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その32 食

 王都アマノシュタット東門詰め所で、俺ジャン・ピエールは書類仕事に励んでいた。

 俺は中隊長に昇進するのだが、昇進研修のため何日か空ける。そこで後を任せる副隊長、要するに隊で一番経験豊富な兵士長に渡す書類を前もって作成しているわけだ。


「む……もう昼か」


 俺の精励を打ち砕いたのは、漂ってくる美味しそうな匂いだった。詰め所が大通りのそばだから、昼時になると食堂とかの匂いが直撃するんだ。


「さて、今日の昼飯はどうしようかな」


 勝てぬ戦いはしないのが、良い戦士というものだ。というわけで俺は作業を中断し、席を立つ。


 さて、ここで王都のちょっとした問題について話をしよう。

 ここアマノ王国ではコメは高価だっていうのは再三述べてきた。それなら主食はというと、当然ながらパンだ。

 だけど、パンといっても出身国で色々違う。国によって細かい作り方や風味が違うから、長期間故郷のパンを食べないとやっぱりストレスがたまるわけだ。日本人が『米』を食いたくなる心情と一緒だね。


 この世界はパンの種類も地球の該当する地方に準拠しているみたいで、メリエンヌ王国はバゲットをはじめとしたフランスパン系だったり、アマノ王国というか旧帝国からの伝統はドイツ風のライ麦パンだったりするわけだ。

 しかしアマノ王国は各国から人が集まったから、パンも色々になった。移り住んだ者達の出身国ごとに、パン職人も移住してきたんだ。やっぱりパン職人の次男三男らしいが、お陰で需要に対応できている。


 そうそう、パンといえばこの世界のパンは、実はちゃんと柔らかいし美味しいんだ。地球でも発酵は古代エジプトとかの昔からあったそうだが、中世くらいだとあまり膨らんでいないものも多いし随分酸味が強かったとか。

 でも、この世界のパンは現代日本と変わらない。やっぱり聖人がもたらした技術の一つなんだろうな。

 そういえば地球というか日本じゃ、その国を代表するパンには国名を付けて呼んだりしたけど、もしアマノ王国だとどんなパンになるのかな?

 旧帝国系でポピュラーなのはドイツのミッシュブロートに相当するパンだけど、小麦とライ麦の比率で好き好きが分かれるんだよな。

 もし大々的にコメが栽培されるようになったら、米粉にして外はカリッと、中はもっちりなパンが実現するかも……国内産の米が安く流通するようになったらだけど。


「よっし、今日の昼飯はオオマスの燻製サンドだな」


 オオマスとは鮭のような魚だ。海に出ない種類で、近くのアマノ川やアマノ湖に沢山いるから王都でも色んな料理に使われている。


 俺は詰め所を出て大通りに出る。通りの両脇、通行の邪魔にならないところにそこそこな数の屋台が出ているんで、そこで買うんだ。

 この屋台も帝国打倒後から少しづつ増えてきたものだ。門内広場……城門を入ってすぐの広場で、馬車の邪魔にならない端で商売をしている。旧帝国時代は人の行き来も簡単じゃなかったらしいし、屋台のような簡易売店は必要じゃなかったんだろうなぁ。


 門前広場、外側では農民の方々が露天市をやっている。近くの農村から野菜なんかを売りに来るんだ。

 これは王都の中に卸すものとは別だ。市場に持っていくより、直販の方が利が大きいんだろうね。それとも市場での売れ残りを捌いているのかも。

 扱っている品は市場も露天も同じで近隣の品だけだ。まだ輸送能力が低いから、遠方の珍しい作物は一部の商会の直営店に行かないと売っていない。

 王都の住民でも、外の露天を覗く者は結構いる。城門の出入りは俺たちのチェックがあるから多少時間が掛かるが、それでも露天の方が安いから節約になるんだろうな。

 俺も露天に顔なじみのおっちゃん、おばちゃんがいるしね。エーファさんに野菜の買い出しを頼まれる時があるのはちょっと笑えないよな。


 っと、目的のオオマスサンドとポトフ、追加でシカ肉の串焼きを買ってきた。

 農村だとシカは作物を食い荒らす害獣だから、結構狩られているみたいで、一定頻度で肉として売りに出されている。

 畜産は牛や豚だと一般向けが始まったばかりだし、肉を食べるならこういったのもアリだね。ジンギスカンにしたいなぁ……。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「おい、イギー。隊長、何を呟いていたんだ?」


