第三十二話 もう、やめよう
ねこさんの状態が良くないこと、死ぬ方に賭けた方がいいと言われたことも、ハットリくんに報告した。なにせ、この頃の彼は、先生に対する不信感が本当に強く、たびたび、医療ミスだと、後手後手すぎると不満を口にしていた。もちろん、それは彼がねこさんを心配するあまりに出た言葉であることも理解しながらも、ぼくは先生と親友の板挟みになっていたこともあり、自身の気持ちもかなりざわついてしまっていた。
「だから、何度も言ったんだ! 生きられる可能性をつぶしているのは人間だ! あいつを死に追い詰めているのは人間の手だよ! もっと早くに治療していれば、こんなことにはならなかったんだ! 元が野良だから、どうでもいいって思ったんじゃないのか? だって普通なら、ちゃんと家の子として飼うって言ったら、検査をするって!」
確かに、何度も、何度も言われた。早めに治療してやらないといけないんだという話は、拾ってきた当初から話していた。ゆえに、悔しさはどうしようもないくらいに募るのだろう。ぼくがのんびりしていた、先生にもっと早めに調べてもらえていればよかったのかもしれない。それに、ねこの飼い方本を読んでいたら違ったのかもしれない。
「じゃあ、ぼくが悪いんだろう! ぼくがちゃんとしなかったから、結果、こういうことになったって責めるんだろう!」
「別にそんなこと言ってないだろう! おまえはちゃんと状態を報告していたのに、検査もしてくれない先生が悪いんじゃないか!」
こういう言い合いは何回もあり、そのたびにぼくらは共に疲弊していたとも言える。ねこさんの状態が悪いほどにヒートアップする。彼の気持ちもわかってはいても、それでも育てているのはぼくだったから、余計につらかった。誰よりも、ぼくが親身になって世話をしていたのを彼は知っていても、それでも誰かを攻撃せずにはいられなかったのだと思う。きっと助かるはずだと思う気持ちと、一向に好転しない状況にやりきれなさが募っては、爆発する。
「そういうのは直接先生に言えよ! おまえの思っている不信を全部、先生に直接ぶつけたらいいじゃないか!」
こんな不毛なやりとりを繰り返すことが実に多かった。でも、もうそれもやめたかった。ぼくたちが無力感に打ちひしがれたところで、よくなるわけでもない。むしろ、あの子がこの状態を知ったなら、どれほど悲しむかしれない。それに、こんな言葉もあるだろう。
信じる者は救われる――と。
「なぁ、もう、先生を疑うのはやめないか? ぼくもやめる。先生は今、できることをやってくれている。それを信じなかったら、先生だって助けるのが嫌になるかもしれない。信じない患者の子を救いたいって思うか? ぼくなら思わない。でもね、もう、何匹も先生には助けてもらってる。だから、絶対に今回も助かるって、ぼくは信じる」
これまで何年も先生を信じてきた。実家のわんこさんは、脂肪を分解する酵素が出ないという生まれながらの病気だった。毛色も通常の子よりも薄く、短命だと言われていた。子犬の頃、その病気に気づいてくれて、最新薬を投与して、さらに勉強会にも積極的に参加して、中型犬にもかかわらず、十四年も生かしてくれたのは先生のおかげでもある。
「そうだな……確かにおまえの言うとおりかもな。信じなくちゃ……先生だって嫌になるよな。見捨てられるのは困るよな」
これ以降は先生を疑うことは止めた。とにかく、助けてもらおう。助からなかったとしても……やれることはやってもらったと思おうと、ぼくらは決めた。
「あいつの生きたいと思う気持ちを信じよう」
それが、ぼくらの出した結論だった。
でも、確かにハットリくんの言うことも確かなのだ。彼の命を縮める原因を積み上げたのは、おそらく、人間側の責任も少なからずあるに違いない。先生の言うとおり、個体が元々持っている弱い因子が大きな原因だとしても……だ。
だから、これ以降は同じことを繰り返してはいけないと、ぼくは強く思う。彼が元気になったなら、今度はもっと早く対応していこうと、そう思った。そして、今度こそ、そうなる前に予防できるように、自分にできることを一つ、一つ、確実にやっていこうと――
「あいつの生きたいと思う気持ちが大きければ、絶対に戻ってくるんだからな。それに……トラックでひかれて、頭蓋骨を骨折しても、今、元気で生きている猫もオレの会社の近くにはいるんだよ。そういうこともあるんだから、あいつの生きる力を信じなくちゃな」
不安をかき消すように、ぼくらはよくなる未来の話をした。それでも不安は消えてはくれない。でも、できることがなかった。瀕死でも助かる事例を話し合うこと以外に、できることがなかったのだ。
命をはぐくむ――それは生半可なことではない。ごはんを与えていれば、すくすく育つものでもない。言葉にできない子、これは人間の赤ちゃんにも言えることだと思うのだが、言葉で訴えることができない状況で、その訴えに気づき、身体の異常に気づくのか、どう対応していくのか、そこがターニングポイントになるのだろう。
今だから言えることだが、こういう命が瀕する状況を経験したことで、命は簡単につなぐことができないものだと学べたことはとても大きい。ゆえに、粗末にはできないのだ。この、たったひとつ、単純とも思えることに、どれほどの労力がいることなのかを知り、他者の命のみならず、己の命の重みも知ることができたのだから……
そう、今、こうして何気なく生きていること自体が、実はとても尊いことなのだ。生きること――それが一番難しい。生きたくたって生きられない状況は山ほどある。なんの山も谷もなく、穏やかに生きていることができる――それは本当にしあわせなことなのだ。普段はそんなこと、これっぽっちも思うことがないだろうけれど。
翌日、ぼくはたった一つの命をつなぐために、多くの力を借りることになる。多くの、そして、とても大きな力を――
(余談)




