シーグリッド「それから!? ねえそれから!? まあどうしましょう、私が貴女にお話しを聞かせるはずでしたのに!」
フォルコン号が南下し極夜の世界を脱出してからさらに三度の夜が過ぎた頃。ストークの首都イースタッドでのお話。
三人称で御願い致します。
グレーゲルに率いられた騎兵の一団は公女マリーを無事スヴァーヌの僻地から救出し、華やかなストークの都、イースタッドへと連れ戻して来た。
「マリー!!」
王宮の庭園では王女シーグリッドが自ら出迎えた。
「良かった、無事だったのね! すっかり大きくなって……貴女がこんな苦労をしていたなんて知らなかったわ。ごめんなさい……私、きっとお父様を懲らしめて差し上げますわ!」
淑やかだが腕白な所もあるシーグリッドはそう言って、馬車から降りて来たマリーを抱きしめる。マリーもシーグリッドの背中に手を伸ばす。
「ありがとうお姉様、だけどお父様とは仲良くしないと駄目なのよ」
マリーはシーグリッドに抱きしめられながら、馬車の扉の方を振り返る。
彼女の仮初めの父ペッテルはマリーのたっての願いにより、この旅の間はマリーの実父として扱われ、食事はマリーと同じ物を食べ、馬車ではマリーの隣に座り、宿でもマリーと同室で過ごしていた。しかしそれもここまでだった。
「私は……これで失礼致します。お母様の実家に貴女が戻った事を知らせて参ります。きっと皆様お喜びになりますよ」
馬車を降りたペッテルはその瞬間から、一人の衛士としての顔に戻り、マリーに恭しく礼を捧げ、踵を返して門の外へと立ち去って行く。マリーはその後ろ姿に、声にならない声を掛ける。
そこまでの事情を知らないシーグリッドはゆっくりとマリーの体を離し、その髪を撫でる。
「相変わらず優しいのね、マリー……長旅で疲れたでしょう、お部屋で休んではどう? 私がお話の本を読んであげるから……あらやだ、マリーはもう5歳の女の子じゃなかったわ」
「そんな事無いわ、私、久しぶりにお姉様の声で物語が聞きたい!」
「良かった! じゃあお部屋に行きましょう!」
無邪気なシーグリッドとマリーは、そのまま城の部屋の方へ向かう。
マリーをここまで護衛して来たグレーゲルは小さな溜息を漏らす。
そこへ。まるでシーグリッドとマリーが居なくなるのを待っていたかのように、庭園の小さな東屋の陰から一人の紳士が現れる。
「まずは一安心、という所だが」
「エイギル宰相閣下」
グレーゲルはすぐにその人物を認めて小さな目礼を送る。エイギルはそれを伏せ目がちに受け止める。エイギルには後ろめたい事がいくつもあった。
一方、今回の任務を通しマリー公女の愛らしさと芯の強さに惹かれ、その行く末を心配するようになっていたグレーゲルは、エイギルに自分が書いた報告書を手渡しながら尋ねる。
「何故この時期にマリー公女の恩赦があったのでしょう。それは純粋にレンネフェルト公の嘆願を聞き届けた事によるものなのですか?」
グレーゲルは気づいていた。今ストーク王国はレイヴンから臣従か滅亡かに近い決断を迫られている。
レイヴンに多額の賠償金を払うか、シーグリッド姫を政略結婚に差し出すか。シーグリッド姫を差し出せばレイヴンとの同盟は強固になるが、いずれレイヴン国王の息子がストーク国王になる恐れもある。
そういう事態を避けつつ、レイヴンが妥協してくれるかもしれない、差し出しやすい人質……一言で言えば、王家の血を色濃く引く公爵令嬢、マリー・レンネフェルトは政略結婚の持ち駒を増やす為に呼び戻されたのではないか。グレーゲルはそう考えていた。
「そこは王家の御家族の問題であり、臣下である我々が口出しする所ではない……むむ……マリー公女は海賊にさらわれる所であったと? 間一髪だったのか」
エイギルは今手渡されたばかりの報告書から目を上げる。
「閣下、その先をお読み下さい」
エイギルが報告書を読むのを途中でやめたと気づいたグレーゲルは、すぐにそう奏上する。しかし。
「グレーゲル殿……レンネフェルト公の父上は気性の激しい方だった。一方私がお会いした今のレンネフェルト公は穏やかな方であるようには見えた。しかしそれは5年も前の事……貴殿は半年前にレンネフェルト公に会見したと聞く。どうなのだ? レンネフェルト公の胸の内には、激しい情熱が眠っているのではないか」
「閣下、そこは正に臣下である我々が口出しする事では無いように存じます、それよりどうか報告書の続きを御覧下さい」
しかしエイギルは報告書をそっと折り畳み、懐に仕舞う。
「すまない、気も漫ろであった。私は今からまたレイヴンの特使と会わなくてはならぬのだ……マリー公女の恩赦には、確かに貴殿が言うような意味も含まれているのだと思う」
「どうかお構いなく、閣下、それより報告書を先に」
「白状すれば、貴殿が今戻って来てくれた事は大変都合が良かった。レイヴンの要求はますます苛烈を極めていて、我々の手札はあまりに少ない」
ついにグレーゲルは手を出し、宰相エイギルの袖を掴む。
「どうか報告書にお目通しを! その先に大事な事が書かれているのです!」
「解っている!」
エイギルは語気荒く答え、グレーゲルの手を振り払う。
「マリー公女を連れ戻した貴殿は、その行く先に心を痛めているのであろう! 彼女は今やっと宮殿に戻れたのに、今度は何処へ追い遣る気だと、そう言うのだな!? そうだ、私はこの後レイヴンに、シーグリッド姫の身代わりとしてレンネフェルト公爵令嬢の縁談を切り出さねばならん、貴殿も私を人でなしだと思うか? では誰が代わりに奴らの怒りを鎮めると言うのだ!」
「閣下!」
グレーゲルは今度は三歩下がって石畳に片膝を突き、最敬礼をして答える。
「どうか御願い致します、ただ今ただちに、報告書を最後までお読み下さい」
「マリー公女がただでさえ片田舎であるスヴァーヌのさらに奥地、狂戦士と熊しか住まぬフルベンゲンでどんな苦労をして来たかなど、私も人の子だ、解らぬと思うのか!? レイヴン特使を待たせているので、これで失礼する!」
「閣下!」
グレーゲルの呼び掛けも虚しく、エイギルはグレーゲルの報告書を懐にしまったまま、迎賓館の方へと足早に立ち去ってしまった。




