第五十一話「価値を食らう蛇」
今回の投稿は【第10回二ツ樹五輪プロジェクト】 引き籠もりヒーロー 第5巻出版(*■∀■*)の「二ツ樹五輪 次回Web投稿作品選定コース(限定7名)」に支援頂いたゆノじさんへのリターンとなります。(*´∀`*)
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あまりの事態に脳が理解を拒否していた。襲撃がなかったから良かったものの、戦場においては致命的な隙。下手すれば、ゴブリン相手ですら大怪我を負いかねない。
それほどに、目の前にあるものを否定したい。しかし、周囲のあらゆるものがそれを許してくれない。
たとえ空がなく不気味に蠢く闇の空間だったとしても、あらゆる要素が、新たな平行世界ですらない、脱出したはずの九十九世界であると示していたから。
そして、それは良く知る光景と同じでありつつも、決定的なまでに異なっている。
空だけじゃない。周囲のすべてには色がなかった。
灰色の世界。そう、それは今もなお拠点としている場所に見られる現象と同じ。それがどこまでも……いや、東京都の分だけ広がっているのに圧倒される。
「なんだ。………一体、どういう事なんだ」
呟いた言葉はきっと呼吸のようなもので、脳に酸素を送り込むための過ぎない。だが、奇しくもそれで脳が動き始めた。
……そう、今更過ぎるが、とりあえず空気はある。今はそういった小さい事から積み上げていく事が何より重要。それに気付かされた。
必死に脳を動かしで推察し、やがて一つの可能性に思い至る。
「……俺たちが脱出したあとの九十九世界って事なのか」
まず最初に思いつくのはそれ。というよりも、それしか考えられない。
あの時、急激に縮小を始めていた空間。幻を映し出していた障壁を破壊し、侵食し続けた結果がコレなのだとすれば、奇妙な納得感がある。
『前の世界の最後にあった現象が、消化とかだったら確かに怖いかも』
少し前に蒲公英が呟いた言葉が蘇る。
……これはまさに消化による侵食ではないのか。
なんとなく、納得感がある。
きっとあの壁は何かから東京都を守っていた。それがなんなのかは分からないし、あちら側が容易に覗けた事から物理的な何かではないのだろう。
色がないのだってその結果……そうだ、色がない事で見落としていたが、あきらかにすべてが劣化した光景だってその結果じゃないのか。
しゃがみ込み、屋上の床に触れると、雨風に晒されただけでは到底あり得ないほどにボロボロと崩れていく。今の俺なら、全力で叩けば下のフロアまで突き抜けるんじゃないかと思うほどに脆くなっていた。
屋上を囲む鉄柵もそう。試しに力を込めてみれば、数十年放置された廃墟でもこうはならないというレベルであっさりと壊れてしまった。
自然現象じゃない。コレが自然の雨風による風化だとすれば何年経過しているのか分からないのに、俺が寝かされたプレハブ小屋が原型を留めている時点で不自然なのだ。
……そう、コレは自然現象以外で劣化した結果だ。
その証拠に、プレハブ小屋の中にある見覚えのある物品の数々は、形を保っている。……なのに、不気味なほどに劣化が見られた。ほとんど風が当たらないであろう場所でだ。
「この世界では、あらゆるものが劣化している」
その事を口にした瞬間、脳裏に過ったのは、拠点で断末魔を上げて死んだゴブリンの姿。アレとコレは一緒のものではないか。
……駄目だ。とても脳内を整理できる状態じゃない。一度戻って相談……最低でも情報を整理すべきだ。
「……だけど、アレだけは確認しておきたい」
隣のビルの屋上に鎮座している巨大物。通信機の機能が生きていれば、神様たちと通信が可能なら、状況は劇的に改善する。
「ロープは……大丈夫そうだな」
ロープというかLANケーブルなんだが、とにかく隣のビルに移動してどうにかなる長さではない。ただ、一度下に降りて再度ビルを登れるほどの長さはなく、あくまで直線距離だ。いや、単に屋上間を直接移動すればいいだけなのだが、気になるのは強度。おそらく二号か柚子かが設置しただろうビル間の即席通路はあるのだが……。
「……怖」
普通なら行き来に問題のある強度ではないが、周囲のものがすべて劣化している今の状態だとちょっと……かなり怖い。
かといってジャンプして移動するのも、着地点に変な衝撃を与えそうで怖い。うーむ。
持ち込んだカードを見ても、上手い事橋になりそうなものはない。大質量のものはたいてい、ここまでの戦いで弾に使ってしまっている。
こうなると巨大かぼちゃをあそこで使ってしまったのはミス……いや、そもそもそんな大質量に耐えられるかすら怪しいし。
ビルの下を覗けば、当たり前のようにコンクリの地面が見えた。……最悪、落ちても死にはしないか。
ちょっと前までただの営業マンだった男にはあるまじき思考で踏ん切りをつけ、跳ぶ。
「とうっ!」
極力衝撃を与えないよう慎重にジャンプしてみれば結局、ビルが倒壊する事も屋上が抜ける事もなかった。実際に体験した強度に関してはさすがに杞憂だったと言うよりないが、それはまあいい。
……それで気付いた事が一つ。何か小さな違和感がある。さっきからずっと物質の強度……劣化具合に注意していたから分かる程度の差でしかないが、ほんの少しだけこちらの屋上のほうが頑丈に感じる。単なる構造の差、たまたまこちらのビルのほうが頑丈な素材で造られていた可能性もあるが……。
「ひょっとして、Jアンカーの周囲のほうが劣化が少ないのか?」
なんとなくでしかないものの、感触を確かめてみた感じではそんな気がしてならない。
そして、Jアンカー本体に関してもそうだ。あちらのプレハブ小屋と比べて劣化が進んでいない……ように感じる。灰色の世界で少しだけ色が付いているような。
……これは、期待していいのか?
