第一話 楽しい修学旅行
季節は初夏、五月半ばの頃。
とある高速道路上に、一際目立つ大型車両が走っていた。
車体の色は、白地に赤と青のトリコロールカラー。フロントガラスの向こう側に大きな表札が付いていた。そこに書かれた内容が、車両の正体を如実に表している。
〈アトリン学園中等部修学旅行〉
アトリン学園。世界随一の複合企業体「アトリン財団」が日本のM県に作った中高一貫の教育機関だ。
スポンサーが世界随一の金持ち企業であるが故に、それなりに教育設備は充実している。その為か、学費が只同然。地元では最寄りの公立高より人気が高い。
尤も、世界随一のお金持ちの恩恵を受ける機会は、高等部に入ってから。中等部のカリキュラムは、公立高校のものと大差無い。修学旅行も然り。
修学旅行の目的地は近隣の古都。生徒間では「小学校のときに行った」と文句の声が上がっている。出発直前まで愚痴を垂れる生徒も少なくなかった。
それでも、そこは多感な中学生。旅に出てしまうと心境も変わる。それなりにテンションも上がる。
バスが発車すると、車内に並んだ布製の座席から野生動物の如き奇声が上がる。滅茶苦茶煩い。
動物園の如き喧騒の中、無理やり割って入るように、高音の美声がマイク越しに響き渡った。
「本日は、当アトリン交通のバスをご利用頂き有難うございます」
声の主は、車中の通路に立つ制服姿の成人女性。バスガイドの初音さん。彼女の言葉に、奇声の主達がこぞって反応した。
「いえ~い」「うひょ~」「やんや、やんや」
車内は一層騒がしくなった。尤も、全ての生徒が騒いでいる訳ではない。煩いのは後ろの方だけ。野生化している生徒は、全員後部座席に集中している。
中段より前列の生徒は、自分の手元を見詰めながら静かに座っていた。彼らは「我関せず」といった様子で、それぞれの手の中に有る物体、スマホを弄り倒している。
前後の席で、様子がまるで違う。一応、全員同い年の中学三年生。しかしながら、基本的には別の個体だ。それぞれに個性や属性が有る。
騒いでいる生徒達は陽キャ。無口な生徒は陰キャ。今日という日の意味を考えると、陽キャ達の反応が正解と思えなくもない。
しかし、楽しみ方もまた個人の自由。それぞれの考え方、生き方が有る。それを選ぶのは自分自身。自分の選択の報いは全て自分が受けることになる。それだけのこと。そのように、俺は考えている。
俺の名前は「愛洲龍寿」。公的な所属はアトリン学園中等部三年A組、出席番号四番(頭文字順)。
アトリン学園の中等部三年生である以上、俺も当然のようにバスの座席に着いている。
場所は――運転手側の二列目。引率教師(男性)の後ろの席だ。
俺が選んだ席は、陽キャは元より、陰キャの生徒達も全力で回避している。事実として、俺の隣は空席だ。生徒の代わりに俺のバッグを置いている。
この席を選んだ際、周りの生徒達からは奇異な視線を向けられた。「止めとけ」と助言する生徒もいた。それでも、俺は自分の意志を曲げなかった。
俺は敢えてハズレ席を選んだ。別に自棄になっていた訳ではない。修学旅行を忌避していた訳でもない。
俺は、俺なりに修学旅行を楽しむ為に、最善と思える選択をしただけ。
俺は、誰の意見にも左右されず、自分のやりたいようにやる。
唯我独尊。このような思考に至った理由は、俺の根幹に根付いている愛洲家の家訓だろう。
「何処にいようが、どんな環境だろうが、自分の思うが儘に生きる」
我が家の人間は、俺を含めてとことんマイペース。最優先目標を決めて、それ以外は執着しない。
例え修学旅行であろうとも、他者に迎合する気は無い。俺は「マイペースで楽しむ」と決めている。その為、友達も少ない。生徒間では「ぼっち」と認定されている。
