平成の心残り
元号が変わる、らしい。お祝いムード、らしい。
私はイマイチ乗り切れず距離を置いている。元号が切り替わるのが初めてなので、どう反応するのが適切かまだわからない。多くの人も似たようなものではなかろうか。
テレビで平成にはこんなことがありました、と列挙する番組があったが、遠い世界の出来事のようで、また距離を感じる。
大きく報道された事件の陰で小さな事件とも呼べない出来事が積み重ねられているような気がしてならない。それは個人の経験にまで突き詰められた言ってしまえばとるに足らない事かもしれないが、忘れてはいけないことではなかったか。
元号が切り替わる日に死にたくなった。理由はキリがいいからである。古いソフトウェアを廃棄するように自分を始末したくなった。昨日親に話したら、
「自殺するには準備がいるでしょ? 一日でたりるの?」
親の指摘は半分正しい。が、半分間違っている。人は準備なしに死ねる。
私は洗濯物を干している最中に首を吊ろうとした事がある。朝は爽快な気分だった。にもかかわらず、気づけばタオルを首にかけて体重を預けようとしていた。気持ち良かったけど死ねなかった。行為に踏み切る明確な理由も障害も意味をなさない事がある。
子供の頃は学校に行きたくないからとか部活に行きたくないからという理由で、風邪薬をガブ飲みした。当然死ねない。胃が痛くなるだけだった。本当は死ぬ気などないのかもしれないが、今でも睡眠薬は手元にある。
今日は何人死んだだろう。きっと私と同じ理由で死を選んだ人もいるに違いない。身近にそういう方がいたら念のため目を離さないで下さい。いちおう。
私のように悪い事を人のせいにできるファッションメンヘラはなかなか死なないと思う。安楽死できるなら今すぐ死ぬが、時代の空気に殺されるのは勿体無い。令和は社会主義の時代になるので、若者は執拗におま○こしろと言われるでしょうが、セクサロイドを担いで戦いましょう。
ギアスのC2みたいなセクサロイドできたら人間とおま○こせえへんわ。せやろ? 社会君の負けー。つまり未来は明るいのだ。
セクサロイドに勝てない社会君なんかどうでもええねん。
君の命が大事。とにかく死ぬんじゃねえぞ。わかったらクソして寝ろ。