「……動いてるぞ、これ」
中に入ってみれば、期待通り……あるいは想像と違って稼働状態にあった。いくつかの機器が動作音を鳴らし、ランプが明滅していた。弱々しく、劣化が見られないわけじゃないが、確かに生きている。
そして、備え付けのディスプレイに触れてみれば……起動した。
「お、おおおお、落ち着け、加賀智弥太郎」
ようやく見えた確かな希望に、声だけでなく体も震える。望んだ事なんだから動揺するな。落ち着け。
今すべき事は何だ。ここで何ができる。俺はJアンカーについて詳しく知っているわけじゃない。しかし、コレが何に使われていたくらいは分かる。
これは名前の通りアンカーだ。ウチの地球側から神様たちが座標を特定するための。つまり、コレが生きているという事は、こちらの座標が伝わっている可能性が高い。
以前、狭間の世界に設置したアンカーは特定できなかったが、だからと言ってこちらもそうだとは限らない。
そうだ、通信機能。あの時は気絶して前後関係が怪しくなっていたが、起きたあとは極当たり前に通信していたはず。……ええい、マニュアルはないのか。
くそ、通信を繋ぐ方法が分からない。……というよりも、その機能が生きている気がしない。画面上にあるいくつかのアイコンがグレイアウトしているのだ。
機器は確かに生きているものの、コンディションがいいとはお世辞にも言えない。正確には、システムがエラーを吐きまくっている中、かろうじてメンテナンスモードだけが立ち上がっている状態にも見えた。
「そうだ、メールなら」
以前、狭間の世界のビルでメール送信はした事がある。その手順なら分かる。
あの時、メールを送信しても再送信を繰り返すだけで失敗したようにも見えたが、アレは確かに送信されていたはずなのだ。
断続的に少量のパケットを飛ばしていたからか途中で切れたようになっていたものの、受信していた事実を聞かされている。
システムコンディションが怪しい今の状況なら、下手に映像や通話に期待するよりメールに期待したほうがいいのではないか。
「よし、手順は同じ。重いが、スクリーンキーボードも反応する」
メール入力画面まで起動できた。あとは今の状況を極力シンプルに伝えるメッセージを……。
限界まで文字を削り、もはや暗号のようになってしまったが、これでも十分に……最低でもこちらが健在な事と救助要請は伝わるはず。
こういう時、少ないバイト数で意味を確保できる漢字はマジ便利。1バイト差以上の輝きを感じる。
「頼む……っ!」
藁にも縋る思いで送信ボタンを押下。メッセージ入力していた時から反応は遅いと感じてはいたが、確かに送信処理が始まる。
肝心の送信結果は失敗……だが、あの時と同じように再送信処理が走っている。これなら、何かのタイミングでメールが飛ぶ可能性は普通にあり得る。
ヤキモキして仕方ないものの、それよりも希望が勝る。過去にそれが成功した前例があるという事実が、今は何よりも心強い。
とりあえず、メールに関してはこのまま放置するとして、あとは何ができる。
本格的に調査する必要があるのは確定としても、一旦は戻るべきだ。情報整理・共有の意味合いもあるが、今は落ち着く事が大事。
今の時点で最低限確認する事があるとすれば……マテリアライズか。なんでもいいからちゃんとマテリアライズ可能かどうかは確認する必要がある。
幸い、《 マテリアライズ 》は問題なく機能した。実験に使った《 使い古した便座カバー 》は屋上に放置してしまったものの、ゴブリンでもモドキでもそれを見て何か反応する事はないだろうから別に問題ないはずだ。色が消えた空間の中で、使い古されてなお鮮やかな色を放つ便座カバーは超シュール。
あとは、ここに続く階段の終端部について。良く確認してみれば、劣化が進み、終端部が屋上部に設置しておらず、不自然に浮かんでいる。そもそも物理的におかしいのだが、設置していないのはおかしいだろう。
このまま劣化が続けば、戻れなくなる可能性もあるが……劣化具合が奥まで進行している事、ビルの非常階段など、周囲に確認できる構造物が形状を保っている事から、脆くなっても形は残る可能性は高いのだろうと判断した。最悪行き来できなくなる可能性はあるが、飛び降りる事は可能……か?