尤も、俺としては壁を作っているつもりは全く無い。他人を拒む気も無い。必要が無ければ、こちらからかかわろうとしないだけのこと。
俺は、教室にいるときと同じように、茫洋と外の景色を眺めていた。その最中、前の席から声が上がった。
「愛洲、楽しんでいるか?」
ハスキーな壮年男性の声。それに反応して、俺は前の席の方を見た。すると、俺の視界に背もたれの上に乗った壮年男性の顔が映った。
短く刈り込んだ髪に厳めしい顔付き。ラガーマンと錯覚するほど体格が良い。体育会系と思える。しかし、彼の担当教科は数学だ。
アトリン学園三年A組担任、吉村景虎。
見た目は厳ついが、俺は彼に「気さくで親しみ易い」という印象を持っている。要するに、気を許している。
俺はニッコリ笑みを浮かべながら、吉村先生に向かって声を上げた。
「楽しんでますよ。いつもと違う景色を眺めるのは面白いです」
俺が返事をすると、吉村先生は厳めしい顔に笑みを浮かべながら「そうか」と満足げに頷いた。その反応を見ると、俺の口角も一層上がっていく。その表情は、吉村先生の視界にも映っていた。
吉村先生は、徐に右手を掲げた。そこには揚げ菓子の袋が有った。
「食べるか?」
吉村先生は、自身で購入したであろう菓子を勧めてきた。俺にとって好物という訳ではなかった。しかし、苦手という訳でもない。
「ありがとうございます」
俺は謝意を伝えながら、右手を伸ばして袋の中の菓子を摘まんだ。
塩を振り掛けた、何の変哲もない揚げ菓子だ。それを躊躇いなく口に入れて、モグモグ食べた。想像通りの味がした。それでも、
「美味しいです」
お世辞ではない。素直な感想だ。自己分析すると「吉村先生の気遣いが嬉しかった」といったところ。
俺の想いと言葉は、吉村先生に届いたようだ。
「そうか」
吉村先生は一層嬉しそうに破顔した。その反応を見て、俺の口角も一層上がった。お返ししたい気持ちも沸く。しかし、俺はお菓子を持ってきていなかった。
そもそも、愛洲家には市販のお菓子を食べる習慣が無い。「自分の食べたいものは、自分で作る」と、食事は殆ど自家製だ。その事実を想起しながら、俺は隣の席に置いていた自分のバッグを開いた。
「バナナ、食べます?」
俺はバッグからバナナを一本取り出した。それを吉村先生に渡すと、彼は美味しそうに食べた。その様子を見て、俺は失礼ながらも動物園のゴリラを想起した。
俺が脳内で「うほ、うほ」と擬音を奏でながら吉村先生の食事を鑑賞した。その間、後部座席は一層激しく盛り上がっている。
生徒が挙げる奇声だけでなく、何らかのゲームのBGMが大音量で流れていた。
他の生徒達は、俺以上に自分の欲望に忠実に過ごしている様子。俺も、誰にも邪魔されずに奇異な風景(バナナを食べる吉村先生)を鑑賞できて良い。
俺は微笑みながら吉村先生を観察していた。その最中、俺の耳に風鈴の音のような澄んだ美声が飛び込んだ。
「湊本さん――っと、楽しんでいますか?」
幻想的なまでに美しい声。著名な声優を彷彿させる。それが耳に入った瞬間、俺は反射的に通路の向かい側の席を見た。
反対側の最前席、その背もたれから若年女性が顔を出していた。その相貌は、遠目からでも見惚れるほどに美しい。
艶やかな長い黒髪に、黒真珠のような暗色の瞳。天才彫刻家の最高傑作と錯覚するほど整った造形。とても同じ人間とは思えない。しかし、異質な要素は外観だけ。中身や性癖は世俗的、いや、幼稚かもしれない。
三年A組副担任、花鶏莉愛。
担当教科は社会。自ら「歴女」と公言している。その嗜好を満たす為に「歴史研究会」という文科系クラブを立ち上げている。
彼女の横暴な行為に対して、思うところが無い訳ではない。尤も、彼女を詰る人間は、生徒を含めて、学校関係者の中には殆どいない。
花鶏先生は、皆の間では「温厚な美人教師」として周知されている。人気も高い。彼女を嫌いな生徒は、殆どいない。
