第十六話 トイレは簡単or難しい?
ねこさんとの共同生活五日目あたり、排泄が自力で可能になっていたことから、やはり早急にトイレを用意することが望ましい状況になっていた。
まだマンション(ゲージ)がない頃であり、ひなさんのこともあって、トイレを囲いのない状態でセッティングするのは悩ましかったが、もはや、そんな悠長なことを言っていられる状況ではなかった。そう、排泄タイミングがわからなかったために誘導することができず、床やカーペットにされてしまうこともたびたび起こり、その度に拭いたり、消臭スプレーしたり、洗濯したりでは追い付かない。苦渋の決断ではあったが、トイレを設置することにしたのである。
トイレの価格は実に安かった。本体とお試し砂とシーツが入って九百八十円。砂とシーツは予備を購入していたけれど、本体だけ買えば、トイレのセッティング完了なんて、本当に素敵パッケージだと思ったし、ねこのアイテムって良心的だなと思ったのも確かだ。いぬの場合はトイレシーツがついているトイレなんて見たことがない気がする。フラットタイプで、箱入りではない、現品そのまま売りが多いのも、シーツと別々で買わなければならない要因なのかもしれないが、とにかく、ねこグッズは至れり尽くせりなイメージがとても強いのは、ぼくだけなのだろうか?
さて、セッティングも完了し、マンションがないため、テレビ台の前に無造作に置いてみる。ひなさんはなんだ、これ? な顔はしたけれど、特に砂を掘って遊ぶようなこともない。思ったよりも興味のない彼女の様子に安心をする。そこで、早速ねこさんをトイレの中に置いてみる。そう、文字通り、置いてみるだったのである。
ねこさん、トイレの砂の上で固まる。
これである。動かない。じっとしている。動いても、砂の感触が嫌なのか、手を上げる。砂地はフローリングに比べ、でこぼこが強いために安定感が悪いらしく、歩こうにも床以上に上手く歩けない。ゆえのじっと固まる状態に陥ったのである。
さらにだ。かわいそうなくらい、うつむいている。砂をじっと見つめ、しょぼくれた顔をしたままなのだ。なんだか、こちらが意地悪をしているような気持にさせられる。
問題なのは、ねこさんの身体の大きさや状態に対して、砂の粒が大きかったことである。排泄したら、そのままトイレに流せる紙タイプの砂なのだが、粒の大きさは一センチくらいあって、固まるタイプの砂よりも大きいのだ。そのため、でこぼこ感は強く、安定性に欠ける。ねこさんは小さくて、弱っている状態。紙タイプの砂は特に重たいわけでもないのだが、それを掻き分ける力はこのときのねこさんにはない。ゆえに掘ることも上手くできないのであった。
悪かった。ぼくが悪かった。だから、そんな顔しないでおくれよ……
ねこさんとトイレとのファーストコンタクト終了である。とはいえ、それでも数回トライして、なんとかトイレに慣れることには成功した。砂を掘ることはできないので、上っ面を掻く程度であるが、一応、砂慣れしたのである。
こうなると、あとはタイミングだけが問題となる。実は購入したトイレ、この頃のねこさんの脚力からすると、非常に高さがあるのである。足場がなければ、容易にトイレに行けないのである。元気な子ならジャンプでひょいっとまたげるほどの高さ、床から十二、三センチだろうか? しかし、ねこさんにはできない。まず、飛べないのである。ゆえに、こちらで誘導するか、ねこさんがトイレに入れるように足場を確保しなければならない。トイレは砂を掘るときに飛び散らないように、砂飛び防止のフードのようなものがついていたけれど、それも外した。トイレを設置してから二日後くらいにはマンション建設できたので、二日ほどはこちらの誘導でトイレに連れて行き、排泄させた。出ているかはよくわからなかったが、しっぽをピーンと緊張させて、全身に力を入れて座り込んだ姿勢を見る限りはしていたのだと思う。
もちろん、誘導に失敗して、トイレでできなかったこともあるけれど、それでも非常に楽だった。数回でトイレということを覚えてくれたからだ。これはいぬとは全く異なる点である。
実はひなさんのトイレトレーニングに失敗しているぼくとしては、覚えてもらうことに不安があった。ひなさんはぼくの号令がないとトイレに行けない子になってしまったのだが、年を取ってからの方が自分でできる回数が増えたのはなぜなのか、今でもわからない。獣医さんに相談すると
「号令で行けるほうが貴重じゃない。いいんじゃないかな」
で、終わってしまった話なのだが、号令忘れをすると粗相が半端ないので、未だに苦労している点でもある。だが、ここで彼女の名誉のために言っておかねばなるまい。彼女は決してバカではない。
ぼくに対して不満があると、それを物理的な攻撃でもって意思表示するくらいには考えて生きている。
例えばである。ぼくが出掛けようと支度をする。彼女は留守番をしなければならない。おまえ、一人で行くのかよの不満を、うんち爆弾という手を使って示す。しかもだ、見えにくい、かつ、ぼくの進路に確実にトラップを仕掛ける。急いでいるぼくは、まんまとその罠に引っ掛かり、あの、なんとも言えない感覚に悶絶するのである。それを悪いと思っている彼女は物陰に隠れて、ぼくの様子をうかがっている。いや、躾が悪いと言われればそれまでの話だが、このトラップ、実に巧妙で、何度、この罠に掛かったかわからない。
絶対に作為的である。明らかに狙ってやっているとしか思えないタイミングと経路なのである。
話がそれたので本題に戻るが、こういうこともあり、ここでねこさんに覚えてもらえなかったら、ぼくは彼らの粗相を一日中、拭いて回らないといけなくなってしまうのであった。
だから、ねこさんが自力でトイレに行き、うんちをしたければ『にゃーん』とか細いながら鳴いてくれることは非常にありがたかった。そして、ほんの数回で覚えてくれたことも、ねこって楽ね、しつけしなくていいのね(いや、誘導して、多少なりのしつけはしたが、いぬほど根気は必要としない)と、ねこの飼いやすさに唸ってしまったのも正直なところだ。
元気なねこであれば、トイレの問題はいとも簡単にクリアできるだろう。しかし、弱っているとなれば、いろいろな問題が出てくる。その子の身体の大きさ、足腰の強さなどを考慮しながらトイレ本体、砂の形状を選ばねばならないのだと教えてもらった日々だったのである。