「そういえば、こっちは障壁は機能してるのか? ……なんか確かめるモノあったっけ?」
それを確認するために、何か生き物のカードはないかと確認してみると、< オケラ >があったので《 マテリアライズ 》。階段の上でやったようにそれを投げてみると、ボロボロな時点で想像していた通り何事もなく通過した。
念のために階段側から投げてみても透過。オケラはそのままどこかに行ってしまったが、特に気にする事はないと放置。
「……ふむ」
そんな情報と後ろ髪を引かれる思いを抱えつつ、俺は階段を昇り、帰還する事にした。
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「というわけだ」
「あ……う、えーと、どう反応していいのか……」
「好材料も悪材料もてんこ盛りだったからな、その反応は分かる」
拠点に戻り、花を含めた全員に情報共有すると、返ってきたのは主に困惑だった。外と連絡が取れるかもしれないという好材料は大きいが、それ以外が想像の範疇から逸脱し過ぎてる。実際に体験した俺が整理できていないのだから、間接的に聞いた花たちが困惑するのも当然だ。
だが、確かに進展はあった。その先に希望があるかはまだ分からないが、どん詰まりみたいな状況から一歩進んだのは間違いない。
「状況整理をしよう」
・下へ続く階段には俺しか踏み入れられない。
・階段途中に中間地点を模したと思しき踊り場あり。
・階段の先には推定九十九世界。出口は《 Uターン・テレポート 》の転移先と同じビル屋上。つまり渋谷。
・空を映していた障壁はなく、その先には何もない暗闇。
・世界すべてが色を失った、劣化の進んだ世界。
・隣のビルに設置してあったJアンカーはかろうじて生きていて、救助依頼メールを繰り返し送信中。
「似たような状態でかろうじてメール送信に成功した実績はあるから、今回も期待はできるはずだ」
もちろん絶対じゃないが、分の悪い賭けとは思わない。あの時の経験があるから、文章圧縮って対策もとれた。
「外と連絡が付けば、他に取れる手も出てくる。それこそ、俺たちが足掻くよりも可能性の高い手段を用意できるだろう」
安易だが、前回以上の出力で転送してもらう手だって使えるだろうし、神様名乗ってる連中なら別の手段だってないはずがない。それでなくとも一度失敗した問題点を洗い出し、ノウハウとして活用すれば成功率も上がるだろう。
懸念があるとすれば、座標自体は特定できてるはずの現時点で動きが見えない事。ここが完全な隔離空間ではなく九十九世界と接続しているのなら、そちらのラインから調査、あのビル屋上の出入り口に気付く可能性だってあるはずなのに。
俺たちが死んでると思って、捜索を完全に断念……って線もなくはないが、現在の俺の立場や九十九姉妹の重要性を考慮するにちょっと考え難い。もちろん正確に把握しているわけじゃないが、捜索もせずに捨て置かれるほどに評価されていないとはとても思えないのだ。
まあ、たとえそうだとしても、今回のメールで進展するかもしれない。生存確認ができればさすがに動いてくれるはずだ。
こんな状況なら、強引にでも救援を寄越してくる可能性だってあるだろう。二号がいれば、少なくとも戦力的には一切の不安はなくなる。
「はーい、いくつか質問」
「はい、九十九蒲公英くん、どうぞ」
「あたしたちが階段行き来できない問題はどうするの? 同じように転送してもらうなら、せめて一箇所にまとめておきたいよね?」
「……ふむ」
この場にいる四人だけで救助を待つって手もなくはないが、それは他の九十九姉妹を見捨てるって事だ。手段としては否定できないが、口にはできないし俺もとりたくはない。何より、花たちはそういう犠牲を肯定しかねない雰囲気がある。だからこそ絶対に口にはできない。少なくとも、一人でも多く救出すべく足掻くべきだ。
「一応だが、なんとかなるかもしれないって可能性には思い至ってる」
「あれ、本当に? 再確認のつもりだったんだけど」
「コレは懸念でもあるんだが……劣化現象が階段の上まで進行すれば、通行可能になるかもしれない」
事実、階段下は崩れ、障壁も機能していなかった。元々あそこにも障壁があったのなら、それごと劣化したと考えるのが普通だろう。
「ただ、その結果このフロアが……いや、それよりも、ここが機能しなくなるかもしれないって問題がある。最悪、ガチャが使えなくなるかもしれない」
