貴女のために
ベッドから身を起こして、周囲を見まわした。
そこは、最初にドルシアが監禁された部屋だった。
(エルドワードはどこへ……?)
逃げるのに失敗してしまってから、監禁がきつくなるだろうと思っていた。
けれど、食事と湯あみをしたあと、この部屋に戻ってきてからの記憶がない。
どうやら、エルドワードが席を外してしまい、ベッドでしばらく横になっているうちに寝入ってしまったらしい。
バルコニーからは暖かな日差しが差し込んでいる。わずかに開いた窓から空気が入り込み、薄いカーテンの裾がわずかに波打っていた。
日の高さから、それほど時間は経っていないだろうと判断する。けれど、何故か心もとなさを感じて、ドルシアは衣の上から腕をさすりあげた。
なんとなくベッド脇の机を見ると、置き手紙があった。
そこには流麗な文字で、『ザオルグ先生のところに顔を出してくる。心配しなくても、すぐに戻るよ』と記してある。エルドワードの文字だ。
(ザオルグ先生……)
そういえば、逃げるためにエルドワードの執務室の前を通ったとき、エルドワードとザオルグの会話を盗み聞ぎしてしまっていた。明日にはそちらに顔を出す、とエルドワードは言っていたから、その言葉通りに彼は王都に向かったのだろう。
足を動かすと、いまはシーツに隠れている左足首に重さを感じた。
シーツをめくると、やはりそこには足枷があった。思わずため息を落として、薄く発光する魔法文字を指でなぞる。
どうやら、前よりも強固な魔法無効化の呪文がかけてあるようだ。
ベッドの柱に鎖がつながっているので部屋の扉までは確認できないが、おそらく扉にも何らかの結界がしてあるだろう。ベッドの位置からでも、扉の取っ手が魔力で発光しているのが見える。
これからどうするべきか、と悩みながら、ドルシアはこめかみを揉む。
(ロイは……心配しているかしら?)
森の家に残してきた弟子が気がかりだった。
これまで、仕事で2,3日ほど家を留守にすることはあっても、それでも彼を心配させまいと、できるだけ1日に1回は使い魔の鴉を使って連絡を入れていた。けれど、エルドワードに捕らわれてからは、それもできていない。
弟子への疑惑の思いはあるが、それより彼は大丈夫だろうか、と心配の方が上まわる。
周囲に誰もいないせいか、開いた窓から木々の梢がこすれ合う音が、水のせせらぎのように聞こえた。
思考がとりとめなく飛散していく。
これまで、4年間。いつかこの世界を滅ぼす者を見つけてやろうと、必死になっていた。
ふいに、そう自分が決断するに至った原因に思いをよせる。
「何故、私だったの……?」
あのとき、禁書はティナにだけ、その滅びゆく未来の光景を見せたのだ。
認めたくはなかったが、ティナよりもエルドワードの方が能力は上だ。それなのに、エルドワードが受けた試練は、おそらくはティナのものとは違っている。
(なぜ、自分が……?)
それをできるだけ考えずにいたのは、恐ろしかったからだ。その推測をすることを、ドルシアは無意識のうちに避けてきた。
「もしも、エルドが……」
世界を滅ぼすなら。
きっと禁書は彼にはその光景を見せるはずがない。
そう、たやすく想像できてしまう。
いまのところ、一番の容疑者はバスカロ王国の魔女だ。
年齢も性別も不明だが、背格好からすると女か子供のようだ、とエルドワードは言っていた。
それを考えるなら、世界を滅ぼすのはエルドワードじゃないはずだ。
(なら、誰が……?)
滅びがくるのは、明日なのか、それとも100年後なのかも、わからない。
どうして禁書は4年前に己にだけ、それを知らせたのか。それが、どうしてもドルシアは引っかかっていた。
しばらく思索にふけっていたために、廊下から響いてきた誰かの足音に気付くことに遅れた。
「え……?」
ドルシアは息を飲む。
急に、ドルシアのいた寝室の扉が開かれる。
扉を蹴破るようにして入ってきたのは、懐かしい人物だった。
「ザオルグ先生……」
思わず、ドルシアは呆然と師を見つめた。
ザオルグは、かつてとまったく変わっていない。
後ろでひとつに束ねた赤銅色の髪は走ってきたためか、わずかに乱れている。ドルシアを見つめるザオルグの紫紺の瞳が、痛ましげな色をおびた。
「ティナ、助けにきたぞ。まったく、エルドは何てことをしてくれたんだ」
そう吐き捨てるように言いながら、ザオルグはドルシアの方に大股で歩いてくる。
ドルシアはしばらくの間、理解が追いつかなかった。ただ、ザオルグを凝視することしかできない。
(助けにきてくれた……?)
