第六話 母の教え Sideイベリス
「イベリス、よく聞きなさい。世の中には、使う者と使われる者がいるということを」
最初、母が何を言っているのか分からなかった。
でも、月日を経るに従って、その意味を知るようになった。
母は、父を愛している。
ただ、父が母を思う量と、母が父を思う量は、明らかに違った。
世の中の全てが母一色の父は、物事を決める基準が全て母だった。
兄の留学も、領地経営の方針も、娘に与える教育も。
普通なら嫁入りの為の作法等が中心の貴族女性にあって、私は、剣術、馬術、世界情勢まで余すことなく学ばせてもらえた。
そして、他人から自分がどう見えるのかを常に意識するよう努めた。
それは、決して悪い事ではない。
物事を円滑に進め、対人関係を良好に保つには必須の技術だと母に習った。
乳姉妹のアリッサムの母は、母の異母姉妹だった。
祖父が平民に産ませた娘で、ずっと下町で生活していたのを母は援助してたらしい。
そこには、姉妹の情などは存在しない。
ただ、祖父の血筋が増殖していくことを防ぐ為にも管理する必要があったのだ。
そして、彼女が子をなし、夫を失うと、手元に呼び寄せた。
将来、アリッサムが生むかもしれない子供達も把握するためだ。
彼女が、兄に恋したのは、偶然だと思う。
いや、もしかしたら、母の思惑に気づいた兄が、それらしく振る舞った結果かもしれない。
一途で愛情豊かなアリッサムは、一生独り身でいることを十代になったばかりの頃に決めてしまっていた。
そして、兄の妹である私を、自分の身を盾にしてでも守るのだと公言するようになった。
私は、とても複雑な気持ちだった。
アリッサムは、私を通して兄を見ている。
私は、いつも自分が透明人間になったような気分にさせられた。
そんな関係に変化が訪れたのは、私が侯爵家へ嫁がなければならなくなった時だった。
密かに隠れて泣いたのも、何処かでアリッサムが見ていると分かっていたから。
入れ替わろうと言われた時、ゾクリと背筋に何かを感じた。
それは、愉快にも、快感にも感じられ、母の言葉が脳裏に蘇った。
「イベリス、よく聞きなさい。世の中には、使う者と使われる者がいるということを」
その日から、一生懸命イベリスを演じるアリッサムを見守り続けた。
私は、表情を動かさず、ただ立っていればいい。
時折、あまりの腹立たしさに感情が漏れ出し、ハイドランジアには奇妙な者を見る視線を向けられた。
自分をコントロールし続けた母の偉大さを痛感する毎日だった。
白い結婚が成立するまでの三年間、私は、イベリスに仕える忠実な侍女を演じつつ、侯爵家にある図書館に潜り込み知識を蓄えた。
伯爵家にはない所蔵品は、誰にも手に取られず埃を被っていた。
それを一つ一つ紐解くことが、日々の喜びだった。
しかし、それも時が過ぎれば、退屈なものとなる。
何故なら、新しい蔵書が増えないから。
とうとう最後の一冊を読み終え、そろそろ潮時かと思った頃に、アリッサムが熱を出した。
このまま死なれては、私は、死人として扱われ、アリッサムとして生きていかなければならない。
「苦しいよぉ」
涙ぐむアリッサムを甲斐甲斐しく世話する姿は、他の使用人達の心を打つ。
水を変えてくれたり、果物を用意してくれたり、私に甘味を持ってきてくれたり。
なんとか峠を越えたアリッサムに、まさかハイドランジアがご執心になるとは思っていなかったが。
全てが片付き、実家に帰り、私は、再びイベリスとして生きる。
今日は、留学先に向かう大切な日。
荷物を整え、馬車に乗せるとさわやかな風が頬を撫でた。
「イベリス様、準備が整いました」
アリッサムは、当然といった顔で、私の斜め後ろに控える。
「新天地でも、よろしくね」
「勿論でございます」
私は、これから先も、母の教えを胸に、時にか弱く、時に華やかに、そして何者にも負けず強かに生きていく。
それが、私、イベリスなのだから。
イベリス 心を惹きつける。甘い誘惑。
アリッサム 美しさに勝る価値。
イベリスとアリッサムは、よく似た見た目をしている。
ハイドランジア【アジサイ】 移り気。浮気。無常。
ロベリア いつも愛らしい。謙遜。貞淑。悪意。
マーガレット 真実の愛。信頼。誠実。優しい思い出。