ただでさえ劣化板なガチャが更に劣化したら、それはただの粗大ごみだろう。
「明確に時間制限ができたって事ですか?」
花の言葉に頷く。ここまで口を挟まなかったのに何故このタイミングと思わなくもないが、重要性としてはおかしくない。
決して、ガチャを取り上げられる事を懸念して反応したのではないはずだと信じたい。
「時間制限そのものは確実にあると思う。もう一度下に行って、進行速度を確認しないと目安も分からんがな」
「それに合わせてあたしたちも下に行けそうって事か。でも、それまでここで待つって手は……ないよね、やっぱり」
「さすがに、得体の知れない侵食が近付くのを黙って見ているのはなしだろ。どうにもできないのならともかく」
超楽観的に考えるなら、通過できるようになるのを待って全員で移動。そこから急いで全員を回収して脱出と、ちょっとタスクが多過ぎる。
「そもそも脱出の手段を探る必要はあるわけで、どの道俺が下に行かないといけないのは変わらないんだよな」
「だよねー」
戦闘力に不安の残る奴を探索に出すのは俺自身も悩む問題ではあるが、ここは無理を通すしかない場面でもある。
「あと、確認したいんだが、東京近郊の地図とかここに運び込んでたりしないか?」
「え? そういえば確か見かけたような。急ぎでなければ私が探しておきますけど、何に……って、下の探索に使うんですね」
「ちょっと調べたい場所があってな。経路確認はしておきたい」
行くだけならどうとでもなるが、モドキを警戒しないといけない以上は同じ経路を使えるとは限らない。事前に確認できるならしておくべきだろう。
「明確にそんな場所があるんですか?」
「ああ。この施設があった場所……つまり新宿駅だ」
「……そういえば、確かにどうなってるんでしょう」
普通に考えるなら空っぽになっているだけなんだろうが、そうでない可能性も頭をよぎるのだ。
「カガチヤタローはどうなっていると思うの?」
「あんまり自信はないんだが……案外、そのまま残っているような気がするんだよな」
「……こことは別に? あ、実は繋がってたり? あの扉も向こう側からなら開くとか」
「繋がってる気はしない。……上手く説明できないんだが、ここはコピー……」
いや、そうじゃない。たとえるなら……そう。
「劣化コピーなんじゃないかって思うんだよな、うん」
「わざわざ言い直したのには何か意味が? 言われてみれば、いろいろと劣化した空間だけど」
そうだ。ここはあらゆるものが劣化している。色がない空間。劣化ガチャ。コモンチケット。セットしたら崩壊するコモン以上のカード。劣化した九十九世界。ひょっとしたら、徘徊しているゴブリンだって劣化版かもしれない。
「元々の話なんだが、ガチャの拠点とかダンジョンは俺の魂とかそういうものを空間として展開しているっぽいんだよ」
「ふむふむ。不思議パワー」
それは否定しないし、できない。
「で、なんとなくここもそうじゃないかって感覚があるんだ」
「え、ここって加賀智さんの中だったんですか?」
「いや、俺の中って言うとなんか語弊があるんだが……」
それだと、俺の体内に侵入されている感じがして気持ち悪い。あくまで感覚的な話ではあるんだが、そういうのとは違う気がする。
いやいや、今重要なのはそっちの定義じゃない。
「とにかく、ここは俺が自分の空間を展開しようとして失敗した空間な気がするんだよ。なんでそんな事になったのかは推察でしかないが、多分自己防衛とかそんな感じで。だから、この拠点についても、それに付随して再現に失敗した劣化コピーじゃないかと思うんだよな」
正直、根拠に乏しく、自信もないんだが、こうして口にしていると正解な気がしてくる。
積み込んだ荷物がどうなってるのかとか、いろいろ疑問は残るが、感覚的には。
「でも、アレ……というかこの施設はカガチヤタローの魂とかじゃないよね?」
「それは多分、俺がそこにいたから」
だから、くっついて存在している。
「なるほど? あれ……でも、それだと何か違和感が……」
「そりゃ俺の感覚に依る推論に過ぎないんだから、辻褄が合わないところもあるだろうさ。絶対に合ってる自信なんてないし」
「いえ、そうじゃなく……。そう、再現に失敗した結果で劣化したというなら、九十九世界……ってあんまり呼びたくないんですが、元の世界まで同じように劣化しているのかおかしいような」
「というより、元々劣化してたような」
「…………」
