囚われの天才2
身体が揺れているのを感じた。
「う……」
息を吸い込んだ途端、腹部に激痛を感じてうめき声をあげる。
視界がぼやけていて、うまく状況を把握できない。
体のいたるところが痛み、脂汗が額にわいてくる。
空がまぶしい色をしているのに気付いて、エルドワードは戸惑った。
先ほどまで、確かに室内にいたはずなのに。
「よお、目覚めたか。エルド」
(ザオルグ先生……?)
どうやら、彼がエルドワードを肩に担いで運んでいるらしい。
信じがたいことだった。4年前ならまだしも、すでにエルドワードの体格はザオルグとそう変わりがないはずなのに。
――と、そこまで考えて、己の思考に笑いたくなった。
魔法をつかえば、重い荷物なんてひとりでも簡単に運ぶことができる。
痛みのせいなのか、それとも何か魔法薬でも飲まされたのか、ひどく思考が不明瞭になっていた。状況認識さえおぼつかない。
ザオルグの身体が歩みで揺れるたびに、エルドワードの腹が彼の肩にぶつかり、のたうち回りたくなるような感覚に襲われる。
「せ、んせい……」
わずかに声を発するだけでも咳き込み、そのせいでまた腹部に痛みが走るという悪循環だった。
何だろう、これは。
このわずかな時間のあいだで、何故か重傷を負ってしまっている。
「あまり喋らないほうがいいぞ。あばらを何本か折らせてもらったからな。ああ、それと魔法無効化の手枷をつけさせてもらった」
ザオルグはいつもと同じような調子で言う。
両手首につけられた枷の重さを自覚する前に、顔に吹きつけてきた風に困惑した。ザオルグに担がれた状態のまま、真下に視線を向ける。
目を瞬いてみれば、先ほどより視界がはっきりと見えてきた。
地面が遠かった。いまは、建物の屋根がちいさく見えている。エルドワードたちは、地上から四階分ほどの高い場所にいたのだ。
(ここは、どこだ……? 梯子をのぼっている?)
どこかで見たことがある光景だった。
記憶を掘り下げようとして、ようやくエルドワードは気付く。
そこは、王宮にある外庭のひとつだった。王の庭に近い場所にある。視界に見えていたのは、門衛棟の屋根と城壁だろう。
これまで地上からしか見たことがない光景のために、状況を認識することに遅れが生じた。
ザオルグは、牢塔をのぼっているのだ。
外庭にある牢塔――ベルクフリートは、捕虜などを捕えておくためにつくられた堅牢な塔だ。
入口は塔の外側にしかなく、しかも地上から10メートルほどの高さの位置にある。室内にある床の上げ戸を開いて、そこから囚人を突き落すのだ。
ベルクフリートに入ったものは、二度と出てこられないと言われている。
牢塔の内部は窓もなく、光となるのは遠い天井のわずかな隙間だけ。その天窓も、見張りに閉じられてしまえば、光さえ差し込まなくなってしまう。
敵国の兵の中には、1日にひとかけらのパンと一杯の水だけで、ベルクフリートの中で何年も過ごす者もいると聞く。
うすら寒くなり、エルドワードは引きつった笑みを浮かべた。
「殺す気ですか……?」
「計画が終わるまで、お前に邪魔されたら困るからな。きっと、俺の一番の邪魔をするのはお前だろうと思っているんだ。だから、そのときまで隔離させてもらう」
「先生……!」
「なぁに、どうせみんな死ぬんだから気にするな。ティナもすぐ後を追う」
ザオルグは本気のようだった。
何の冗談なのだろうか、という思いが未だにぬぐえない。
間もなく梯子をのぼりきったザオルグが、塔の内部に足を踏み入れた。エルドワードは逃げ出そうとしたが、ザオルグに地面に叩き落とされる。
その衝撃と腹部にかかる痛みでうめいていると、腕をつかまれて地面を引きずられていく。麻痺した感覚のなかでも、これはまずいと感じた。
牢塔の扉がひらかれた。
ザオルグはニタリと笑い、エルドワードをそこから突き落とす。
(嘘だろ……)
すでに地上から4階分の高さだ。打ちどころが悪ければ死ぬ。そうでなくても、大怪我はまぬがれないだろう。
エルドワードはとっさに受け身をとった。
藁の上に落ちたらしい。体中に痛みが走る。わずかにつまれた藁は、衝撃を吸収するものとしてほとんど役立たなかった。
