可能性はゼロではない。もちろん、不幸な歩みをたどるかもしれないが、それはもう、彼らの命の定めなのだと思うしかあるまい。


 いのちの重みを今一度、噛みしめてほしい。


 彼らだって懸命に生きている。人のエゴで、どうこうしてはほしくないのだ。


 ひとつでも多くのいのちが穏やかに過ごせるように願ってやまない。


 さて、あなたの選択は?

 それでも拾う、最後まで看取ると言い切れるのか。


 まずはゆっくり考えてみよう。


挿絵(By みてみん)




第十三話の漫画を新しく書き直し、差し替えました。よければ覗いてみてください。

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