あれ……確かにそうだ。なら、俺の内部的なミスではない? いや、そもそもどうして劣化しているんだって問題が……。
「……化外の王」
「向日葵ちゃん?」
ここまで何か思案するような顔で黙っていた向日葵が、急に呟く。
「……あ、すいません。お姉様には伝えない方針でしたか?」
「私?」
「いや、状況が動いた今なら別段問題ないが」
アレはどちらかといえば俺が急いでいる理由付けの一つだ。花の心的負担を懸念したのも確かだが、階段の向こうがはっきりした今はそれもほとんど関係ない。むしろ、共有すべき情報だろう。
今、気にするべきはむしろ……。
「それで、化外の王がなんだ?」
「えーと、その……あくまで想像ですよ? 想像なんですが……化外の王は概念的なモノの価値を食べているんじゃないかって」
「…………」
「お、お腹の中なんですよね? ここ」
価値を……食べる。
向日葵のその言葉に、ここまであやふやだった様々な事象がカチリとハマる音を聞いた。
そして唐突に、それらの現象の意味が結び付き……背筋に氷柱を差し込まれたような恐怖に襲われる。
もちろん、正解かどうかなんて分からない。仮定に仮定を重ねた推察なんてないも同然だ。だが、どうしても納得ができてしまう。
「九十九世界の人間……いや、人間に限らず、あらゆるモノは価値を食われて消滅……した?」
「あ、あくまで想像ですからねっ? でも、見つかった日記とか、そういうモノを見てからずっと考えてはいたので」
俺もその日記は読んだ。すべてではないが、傾向としていろいろなものが消えた、消えたものに関心を示さないって部分は一貫していたように思える。もちろん何もかもが合致するわけじゃないだろう。調べれば矛盾だって存在しているはずだ。
だけど、そもそも良く知らない相手、良く知らない空間、どうやってそこに至ったのか分からない東京、そんな何もかも分からない中で、向日葵の想像はあまりにも的を得ているように感じる。
むしろ、そうあって欲しくない。否定したいのに、思い浮かぶ材料がどれもこれも弱過ぎる。
化外の王は世界の価値を食らう。その言葉は、真理そのものにしか感じられないのだ。
「あ、あのー……この空気の中であんまり言いたくないんだけど、一つ思いついた事があって」
「……はい、九十九蒲公英くん」
この流れからして到底期待できるはずもないが、蒲公英の能天気さで空気を変えてくれる事を期待する。
「ここがカガチヤタローの魂みたいなものだとして、そのカガチヤタローが死んだらどうなるの?」
「…………」
「……どうなると思う?」
そりゃ……消えるんじゃねーかな。ガチャが残っても《 マテリアライズ 》がない時点で機能しないから、どちらにしても詰むって話はしてたが、それなら即終了だ。
……つまり、俺の感覚を信じるなら、死亡イコール即全滅って事か。
-3-
「ありましたよ、東京都の地図」
どこかぼんやりとした、なのに妙に視界と脳がはっきりとした奇妙な感覚の中で向日葵のレクチャーを受けていると、地図を持った花がやってきた。
それは最近はちょっと見かけないが、以前ならコンビニなどでも当たり前のように販売されていた小冊子である。もっと本格的なものも積んではいるようだが、とりあえず見つかったコレを持って来たようだ。
こういうの、スマホの普及に伴って需要がなくなったんかな? 商品自体はまだあると思うんだが。
「コレで大丈夫ですか?」
「ああ、頭に叩き込むのは渋谷から新宿駅までの経路だしな」
むしろ、建物内の経路とかのほうが知りたいのだが、それが載ってる地図はさすがにないだろう。
向日葵との訓練を一旦切り上げ、地図の該当箇所だけをひたすら暗記するようになぞり、最適な経路を検証する。漠然とした道順だけでなく、実際の距離や建物の配置まで含めた形でだ。地図上でのシミュレーションなんてどこに見落としがあるか分からないから、可能な限りの予備プランと合わせて。
俺の記憶に残る東京の街並みと合わせ、可能な限りリアルでの光景を脳内再生し、あり得るとすればどんな問題が発生するかまで検討する。
モドキに襲われた場合、どんな逃走方法なら実現可能か。その場合のリカバリー方法は。安全マージンはどうする。どの程度なら帰還を前提とした行動に切り替えるのか。できる限り悲観的に、最悪のケースまで段階を踏んだシミュレーションだ。
果たしてどの程度の意味があるかは分からないが、最低でも対策をしたという事実だけでも精神的な安定が得られると期待して、プランを練りに寝る。
