第五十一話 ねぇ、おばあちゃん呼んでいるみたいだよ
ねこさんが退院してきてから、本当に賑やかになった我が家。そんな中でも、耳の遠いひなさんは爆睡していらっしゃる。
十四歳になるひなさんの耳の遠さは、本当にこちらが心配するレベルのものになっている。ぼくが帰ってきても、わからないのだ。
ねこさんが来る前、夏の暑い時期でないときは玄関の冷たいところで、ぼくの帰りを待っているひなさんなのだが、ぼくが玄関の扉を開けて入ってきても、靴を脱いでも、隣に立っていても気づかない。
え? 死んじゃってる!?
ピクリとも動かない彼女が心配になって、そっと触れると
あれ? 帰ってきたの?
と、ばかりに、ゆっくり起き上がり、帰ってきたことを喜んでくれるのだが、本当に聞こえなくなってしまっているのだ。
こうなると、普段の生活も困ったもの。ひなさんは号令でトイレに行く子なのだが、今までは口頭で「トイレ」と言えばわかったのに、最近はまったく通じない。何度も口で「トイレ」と言いながら、指でトイレを指し示す。これを何度かやるとやっと理解できたのか、トイレに行く。それでも通じない場合は、彼女をトイレの近くまで誘導してやらねばならない。
そんなある日のこと。ねこさんが退院してきて、数日後のことである。夜、床で死んだように寝ているひなさんに、ぼくは必死で呼びかけていた。こっちへおいで。布団においでと、何度も繰り返し彼女の名前を呼び続けていた。時折、パンパンと布団の端を叩いてみるが、当然ながら、彼女は気づかないで爆睡している。確かに爆睡している彼女を起こす方も身勝手なのだが、どうも布団にいると、お腹のところに彼女がいてくれないと落ち着かないぼくとしては、なんとしても彼女を傍に来させたかった。いや、彼女を迎えにいってやれよということは重々承知の上ではあるのだが……
そんなぼくをねこさんがじっと見つめていた。つぶらで大きな瞳がじぃっとぼくを見つめているのだ。それまで一人遊びを繰り返していた彼が、ぼくを見つめて立ちつくし、しばらくすると、てくてくと歩きはじめる。行き先はひなさんだった。
ああっ! あかんっ! 寝ているところを襲っちゃいかんぞ!
「ちーたくん! ダメだ!」
ぼくの制止など聞くわけもない。ねこさんは静かにひなさんの元に行き、ゆっくりと片足を上げた。
ああっ! あかんっっっ!
いつもの彼ならば、ねこパンチを繰り出して、彼女の怒りを誘うのだ。かまって、ねぇ、かまってなのはわかるが、彼のパンチはちょっと強い。よって、温和な彼女は何度目かのかまってパンチに耐え切れずに怒りを爆発させていた。
しかし、このときは違った。ねこさんは優しく前足でちょん、ちょんと彼女の耳元を叩いたのだ。爪も立てず、やってやるぜポーズをすることもなく――
ひなさんがゆっくりと顔を起こすと、まるで『ねぇ、おばあちゃん。なんか、ご主人が呼んでいるみたいだよ?』と教えるようにぼくを見て、そのまま彼女から離れていった。彼女もぼくが呼んでいるのがわかったかのように、ゆっくりと立ち上がって、布団にやってくると、ぼくのお腹のところに腰を下ろして再び寝たのである。
え?
にわかには信じられなかった。けれど、このときは本当に聴導犬のように、ねこさんは振る舞ったのだ。
賢い?
わからない。このとき以外にこんな光景は見ていない。ちょっかいを出しに行く、容赦ないねこパンチをお見舞いし続ける姿は毎日、飽きるほど見ているけれど……
仲がいいのか、悪いのか、最近の彼らからはさっぱりわからなくなってしまってはいるけれど、ぼくにはわからない、動物同士ならではの交流や絆が実はあるのかもしれない。会話をしているところは見ないけれど、それでも彼らは彼ら流のコミュニケーションをとって、今、一緒に生活しているのだろう。
不思議な縁で結ばれたぼくたち。この先、こんな奇跡的な場面をまた見ることができるのだろうかと、毎日、目を凝らしているのだけれど、おばあちゃん犬と孫ねこさんからは唸り声と、寸止め噛みと、強烈なねこパンチと飛びつきカミカミしか見ることができていないのであった。




