まずは一人目
今回で降谷VS『触覚』の戦いの決着が着きます。
さあ、勝つのはどっちだ!?
その手に握られていたのは―――鋼糸。
それを、『触覚』に向けて放つ。
「チィッ!」
―――ただでは死なないという事か。
相打ち覚悟に放たれたワイヤーを避けながら、『触覚』は舌打ちをした。やはり、この男は侮れない。ワイヤーは一秒前まで『触覚』が居た背後の壁に激突した。凄まじい命中力だ。
「だが、これで・・・・」
『触覚』は既に、氷を撃ち出している。仮に今のワイヤーが当たろうとそうでなかろうと、降谷が死ぬのは確定なのだ。
「これでお前は終わり・・・残念だったな!」
しかし、そんな『触覚』の確信は、予想外の手によって覆された。
「なッ――――」
降谷は片方の手でワイヤーにぶら下がると、もう片方の手で壁を蹴った。降谷の全体重がワイヤーに掛けられ、ワイヤーがミシリと唸る。だが僅かに角度をずらしたおかげで降谷の心臓を狙っていた氷の狙いは外れ、降谷の左足とわき腹に突き刺さった。少なくない鮮血が宙を舞い、降谷の身体がグラリと傾く。
「ぐ、うおおおおぉ!」
降谷は絶叫にも似た悲鳴を上げると、ワイヤーから落下した。もう本当に力が入らないのだろう、指先
がピクピクと痙攣している。
「・・・・やれやれ。心配して損したぜ」
『触覚』は面倒くさそうに頭を掻いた。
先程のワイヤー。何か狙いがあるのかと思ったが、相打ち狙いと苦し紛れの一撃だったようである。その証拠に、降谷はもう戦えない。他にも狙いがあるのかと疑った自分が馬鹿みたいだ。
「さて、と。さっさとトドメを刺しますか」
いくら降谷が強かったとしても、『触覚』の遠距離攻撃を連続でくらえばただでは済まない。仮にこれ
が動けないふりだとしても、深手を負っている事に間違いはない。ただでさえ近接戦の腕は互角なのだ。
こんな状態で、降谷が勝てるはずが無い。
「じゃあな。今度こそお別れだ」
指先に氷を出現させ、『触覚』は呟く。そして降谷の頭に照準を定める。
「弾け、弾丸」
『触覚』が人差し指で氷を弾く。氷は弾かれると同時無数の破片に変化し、降谷に降り注ぐ。それはさながら雹のようで、避けられない攻撃だった。もし『触覚』が同じ攻撃を受けても、きっと耐えきれないであろう、そんな一撃。
「終わりだ、降谷先生!」
無数の破片は降谷の身体に突き刺さる―――寸前、砕け散って霧散した。
「は・・・?」
「オレが、何の対策もしていないと思ったか?」
傷に対してやけに元気そうな声で、降谷が立ち上がる。その体は血まみれだが、やけに生き生きとした顔をしている。
「クソッ、どうなってるんだ⁉」
焦った『触覚』は再び氷を出現させると、降谷に向かって弾いた。降谷はそれを、避けることなく身体で受け止める。
パリン、という音がして氷が割れる。――――降谷の身体には傷一つない。
「ど、どうなってるんだ⁉」
驚く『触覚』に、降谷は両手を広げて見せた。
「『マジシャンが右手を出したら左手に注目せよ』という言葉がある。どういう意味だか分かるか?」
「何だと・・・⁉」
つまり降谷は、ワイヤーを放っている間にもう片方の手で何かをしたという訳だ。
この状況を打破した、何かを。
『触覚』は店内を見渡す。一体何が――――
「あっ」
先程まで降谷が座り込んでいた場所に、水筒が転がっている。中身は空で、蓋が床に転がっていた。ど
う見ても、降谷が飲んだとした考えられない。
「知ってるか? 植物の細胞って、動物の細胞よりも硬いんだぜ?」
「まさか、その中身は――――」
『触覚』の顔が青ざめる。もしその中身がそれなら――――
「そう。人体超回復アイテム『超回復植物細胞』。使えばひん死の肉体を蘇らせ、一時的に全身を固くする。まあ、そのせいでスピードが激減するのが欠点だけどな」
極論だが。
人間の身体に細胞を足せば、RPGのように凄まじい速度で回復する。傷口が数秒で癒え、動かなかった身体が動くようになる。人間の身体は細胞で出来ているのだから、あり得る話ではある。
しかしもちろんこれは極論で、実際にはいくつもの問題点があるためほぼ不可能であるのだが、これを実現にまで持ち込んだ人間がいた。
『最強の犯罪者』である。
細胞の研究を進めていた『最強の犯罪者』は、実験の過程である薬を作った。それがこの『超回復植物細胞』である。
これは人体に無害な植物の細胞を取り込む事で、致命傷を負った人間の身体を回復させる言う、医学を遥かに進化させる道具であった。動物の細胞よりも硬い植物の細胞を取り込むため一時的に身体が微妙に硬化するという点はあったが、それ以外は非常に使い道豊富な一品だった。
