風化する権威とそうでないもの
プラダを着た悪魔という映画を観た。途中からだったが、ギンギンの音楽とギンギンのファッション界とギンギンのアンハサウェイと編集長に度肝を抜かれる。
これ観た後、アニメを観たら貧乏臭い作画に落胆した。稀に実写が空想の世界を上回る場合がある。レオンの時のナタリーポートマンの美少女度もそれに値する。
昔、横浜駅の東口でプラカードを持ったおじさんがナタリーポートマンは凄いんですと一人で宣伝していたことがあった。人が人に取り憑かれるというのはああいうのを指すのではないか。今ならあのおじさんの気持ちがわからないでもない。
話をプラダを着た悪魔に戻すが、思っていたラストと少し違っていた。
横暴な編集長の首を取る話かと思いきや、主人公は華やかなファッション界から足を洗い、元々やりたかったジャーナリストの道を志す所で終わっている。
私が意外と感じるのは現在我々の取り巻く環境が欲望を代弁する手段にこと欠かないせいだろうか。
代弁と書いたのは、本当に欲望を解消する捌け口が存在しないからだ。追放ものの小説で溜飲を下げたり、オーディションを勝ち抜いたアイドルが縄跳びする姿を見て努力した気分になる。
努力賞で満足出来ない人間はどうすればいいのか。努力が報われないからこそ努力賞で満足すべきか。
欲望は以前より表面化しやすいのに、自分が本当に向かうべき対象が見つけにくい。憶測だが、プラダを着た悪魔が公開されていた頃はまだ華美でギンギンのファッション界と、実直で泥臭いジャーナリストという構図が成立していたのではないか。
今はもっと曖昧でわかりにくいため、人は立ちすくむ。あるべきロールモデルを求め過ぎて苦しむ人は多いと思う。その心の隙間に代用品は入り込む。
実際は税金の支払いとマスカキできれば、文句言われないけどね。それも難しいとなるといよいよ大変な時代になってくるだろう。
アパレル苦戦とよく言われているが、ブランドの力は健在のように感じる。確からしいものはやはり必要なのだ。ネット小説はどうだ。レコ◯やモ◯ドセレ◯ションくらいの権威はあるか。
あってもなくても、ドルチェアンドガッバーナの香水に流されるようでは心許ないと思う。