その大多数の中に、残念ながら俺は含まれていなかった。
何か、苦手なんだよな。
相性というやつだろう。花鶏先生の顔が視界に入るや否や、俺は直ぐ様視線を逸らした。その直後、俺の耳に別の女性(女子)の声が飛び込んだ。
「はい、楽しいです」
肯定の返事。しかし、口調は冷淡だ。機械音声と錯覚するほど感情が無い。その不気味な印象が気になって、俺は声の主を見た。
俺の隣、通路を挟んだ向かい側の席に、アトリン学園の制服をまとった女子生徒の姿が有った。
肩口で切り揃えられた黒髪。顔の造形は、俺的には結構整っていると思う。尤も、花鶏先生の顔と並べてしまうと見劣りする。二人の顔が目に入ったならば、百人中九十九人は花鶏先生の方を見るだろう。
唯一人の例外は、今の俺。
俺の視線は、黒髪ロブヘア女子の方に吸い寄せられている。その横顔を見詰めながら、脳内で彼女の名前を想起していた。
アトリン学園中等部三年A組四十番、湊本水雲。俺にとって、因縁浅からぬ仲の女子。
水雲とは幼稚園以来の腐れ縁。故有って一時期離れていた。それでも、俺の半生に於いて「最も長い時間を過ごした異性(祖母と母を除く)」と断言できる。
俺の視界に映った水雲の表情は、声音通りに冷淡――全くの無だ。
水雲は、生気を微塵も覚えない顔を上げて、花鶏先生を真正面から見詰めている。
付き合いの長い俺にとっては、いつもの水雲。しかし、俺ほどの付き合いが無い者にとっては別の印象を覚えさせるようだ。
水雲の無機質な視線に晒されて、花鶏先生の顔に苦笑が浮かんだ。続け様に、歪に吊り上がった口を開いて、
「そ、そう」
花鶏先生は、気まずげな返事をした後、スゴスゴと背もたれの向こう側に顔を引っ込めてしまった。その行為を以て、教師と生徒の会話は終了した。その様子を見ると二人の相性は悪いと思える。
尤も、水雲は誰に対しても冷淡だ。俺と同じく「ぼっち」と認定されているものの、程度が違い過ぎる。
水雲は、他者に壁を作っていた。俺以上に孤高を貫いている。その理由を、俺は知っている。
それを簡潔に言えば「家庭の事情」だ。その内容に関しては、学園の教員達も知っている。当然、花鶏先生も知っている。
だからこそ、花鶏先生は水雲とかかわろうとした。これからも、何事かに付け話し掛けるだろう。
しかしながら、水雲の事情を知る人間は限られている。暗黙の緘口令が布かれている。生徒達にも知らされていない。
事情を知らない生徒間では、水雲は「超ぼっち」と評されている。俺以上に友達が少ない。ハッキリ言えば、俺一人だけ。
超ぼっちの境遇が、水雲の学園生活を空虚にしていた。俺のような唯我独尊タイプでも「良いことだ」とは言いかねる。
尤も、当の水雲本人には改善する気は毛頭無い様子。彼女の数少ない友達(俺)も、気にはなるが「矯正しよう」とまでは思わない。
報いを受けるのは自分。それぞれが、自分の思い思いに生きれば。
俺は水雲から視線を外して窓の外を眺めた。そのタイミングで、急に視界が真っ暗になった。
バスがトンネルに突入したのだろう。そう思った。ところが、直後に違和感を覚えた。
トンネルの中――暗過ぎないか?
トンネルの内壁が全く見えない。ライトも何も無い。
全くの暗闇。その事実を目の当たりにして、俺の首が盛大に傾いだ。他の生徒達も「おかしい」と騒ぎ出している。
「何だよ?」「ヤバくない?」「怖いんですけど」
バスの中に不穏な空気が漂い出した。その感覚が数秒続いたところで、唐突に視界が開けた。
その瞬間、俺はトンネルを抜けたと直感した。他の生徒達も同様だっただろう。
しかし、窓の外の風景は道路ではなかった。それどころか、俺達はバスの中にいなかった。
俺達は、どことも知らない真っ白けの空間、光の中に立っていた。




