第三十四話 もう一匹、飼わないか?
ねこさんの状態が思っていた以上に重たかったと思い知らされたことで、彼がいなくなるかもしれない現実を、やはり覚悟しなければならなかった。その状態を招いたのが自分であるのだと、思えば思うほどに気は落ち込んだ。購入した道具たちはほとんど使われることなく、そのまま埃を被ることになるかもしれない。そんな未来は嫌だと思っても、現実、ねこさんの回復は停滞中であったこの頃は、その現実を受け止めることが非常に難しくもあった。
ところがである。なにを思ったのか、そんなぼくにハットリくんは
「なぁ、もう一匹、飼わないか?」
と、持ちかけてきたのである。
は? もう一匹?
詳しく聞けば、彼の会社の野良猫が二匹、子供を産んだらしい。まだ目も開いていないし、動けないが、それでもうちのねこさんより大きな声でしっかり母親を呼んでいるという。
「あいつには一緒に遊べる仲間がいたほうがいいと思うんだよ。そうすれば、きっと元気に大きくなる。それに一匹も二匹も変わらないじゃないか?」
確かに彼が元気に退院してきたら、たくさん遊ぶことにもなるのだろう。単独より多頭で飼う人も多いようだし、家族は多い方が楽しい。しかし、養う経済力も必要になる。うちにはすでにひなさんもいる。しかも老犬。このあと、介護も必要となるだろうし、通院することも多くなってくるに違いない。保険のきかない動物病院。点滴一本おいくらだと思っているのだろうか? 経済難は目に見えている。
一匹も二匹も同じじゃないぞ、ハットリ!
そんなぼくに、ハットリくんはさらに続けた。
「もしかしたら、あいつが戻ってこれないとしたら、おまえはどうなんだ? その教訓を次に生かして、今度こそ、元気に大きくさせてやるって思わないか? いや、俺だって、あいつじゃなきゃいやだけどさ。それでも、あいつらは保護してやらなくちゃダメだと思うんだ」
それならおまえが保護してやれよ……なのだが、この話の続きを聞いたとき、ぼくの心は大きく揺れ動いた。
「母親がな、普通じゃないんだよ」
子猫には健康な母親がいる。しかし、普通ではないのだという。
「食っちまうんだ」
あまりの話に絶句である。母猫が子猫を食べてしまう――そんな話を聞いたのは、これが初めてだった。そして、今回の話の母猫は異常にその傾向が強いらしい。すでに今回を含めて五回ほど出産しているらしいのだが、一度も大きく育った子供がいない。母猫がすべて食べてしまっている。実際に、ハットリくんの勤めている会社の奥さんが食べている現場を目撃しているらしく、今度こそ、早めに保護したいと言っていて、一匹、保護できないかと聞かれたという。
「そんな事情なら……保護してやらないといけないかなぁ」
単純である。さらに言えば、このときのぼくはかなり心が麻痺していたとも思う。ねこさんを窮地に追い詰めていることに罪悪感が募って、どこかで贖罪できるなら、もう一度チャンスを貰えるなら、今度こそ間違えないようにするからと、思っていたのも確かだった。もちろん、ねこさんが戻ってくる希望は捨ててはいない。彼が戻ってきて、さらに仲間を受け入れられるなら、もう一匹くらいなら、なんとかしてみてもいいのかもしれないと――そんなことをおもってしまったのだ。大変なのは百も承知で、見て見ぬフリは、このときのぼくにはできなかったのだ。しかし、本当のことを言えば、おまえがやれ、ハットリ! であることは間違いない。人間、心が弱っているときは簡単に感情に流されてしまう。怖いものだ。
「まぁ、それでもわからんからな。あの母親だから……それに、もしかしたら、今回はちゃんと育てるかもしれん」
「とにかく、本当に困ったら言ってくれ。考える」
「一匹はアイツと同じ、白い子なんだ。写メ送るわ」
後日、送られてきた写真には二匹の子猫が寄り添って寝ているところが映っていた。大きさ的にはうちのねこさんと変わらないくらいの子猫。一匹は黒いブチ、もう一匹は白い毛の子。ブチの子猫の方が白い毛の子よりも一回りくらい大きかった。その写真を見ながら、ぼくはこの子たちのどちらかと縁があるのだろうかなんてことをぼんやりと思っていた。
ねこさんが戻ってきて、仲間が増えていたら、喜んでくれるだろうか? きっと二匹の元気な子猫さんがうちを駆け回ったら、にぎやかな毎日になるだろうなぁ。経済的負担に関しては……働けばいいし、最悪、ハットリくんに出資させよう、あいつがそもそも言いだしっぺなんだし。
なんて思いを巡らせた。それでも、やはり、ねこさんありきの未来であることは変わらない。
けれど、この話は現実化することなく、消えてしまうことになる。小さな命の灯は、ぼくの手元にやってくる前に、儚くも消えてしまうことになったのだった。そして、その悲しい結末を知ることになるのは、ねこさんがぼくの元に帰ってくる、わずか三日後の話なのであった。
(余談)