加えて、現時点で残っている九十九姉妹の情報についても再確認しておく。
やはり、最も警戒すべきなのは柚子、次いで待雪というツートップは変わらず。しかし、その他の姉妹についても油断はできない。
そもそも戦闘力的な意味合いで評価するなら、蒲公英と向日葵は姉妹の中で下からワンツーだ。これは超能力を含めた評価で、そこにリソースを割いた結果にも見える。蒲公英が柚子モドキを完封できた事から勘違いしそうだが、俺にとっては、どいつもこいつも格上なんてレベルじゃないのだ。多少蒲公英モドキと打ち合えたとて参考にはならない。
ただ、好材料と言えるかは怪しいものの、残りの姉妹に二人のように明確な超能力者はいないとの事。
「使える姉妹でも手品程度。それを上手く戦闘に活かしてくるのが怖いんですが、蒲公英ちゃん曰くモドキならあんまり関係ないと」
「唐突なテレポートや存在の希薄化を想定するよりはマシだな」
戦闘力で叶わないのは誰が相手でも変わらないのだ。なら、物理法則を無視するような隠し札がないほうが助かる。
理想は、誰かがすでに死んでいてカード化している事。上手くそれを拾えれば、戦力的な不足が一気に消滅するはずだ。
階段を隔てて九十九姉妹が分断される懸念はあるものの、見つけたら《 マテリアライズ 》していいとの許可ももらっている。
「戻りましたー」
そう準備を整えていたところ、カード回収に出ていた蒲公英が帰還した。
「やっぱり、近辺のゴブリンは少なくなってるね。十枚しか手に入れられなかった」
「上出来だろ」
俺が階段で拾ったのと合わせて十五枚。俺が出る準備を済ませるまでの短時間でそれなら十分過ぎる。
「じゃあ、さっさと回しちゃいますね」
< 切り刻まれたさんすうドリル >
< 枯れたラベンダー >
< 視力検査表 >
< 刑事張り込みセット >
< たまごサンドイッチ >
< 炭酸の抜けたサイダー >
< シャチのキーホルダー >
< 黒板に張り出されたラブレター >
< アルミパイプ >
< ブラウン管テレビ >
< 店員の定番セレクション・少女漫画編 >
< 全国銘菓セット >
< B29に負けた竹槍 >
< テトロドトキシン >
< 毒を抜かれた河豚 >
「……まあ、こんなもんだろうな」
何か即戦力になりそうなものが出ないかと、どこかで期待していたが、現実はこんなものだ。むしろ、ちゃんと食べ物が出ている分当たりの部類である。
個人的には最後の河豚から抜かれた毒はその前の< テトロドトキシン >なのかと気になりもしたが、あえて突っ込む気はない。
「前回同様、一応食い物は《 マテリアライズ 》しておくか。河豚はちょっと怖いから除外するけど」
「だ、大丈夫ですよ、加賀智さんの分の< 全国銘菓セット >は残しておきますから」
「別にそんな事気にしてないが」
イラストを見る限り量は多そうだが、ボーナス扱いにするようなものですらないだろう。……やはり、甘い物は別腹なのか。
良く見れば、花は真剣そのものだ。向日葵なんて目が血走っている気さえする。蒲公英は……多分何も考えていない。
「……じゃあ、< 刑事張り込みセット >を俺がもらうから、それはお前らが食っていいぞ」
本気でどうでもいいのだが、気兼ねなく手を出せるように代替案でカードを要求する事にした。
「え、それって食べ物なんですか?」
「多分、あんパンと牛乳だ」
イラストでは分かり難いが、ちゃんとどちらも描かれてるし。一緒に描かれている刑事が出てきたら怖いが、さすがにそれはないだろう。
食事としては簡素だが、エネルギー補給を考えるなら別に悪い選択肢ではない。九十九世界で腹が減ったら食おう。
ただ、菓子の罪悪感があるのか、< たまごサンドイッチ >も俺に手渡された。気にする必要ないんだが、ありがとく受け取っておこう。
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さて、というわけで二度目……最初に中間地点まで行った分を含めるなら三度目のアタックである。
今回から、当初想定していた役割分担で挑む事になった。つまり、俺が九十九世界探索、蒲公英が階段フロアで待ち伏せ、向日葵がカード回収&マッピング担当という体制である。
上手くいったとしてもおそらく何回か繰り返す事になるから、今回から本番というわけだ。
