第三話 妻に懇願する夫 Sideハイドランジア
「これを、君に……」
私は、王都で人気の店から取り寄せた焼き菓子を、イベリスの目の前に置いた。
「…………」
いつも通り無言だが、色鮮やかな箱には視線を向けた。
どうやら、甘味には興味があるらしい。
「食べてごらん。おいしいよ」
私は、さも味を知っている風に振る舞って蓋を開けた。
中には、何やら白いものがふりかけられた球体の焼き菓子が入っていた。
平べったいクッキーは見慣れているが、確かに珍しい形をしている。
「あ……スノーボール」
イベリスが初めて発した声は、少女のような幼さと、女性らしい甘さがあった。
「このお菓子を知っているのかい?」
私は、できるだけ優しく聞こえるように普段よりも高い声で話す。
しかし、未だに見知らぬ人という認識の男に心を許すはずもなく、イベリスは隣に立つアリッサムを不安げに見あげた。
「イベリス様は、こちらのお菓子と同じものを一度だけ食べられたことがあります。隣国に留学中のお兄様から送られたものだったと記憶しております」
主の代わりに答えた侍女は、端的に事実を述べるにとどめ、また口をつぐんだ。
流れる沈黙が居心地を悪くさせる。
明らかにイベリスも、私を歓迎している雰囲気ではない。
記憶はなくとも、周りの人間から聞く情報だけでも、私という人間に対して不信感しかないのだろう。
ただ、ここで引いてしまっては、彼女との距離を縮めることはできない。
「そうだ、イベリス。先日、友人から、こんなものを貰ってね」
私が取り出したのは、国立植物園からの招待状。
大きな改修工事が終わり、杮落しとして貴族達を集めてガーデンパーティーを開くらしい。
公の催しに愛人を連れて行くわけにもいかず一人で参加してきたが、大人の女性に成長した今のイベリスなら、会場でも一際目立つ存在となるだろう。
期待を胸にチケットをテーブルの上に乗せたが、
「ムリですわ」
即答されて、つい不機嫌な表情を浮かべてしまう。
「何故だ、イベリス?」
やや強く問い詰めると、イベリスは、不安げな顔でアリッサムの手を握り、私から顔を背けた。
「見知らぬ所に、いきなり行くのは怖いのです」
「私が付いている。怖がらなくても大丈夫だ」
「でも……また、放置されたら……」
「え?」
「私、『捨てられた妻』なのでしょう?三年も、放っておかれたんですもの。皆さん、ご存じなのでしょう?」
確かに事実だが、今更誰がそんな事をイベリスに吹き込んだのか?
使用人達は、流石に私が雇い主だと分かっている。
ならば、思い当たる人間は、一人しかいない。
「貴様か」
アリッサムに詰め寄ると、イベリスが慌てて立ち上がって間に立ち塞がった。
「違います!お庭で噂話をしているのが聞こえたのです」
どうやら、休息中のメイド達が、不用意に立ち話をしていたらしい。
私が別邸で住んでいたのは、幼馴染のロベリアを囲い込むためだったとか、社交界では『捨てられた妻』として有名だったとか、折角記憶を無くして忘れていたことまで掘り返し、新たに嫌な記憶を植え付けてしまっていたようだ。
「イベリス……すまない。私は、間違っていた。これからは、大丈夫だ。約束するよ」
三冊に及ぶ日記には、どれほど私を愛していたのか、それこそ気が狂うほどの文章量で書き込まれていた。
たとえ暫し忘れたとしても、あの思いが、そう簡単に消えるはずがない。
何かきっかけがあれば、必ず、私を再び愛してくれる。
そんな自信が、私の中にはあった。
しかし、イベリスの瞳はまるで害虫を見るような不快感に溢れている。
「約束なら、結婚式の時に神様の前でもされたのでは?それを守られていない方を信じることは出来ません」
正論という刃が、私の心臓をえぐる。
口先だけの約束など、彼女には何の意味もないのだ。
「本当だ!本当なんだ!私は、やっと気づいたんだ!」
「何故、今頃?」
「き、君の日記を読んだ。どれほど私を愛してくれていたのかを知ったんだ!」
絶叫にも近い大声で訴えると、益々イベリスの瞳は熱を無くし無感情になっていく。
「愛してくれるから愛するのですか?」
その質問に、私は、即座に答えられない。
「幼馴染の方は、どうなさるのですか?その方も、同じように愛し続けるのですか?」
「い、いや……それは……。彼女とは、ちゃんと縁を切る」
「ならば、また、新たに愛人が出来たら、私も縁を切られるのですね?」
絶対にないと、約束すると、言葉を綴ったとしても嘘にしか聞こえない。
自分自身そう思うのだ。
言われた相手は、未来で起こりうる私の裏切りをもっと確信しているだろう。
「なら……私は、どうすればいいんだ……」
私は、跪き、神に祈るように両手を組んだ。
「イベリス……お願いだから許しておくれ」
懇願などという言葉では表しきれない。
奴隷のように服従し、彼女の許可を得られるまで訴え続けるしかないのだろう。
勝ち目など全く無く、彼女の匙加減一つで地獄に落とされるのだ。
「………旦那様」
「なんだい、イベリス」
「私、少し疲れましたの。休んでもよろしいかしら?」
小さく首を傾げる姿は、無垢な少女がおねだりしているようにも見える。
「あ………あぁ……そうだね、イベリス。疲れてしまったよね」
私は、ゆっくりと立ち上がると、
「では、またね」
と言って部屋を出た。
自室に戻ると、便箋を出して手紙を書く。
イベリスに許される為には、先ずは、身の回りを整理しなければならない。
ロベリアとの関係を清算し、彼女のために融通した金銭の返還も求めなくては。
何故なら、その資金の出処はイベリスの実家である伯爵家なのだから。
ブドウの作付面積を増やすためとか、水路の改修工事をするだとか、何度かそれらしい理由で借り受けた金を男爵家の家業に回したことがある。
その時は、金づるとしか思っていなかった相手だが、彼らはイベリスの親族で、決して機嫌を損ねてはいけない相手なのだ。
今更気づいても遅いかもしれないが、何もしないわけにはいかない。
それ以外にも、ロベリアに便宜を図るよう省庁関係にも手を回していたが、そちらも止めなければ。
イベリスに知られる前に、全てを無かったことに………。