「う、あぁ……」
地面に倒れていると、頭上から差し込んでいた光が消えようとしていた。ザオルグが「じゃあな」と言って天窓を閉ざしてしまう。
静寂が、辺りを包みこむ。
何の物音も届いてこない。
外は昼間であるはずなのに、塔の内部は真っ暗だった。
しかも、変な虫でもいるのか、隅のほうには何かがうごめく気配がしている。すえたような臭いまでどこかから漂ってきていた。環境としては劣悪だ。
ようやく痛みがにぶいものに変わってきて、エルドワードは深く息を吐く。
「さいあく……」
完全に、失態だった。
あの魔法陣の紙を見つけたとき、嫌な感覚をおぼえたというのに。
何故なら、あの魔法文字の癖はティナものだ。
それなのに、どうしてザオルグがそれを持っているのか。
捜査のためとは弁解できないだろう。敵国の魔女がこれまで使っていたものとは違う魔法陣だったのだから。
――考えられる可能性はひとつ。
ザオルグが、その敵国の魔女だということだ。
しかし、解せない部分もある。魔女は仮面をつけていて容姿はわからないというが、背格好は女か子供のようだと言われていたのに。
「どういうことだ……?」
エルドワードは眉をひそめて、つぶやいた。
(そもそも、先生は何のためにティナに罪をなすりつけた……? 自分に疑惑の目を向けさせないために、苦しまぎれにしたのか?)
けれど、違う気がした。
弟子の魔法文字の癖をまねて書けるくらいなら、きっとザオルグは己の癖すら完全に隠せるのだろう。それなのに、ティナのものとそっくりに真似た。その意図は何なのか。
敵国の魔女は、村ひとつ滅ぼすほどの魔法を放ったという。
ザオルグが持っていた半分に欠けた魔法陣は、それより威力が強いものだと想定できる。もしかしたら、国を飲み込んでしまうほどかもしれない。
けれど、エルドワードは引っかかるものがあった。それは、さきほどザオルグの執務室で、魔法陣を見たときにも感じたことだ。
(あれは、破壊のための魔法じゃない……)
魔法文字が途中から消えているために全体像はわからないが、これまでの経験と感覚でそうだとわかる。
けれど、あの魔法を発動するための贄として、多くのひとが犠牲になるだろう。だから正確には、破壊のための魔法じゃない。すべてを破壊したあとで、ザオルグは何かを生み出そうとしている。
「……ティナが危険だ」
ザオルグが何をしようとしているのかはわからないが、エルドワードを捕えたのもティナに近づく目的があってのことなのかもしれない。
あまり考えたくないが、ティナを監禁していることを知られている可能性もある。
両手首を見おろせば、たしかに手枷には魔法無効化の文字が浮かんでいた。
緑色に発光する魔法文字をじっと眺めて、呪文にどこか穴がないか確認していく。
「……もし、僕を捕えるためにあらかじめ準備していたなら、呪文に間違いがあるはずがないか」
ザオルグの魔法無効化の呪文は完璧だった。
これでは、魔法を行使して脱出することもできない。
手枷は肌にぴったりと沿うようにつくられているので、関節を外して抜くという荒業も使えそうになかった。
手枷のあいだについている鎖は、エルドワードがティナに用意したものより頑丈なものだ。
もちろん時間をかければ削って壊すこともできるかもしれないが、いまはそんな悠長なことをしている余裕はない。
自分がティナにしたことがこうして己の身に返ってくることが皮肉で、エルドワードはつい笑ってしまった。
(手首の骨を折って、無理やり手枷を外すか……?)
けれど、治癒魔法というのは、魔法大国であるフィルディルでもあまり発展していない分野だ。いまだに薬草学が主流となっている。身体の不調は、薬師が処方したものを飲んで治すものだ。
浅い傷程度ならば治癒魔法で治すこともできるが、手首を複雑に折った場合、もとの状態に戻せるかはわからない。
天窓のほうを見上げて、エルドワードは憂鬱な気分になる。
(だとしたら、脱出方法はひとつしかないか……。あまりやりたくない方法だけど)
エルドワードはふらつきながら立ち上がり、壁の石の継ぎ目に指をかけた。