最低限の目的としては、Jアンカーのメール送信確認と、階段出口の劣化進行状況の確認。可能であれば新宿駅までの踏破。
どこかで無理があるようなら即撤退だが、経路確認だけでも無駄にはならないはずだ。
新宿まで行く場合、蒲公英はかなり長い間張り付いてもらう可能性も出てくるが、そこは仕方ないだろう。
「……やっぱり慣れないな、この視界」
階段を抜けた途端、視界に飛び込んでくる灰色の世界。
あくまで推察でしかないものの、正体にあたりをつけてしまった今だと余計に重苦しい雰囲気に囚われてしまう。屋上に放置した便座カバーが癒しになるほどに。
今度こそ周囲を警戒しつつ、まずは階段出口の確認。どれくらい侵食が進んでいるか。
「……どうなんだ、コレは」
劣化していても形自体は残っているから、出口付近の階段は変わらず残っている。ただ、目視では判別し難いものの、感覚的に階段内の劣化位置は進行しているようにも感じた。
前回、戻る時は思いつかなかったが、劣化の終端部分を削っておけば目印になるだろう。
そして、肝心のメールである。前回同様おっかなびっくりでビルを渡り、Jアンカー内で確認してみるものの……。
「まだ再送信処理は走っているな」
俺が送信処理を走らせてから数時間だから、別におかしな話ではない。
そこで気付いた点が一つ。果たして、これはメールが送信されたとして止まるものなんだろうか。
狭間の世界から神様の元に送られたメールはあくまで全体の一部……おそらくメールヘッダーと本文だけだった。
そこまで詳しいわけじゃないが、電子メールの送信っていうのは通常フッターまでが一つの単位なわけで、そこまで処理されないと送信されたと認識されないのでは?
狭間の世界を再訪した際に確認した時、メールの再送信処理は止まっていたが、あれはおそらく処理時間が長くなり過ぎてタイムアウトしただけだ。それなら、分割されたメール自体はそれまでに送信されていたと考えるべきで……。
「判断に困るが、ここは放置するしかないな」
システムログでも見れれば違うのだろうが、使い方は分からないし、そんな機能があるかすら分からない。読める気もしない。
そもそも、メール送信処理のUIは入力を受け付けていないから、こちらから終了させる事もできない。
ならば選択肢は待機の一択しかないのだ。あえて言うなら、処理が終了したあとも再度メール送信を試みたほうがいいってくらいだろう。
「……さて」
というわけで、いよいよ新宿へ向かうわけだが……。
屋上から見える範囲にゴブリンは何匹か確認できたものの、モドキの姿は確認できない。あとはカードが転がっているのも見えた。
「回収すべき……なんだろうな」
コモンチケットに関しては正直当てにすべきではないのだが、やはり九十九姉妹が混ざっている可能性を考慮すると無視はできない。ここに来るまでに決めていた事だが、こうして実際に広範囲でバラ撒かれているのを目にすると少々どころでなく骨が折れそうだ。
今回はとりあえず、経路上に落ちいているカードについては回収って方針でいいだろうが……もし、どこかに九十九姉妹のカードが紛れているのだとしたら、それはモドキを見つけるよりも遥かに高難易度な問題になりそうだ。
一直線だった階段とは違い、死角も経路も複数あるビル内の移動は神経をすり減らすものだった。
逃げ場が複数あるという利点はあるものの、周囲すべきに気をつけないといけない分ハードルが上がっている。
ビル内で遭遇したゴブリンは一匹。こんな時に紛らわしいという意味を込めて蹴り飛ばす。
ビルを出たあとは可能な限り死角になるような道を選択。向日葵に教わったクリアリングの基礎に沿い、視界を確保し易く、見つかり難い方法で。時間はかかっても大事な事だ。
可能であれば開閉する扉を経由して進む。どうしても音が鳴る事から人間相手には愚策だが、これはモドキやゴブリンの性質を利用した立ち回りだ。確実じゃないが、奴らにとって扉は壁と似たような認識になっている可能性が高い。
……< 修練の門 >では扉を開けたり、中に籠ったりする奴もいたが、少数派と信じたい。
緊張状態が続くと体感時間が間延びしがちだが、それにしても進捗は芳しくない。予定時間を過ぎても、三分の一も踏破できていなかった。
以前、柚子と歩いた山手線の線路なら警戒しつつも距離を稼げただろうが、あそこはさすがに開け過ぎていて使えない。
……使えないのだが、経路選択の都合上、近くまで来てしまった。
「……いるな」