「オレ達の師匠を舐めるな。あの人は怪物だ。『最強と呼ばれた自分よりも強い人間を作る』ために人間の身体に機械を移植したり、人体を構成している細胞を何のためらいもなく弄るような人でなしだ。そんな最強の人でなしの弟子を、甘く見てもらっては困るな」
降谷が『触覚』に向かって一歩一歩近づいて来る。『触覚』は「ヒィッ」と声を上げると、液体粒子を操作し、降谷に向かって弾く。『触覚』が弾いた弾丸はしかし、降谷の身体に当たるとはじけ飛ぶ。
「ク、クソッ!」
『触覚』の顔に焦りの色が浮かんだ。慌てて右手を掲げ、氷を呼び出そうとしている。
「遅い!」
降谷は床を蹴ると、『触覚』に肉薄する。そのまま右手で髪の毛を掴むと床に引きずり倒し、『触覚』の至る所を蹴りまくる。
「スパイってのはな、多くの武器を持って挑むんだ。暗器、回復アイテム、技術、肉体、作戦、勇気! スパイと闘いたければ全てに警戒しておけ、若造!」
最後の一蹴りが『触覚』の腹に当たり、『触覚』の身体がくの字に曲がった。
「ぐはっ」
形勢逆転。降谷が圧倒的に有利だ。この勝機を逃がす降谷ではない。
「《甲賀忍 一の秘伝―――》」
『触覚』を大きく蹴り飛ばし、『触覚』の身体が宙に浮く。その瞬間、降谷の両腕が霞んだ。懐から金属色の物体が覗く。
「《幻想術 桜吹雪!》」
降谷の両手から何十、何百という数の手裏剣が吹き荒れ、『触覚』の身体を嬲る。一斉に来る手裏剣の総攻撃の前にはさしもの『触覚』も対処に遅れる。
「なッ―――」
慌てて右手を掲げるももう遅い。手裏剣が『触覚』の右腕を浅く裂き、続けて斜め下から飛んできた手裏剣が『触覚』の脚に深々と突き刺さった。
「ぐはぁ!」
叫んだ『触覚』の口元を、別の手裏剣が抉る。そこからはもう一方的な蹂躙だ。左腕を裂かれ、ふくらはぎに突き刺さり、内臓を深々と貫かれる。
降谷はそんな『触覚』を見ながら、腰に手を伸ばした。そして――――
ダァン! という銃声が、店内に響き渡った。
ジャリ、という手裏剣を踏む音が聞こえる。その音で、『触覚』は目を覚ました。
(ここは―――? 俺は、一体、何を―――)
とりあえず現状を把握しようと、腕に力を込める。だが腕はおろか、頼みの綱である指先にすら力が入
らない。
(クソッ、一体どうなって――――)
その時、『触覚』の視界に見知った顔が映った。その人物は『触覚』を見ると、陽気に右手を上げた。
「よっ」
「チッ」
視界に入った降谷に、『触覚』は舌打ちをした。そして、全てを思い出した。降谷が襲撃してきて、な
し崩し的に戦った事。そこで一度優勢になるも摩訶不思議な薬品で逆転されて、必殺技をくらって倒れたという事。そして心臓を撃ち抜かれ、今の自分の命が風前の灯火だという事。
「楽しかったな、殺し合い」
「ああ、そうかよ。そりゃよかったな」
――――さっきまで殺し合いをしていたのに、呑気なモンだな
降谷に若干殺意が湧きながらも、『触覚』は続ける。
「で、何の用だ? 言っとくが金庫の居場所は喋らないぞ」
「やはり、ばれてたか」
「当たり前だろ。あんな予告状送っといて、よくそれ以外の事が連想出来るな」
『触覚』とて、馬鹿ではない。ヘルズチームが金庫を狙うと言った時点で、ヘルズ達の誰かが『血まみれの指』の誰かを拷問して金庫の居場所を吐かせるであろう事は安易に想像できた。
「悪いが俺は金庫の場所は知らん。知っているのはボスだけだ。この情報だけで充分か?」
「ああ、充分だ」
降谷が満足そうに頷く。死にかけの敵が最後に価値のある情報を落としてくれたのだ、それはもう嬉しいだろう。
「それじゃ俺はもう寝る。話かけるなよ。死ぬときくらい、静かに逝かせてくれ」
「ああ、分かってる」
『触覚』の言葉に、降谷は肯定を返す。やはり、何人も殺している人間は違う。それを確認すると、『触覚』は静かに目を閉じた。
――――色々な事があったな
『血まみれの指』に入ってから、様々な事があった。
仲間が加入し、騒がしくなったバー。バーテンダーとしての仕事もこなしながら、機械の指になれるのは大変だった。失敗もした、成功もした。喜びもあった、悲しみもあった。
(ああ、俺――――)
痛覚が消える。死期が近づいているのだ。
(人生、楽しく生きられたかな―――)
目を最後に一度開き、もう一度閉じる。
その目はもう二度と、開く事は無かった。
次回は7月26日更新予定です。
現在分かっている詳細
・仁ノ見留薬味・・・二ノ宮来瞳
・ピエロ・・・・松林尚人
・バイトらしき青年・・・ヘルズ
・赤いランドセルを背負った小学生・・・『味覚』
・バーテンダー・・・・『触覚』(死亡)