「十月からのこと、言っていなかったか?」


 ジャン・ピエールが外に出ると、詰め所にいた者達は揃って一人の男へと顔を向けた。彼らが見つめている先には、狼の獣人イグレットがいる。

 イグレットは、ジャンの小隊で最も耳が良い。獣人族は人族に比べ感覚が鋭敏で、しかも彼は狼の獣人だ。これに勝てる者はエルフくらいだろう。


「その……『勝てぬ戦いはしない』とか、『出身国で色々違う』とか……それに『聖人のもたらした技術』って……」


 途切れ途切れにイグレットは語り出す。

 あまり聞こえていなかったのか、それともジャンの呟いたことが理解できなかったのか、イグレットは随分と困った様子だ。頭上の狼耳も僅かに伏せ気味となっている。


「まさか、本部への転属か? 残ってくださるんじゃなかったのか?」


「所属は変わらず東門大隊だと伺ったが、特命の偽装かもな……」


 隊員達は、十月からジャンがどうなるかが気になるようだ。

 ジャンは中隊長に昇進するが、彼の中隊に自分達の小隊が含まれるか。新配属先は変わらず東門大隊であっても、旧来の部下が優先されるとも限らない。それらを隊員達は案じているようだ。

 彼らはジャンを随分と慕っているようで、全員がイグレットへと詰め掛けている。


「隊長、妙に色々知っているからな。訓練も色々工夫しているし、魔道具子爵様とも仲が良いし……」


「ああ、新しい魔道具の試験を任されたりな。隊長からの報告、子爵様も楽しみにしているらしいぜ」


 大隊に残ると告げられたのに、隊員達が引き抜きを心配する理由。それはジャンの特異な才能……と彼らが思っているものが原因のようだ。

 ジャンは転生前に学んだこと、つまり日本で得た知識を活用しているだけだ。しかし知らない者からすれば、彼は多才な人物と映るのだろう。

 実際ジャンが魔術師で技術庁長官のミュレ子爵マルタンと語る内容は、並の小隊長とは思えないものだ。隊員たちの評価は、客観的に見ても間違っていない。


「他には何を?」


「それが『ハッコウ』とか……発光の術ですかね? 隊長、お得意ですし」


 どうもイグレットは、後半を殆ど聞き取れなかったようだ。それに聞き取れたとしても、日本やドイツなど地球由来の固有名詞を彼は理解できないだろう。


「ディーター、お前知らないか?」


「い、いえ……」


 若手の隊員ディードリッヒ・アインスバインは、微かに動揺を滲ませながら先輩に答えた。

 ディードリッヒの妹エーディトは、ジャンと食事を共にする仲になった。そのためディードリッヒは妹から得た情報も持っているのだろう。

 しかし下手に披露すると出所を疑われる。そのためディードリッヒは、曖昧な答えに留めたようだ。


「怪しいな……もしやお前、隊長付きとして一緒に異動するのか!?」


「あるかもしれんな……ディーター、白状しろ!」


 比較的古参の隊員たちが、ディードリッヒを囲み問い詰める。もっとも古参隊員たちの顔には笑みが浮かんでおり、本気ではなさそうだ。休憩時の戯れといったところなのだろう。

 隊員の出身は様々らしく、人族や獣人族の双方がいるし、獣人族には南方系の者も半数ほどいる。もっとも共に行動するようになってから長いから、種族や故郷の違いなど彼らの頭には無いようだ。


「戻ったぞ! 今日はオオマスサンドとポトフ、シカ肉の串焼きだ!」


 ジャンは両手一杯に荷物を抱えていた。彼は隊員たちの昼食も買ってきたのだ。


「イギー、皆に配れ!」


「は、はい!」


 ジャンは狼の獣人イグレットを呼び寄せ、荷物を手渡す。そして彼はディードリッヒや古参隊員たちが集う一角へと歩んでいった。


「新人いじめじゃないだろうな?」


「まさか! 俺達は『気高き王都守護隊』ですぜ!」


 からかうジャンに、古参隊員の一人が冗談混じりで応じた。

 隊員が挙げたのはジャンが考案した訓練歌の一節なのだ。今ではジャンの小隊以外でも使っているが、彼らにとっては特に意味のあるもののようだ。


「そうだな。それに、もうディーターも新人じゃないか……あれから四ヶ月近く、早いもんだ」


 どうやらジャンは、ディードリッヒが配属されたときを思い出しているらしい。彼は少しばかり懐かしげな表情となっている。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 六月上旬のアマノシュタット。建国からしばらくして落ち着いてきた非番の前日、俺ジャン・ピエールは小隊の部下たちを引き連れてとある料理屋に出かけた。