白状するなら決して必須のルートではなかった。ただ、どうしても確認したかったのだ。その結果がコレである。
原宿駅を過ぎた先……線路を覗き込める位置で確認してみれば、運良くか悪くか、線路上を歩くセーラー服の少女を見かけた。
事前情報で確認した限りだとアレは九十九薺。残りの九十九姉妹の中では、柚子や待雪に次ぐ武闘派だったはず。
野生の勘や技巧に富んだ戦闘を行うタイプではなく、正面から小細工なしで戦う正統派。
……つまり、モドキになっても戦闘力に影響が少ないタイプとも言える。
よりにもよってと思わなくはないが、こうして捕捉できた事自体は僥倖。山手線上を使わなくて良かった。
そんな一方的な遭遇でも余計に神経をすり減らしたのか、想像以上に疲労困憊だ。定期的にとる屋内の休憩時間でそれが露呈した。どこかの建物のソファに座り込むと、二度と立ちたくないと感じるほどに体が重い。
フルマラソンでも普通に走り切れそうな今の俺でこれなのだから、どれだけ緊張していたのかという話である。山手線にしてみればたかが三駅が長過ぎる。
幸いそれ以降九十九姉妹とニアミスする事はなく、新宿駅が見えてきた。
転送に使った拠点があったのは駅内だから、外側からでは分からない。奇しくも、以前待雪と模擬戦をした入口から駅内に侵入する。
「……やっぱりあったな」
そこには、転送前とまったく同じ状態で佇む巨大な球状の建造物が鎮座していた。ただ、奇妙な事だが、それはあきらかに周囲のそれと違っている。
もともとほとんど塗装されていないはずなのに、目にした瞬間にはっきりと分かるくらい色がある。
いや、違う……あまりに微細でここまで気付かなかったが、良く見ればここに近付くにつれてわずかに色彩が戻っていなかったか? これは何か意味があるのか。
「それはそれとして、どうやって中に入ろうか」
建物の入口は一つだ。そこは気密室のクソ重い扉になっているはず。ロックされていたら、抉じ開けるのは骨が折れるはずだ。
実際に確認してみると扉は開いていた……というか、ロック機能自体が死んでいるようだった。
ただし、自動開閉機能も死んでいるのか、自力で開ける必要があるらしい。
「ふぬぬぬぬ…………っ!」
今の俺でも相当に重く、全力でやっても隙間が開くくらい。
しかし、その隙間から《 マテリアライズ 》した< 物干し竿 >を差し込み、テコにして再挑戦。
「ぬぬぬぬ……って、うおおっ!」
物干し竿が折れた。この世界のガチャ産故か劣化の可能性もあるが、単に腕力のせいかもしれない。
だが、隙間はかなり開いた。そこから、無数のランプの光が見えた事で俄然力が湧いてくる。
「ぬあああっ!」
無理やり隙間に体を滑り込ませ、潜り抜ける。結果、もんどり打ってコケたものの、無事通過できた。
「……い、生きてる」
そこにあったのは、完動状態じゃないかと思うほどの眩い光。ランプが、ディスプレイが、渋谷のアンカーに比べて遥かに煌々と光っている。そして、その光に照らされる屋内もまた、正常な色を纏っていた。
それは実際の輝き以上に眩く見える、あまりにも正常な光景。
「ど、どれだ……通信機能は……」
ディスプレイに触れ、起動した画面を良く見れば、UIは渋谷のものとほぼ同じ。しかし、手当たり次第に押下してみれば、探していた通信機能に辿り着く。
それは渋谷ではグレイアウトしていたアイコン。やはりエラーか何かで機能自体が反応していなかったのだ。
震える指で通信開始のボタンを押下した。
「こちら加賀智っ! 加賀智弥太郎だっ! 誰か反応してくれっ!!」
通信の接続を確認する間もなく叫ぶ。何度も、何度も。
「誰か……っ! くそっ!」
接続が切れるようなブツッという音が響いた。無機質なその音は希望を打ち砕く音にも聞こえる。
しかし、機能さえ生きているなら何度だって繋ぐまでだ。
「こちら加賀智だ、誰か反応しろっ!」
……その時、通信の向こう側で何かが崩れる音が聞こえた。
それはまるで椅子から誰かが転げ落ちたような、周囲に積み上げられたものも含めて崩壊したような、ある意味生活音とも呼べるものだった。
「おいっ、誰かいるのかっ!? いるなら……」
『し、ししししし、使徒さんっ!? 本当に使徒さんですかっ!?』
それは、延々と続く闇の中で、確かに繋がった希望の糸だった。
神様が神様に見える不思議。(*´∀`*)
でも、残念ながら一旦お休みして次回からは三回連続で敗北なんだ。すまない。