 少し前に再編で部下が入れ替わり、我が小隊に新たな隊員ディートリッヒ・アインスバインがやってきた。そこで俺は歓迎会と称して飲み会を企画したのだ。

 翌日は非番で多少飲みすぎても問題ない。そこで俺は小隊の全員を引き連れ、当時東門街に店を出したばかりのカンビーニ料理の店に足を運んだ。


 その店の売りは石窯で焼いたピッツァで、アマノ王国内では栽培が進んでいないトマトのソースを使っていた。当時は今よりも珍しいから、旧帝国人の客も結構入っていたな。

 ちなみに今は一部の野菜が国内産になり、もっと安くできるようなった。だから庶民の味として、かなり馴染んだそうだ。


「それでは我が隊に新しく加わったディートリッヒ・アインスバイン、ディーター君の前途を祝してかんぱ~い!」


 神への祈りは忘れてないが、それでも飲み会に乾杯の音頭は必須だ。そこで俺は声を張り上げ、各々も手にエールの入ったカップを掲げた。

 大半は既に何ヶ月も一緒にやっているから、乾杯も息が合っている。もっとも初めて参加するディーターは、少し遅れていたけどね。

 もちろん今はそんなことはないが、その辺りも懐かしい思い出だ。


「しかし、自分がこうやって各国の出身者と一緒に酒を飲むことになるとは夢にも思いませんでしたよ」


 ディーターは、しみじみとした感じの顔だった。主賓ということで隣に座らせたから、よく覚えている。


 帝国時代は国内に他国人がいなかったから、ディーターは驚いただろうな。

 旧帝国では、極めて一部の人間しか外国のことを知らなかった。知っていても隣国であるメリエンヌ王国の名前くらいだったようだ。実際に三ヶ月ほど前のディーターは、カンビーニ王国やガルゴン王国などを知らなかったそうだ。


「それは俺たちもそうだな。帝国は敵だった、でもそれを変えてくれたのは我らが主君だ」


 そう言いながら、俺は焼きたてのピッツァにかじりついた。

 宴会用として頼んだから、種類は結構あった。チーズとトマトソースはこの店独自だが、他の素材は国内で用意できるものを工夫して使っていた。中には思いもよらない組み合わせもあるが、どれも満足できる味だったな。


「……だから今度は、俺たちが主君のために町の平和を護らないといかん」


 俺としては、主君のためだけじゃなく仲間や更に多くの人のためにも、と言いたい。しかし旧帝国の教育は、随分と偏っていたらしい。だから俺はディーターに理解しやすいだろう言葉にしておいた。


「そうですね、帝国時代じゃこんな美味いものを食う機会だってなかったですし」


 ディーターは手に持ったピッツァを見つめていた。

 ピッツァはメリエンヌ王国の北部、つまり俺の出身ベルレアン伯爵領でも殆ど目にしないものだ。でも、そういうことじゃなかったんだと思う。

 旧帝国の平民の生活事情は劣悪だった。兵士くらいだと同じらしく、メリエンヌ王国で言う従士や下級騎士は、特別な時を除くとかなり質素な生活をしていたようだ。


「お前、帝国時代も兵士だったんだろ? つまり騎士や従士じゃないのか?」


「いいもん食ってたんじゃないのか?」


 隊員たちは、怪訝そうな顔でディーターに訊ねていたよ。

 この隊に旧帝国人が配属されたのは初めてだった。そのため隊員たちも彼らの実態を詳しく知っているわけじゃなかったんだ。

 旧帝国人でも軍人や官僚だった者は、異神の支配を解いてからメリエンヌ学園やその分校で再教育を受けた。だから当時は、普通の兵士だと旧帝国軍人を知っている者は少なかったんだ。


「そんなことはないです。ウチのような家だと街の者と同じですよ。俺なんか下っ端の兵士ですし。

……あの時、でっかい二頭の岩の竜が頭の上を飛んでいったとき……生きた心地もせずに見上げていただけですよ」


 ディーターの言葉に、隊員たちが苦笑を浮かべた。

 このとき隊員たちもディーターが……というか旧帝国の普通の人が俺たちと変わらないって判ったようだ。早々に歓迎会を開いた甲斐があったと思ったよ。


「あ~、文字通り『岩の竜』だったからなぁ、あれ。俺もあの中にいたんだけどな」


 あのときの宴会では、帝都決戦に参加したのは俺だけだった。そこで俺は、当時のことを少しだけ話すことにした。


 魔人とか、あまり触れたくないこともある。でも、俺が宮殿で見たのは敵だけじゃない。

 異形に(おび)え逃げ惑った人たちは、俺たちや家族と何も変わらない……それは、実際に見た俺が語るべきことだろう。


 そんな思いを篭めたからか、単純に同じものを食べたからか、ディーターは自然に隊に馴染んでいった。今では、こんな感じで古参隊員たちのオモチャになるくらいにね。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 前半はアマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その31」の直後なので、創世暦1001年9月3日以降のことです。


 後半は、創世暦1001年6月の上旬です。アマノ王国が建国した直後のことです。


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