そう思うと、胸の奥に熱いものが込みあげてくる。
エルドワードとどんな問答があったのかはわからない。けれど、ザオルグがここにいるということは、彼は事情をすべて知ってしまったということなのだろう。そして、エルドワードがドルシアを監禁していると知り、助けにきてくれたのだ。
ザオルグはドルシアを心配そうに見つめている。
師の顔を久しぶりに見たという安堵感も相まって、ドルシアは体から緊張がほどけていくのを感じた。
「ザオルグ先生、心配かけてごめんなさい……」
「良いんだ、お前が無事なら」
ふいうちのように頭を撫でられて、勝手に目が潤んで涙がこぼれそうになった。それを恥じて、顔を俯かせる。その拍子に、己の左足の枷が目に入った。
そこにあったはずの魔法文字が消えていた。
(え……?)
そういえば、ザオルグはどうやって扉から入ってきたのだろうか?
扉にも何かの魔法がほどこしてあったはずだ。けれど、それを打ち破るためのタイムラグもなかった。
ドルシアは、ザオルグのむこうにある扉を見つめた。やはり、先ほどまであったはずの結界の魔法が消えている。
(魔法を破るためには……どうすればいいんだった?)
思考がぼんやりとして、うまくまとまらない。
「ザオルグ先生……?」
口から、意味のない疑問の声が漏れる。
何を問いただしたかったのか、ドルシアは自分自身でさえわかっていなかった。
(ああ……そうだ。魔法無効化の呪文を破ろうとするなら、術者であるエルドワードを倒すか、彼自身に魔法を解いてもらうしかないのに)
けれど、あのエルドワードが、監禁したことをザオルグに言うのだろうか?
だとしたら、何故、彼はこの場にいないのだろう。
もしもザオルグの熱意に負けて白状したなら、気がすすまないような顔でザオルグと一緒に現れてもいいはずなのに。
(それをしないのは何故……? どうして、ザオルグ先生は、ひとりできたの?)
エルドワードはもはや、ザオルグよりも有名になっている。稀代の天才と誉めそやされる彼だ。それなのに、彼を倒せるはずがない。
――けれど、もしも、エルドワードをザオルグが倒せたなら。
「……ザオルグ先生、エルドに会いましたか?」
視界の端に、ベッドの脇机の上にある手紙が目にとまる。
ザオルグ先生のところに顔を出してくる。そう書かれた文字が、泣いているせいで歪んで見えた。
ザオルグは首を振る。
「いや、会ってない。第一、あのエルドがお前を監禁していることを、誰かに漏らすはずがないだろう? 昨夜、エルドと音声転送器で話したときに様子がおかしい気がしたから、魔法陣をかりて来てみたんだ。まったく、こんなことをするなんて、さすがに俺も呆れる」
エルドワードに会っていないのに、足枷の魔法が切れている。
つまり、導ける答えはひとつしかなかった。
ザオルグが、嘘をついている。
ドルシアは空唾を飲みこんだ。
ザオルグに緊張を悟られないように、手を握ったり開いたりして、感情を落ち着かせようと苦心する。
(エルドの魔法がとけたということは……エルドは、もう……)
ドルシアはぐっと瞼を伏せて、その先を考えまいとした。
悪い想像ばかりが脳裏をめぐる。エルドは、もしかしたら……すでに死んだのではないか、と。
けれど、天才と誉れ高い彼を倒せたとしたら、ザオルグはいったい何者なのだろう。
どんな手段をもってしたのか、想像できない。
少なくとも卑怯な手段でも用いない限りは、ドルシアだってエルドワードを下すことはできないはずだ。
自然と、ドルシアはザオルグを睨みつけたい衝動に駆られた。
何故、貴方が。
弟子に何をするのか。
そう、罵りたいような感情が湧いてくる。
(魔法無効化の呪文は切れている……なら、先手を打って魔法を仕掛ければ)
けれど、それは得策ではない。
魔法がとけた状態とはいえ、ドルシアの片足には足枷がついているのだ。
そして、目の前にいるザオルグは、先ほどドルシアの頭を撫でていた状態から変わっていない。つまり、手の平をドルシアの頭にのせている。まるで、この状況を予期していたかのように。
ザオルグは、いつでも至近距離から呪文を唱えられる状態だ。
攻撃魔法を放たれたら、足に鎖のついているドルシアは逃げることもできずに死ぬだろう。
足枷を破壊するためには魔法を唱えないといけない。だが、それをすると、相手に悟られる。
完全に分が悪かった。
どんな一手を取ろうとしても、先手を打たれる。あるいは、退路を断たれてしまう。
ドルシアは唇を引き結んで、どうするべきかと悩んだ。
首の後ろに、じっとりと脂汗が浮きはじめる。極度に緊張した思考は、正常な判断をにぶらせる。
(もしも、先生が敵なら……攻撃魔法で先手を打つしかないのに)
逃げるために鎖を壊す呪文を唱える暇はないのだ。
時間稼ぎをするためにもそうするべきだと、ドルシアの思考の冷静な部分が訴える。
けれど、ザオルグの表情は優しかった。まるで、幼いころのように、ドルシアを見つめる目は慈愛に満ちている。
つかの間、自分が愚かな疑念を抱いたのだと錯覚させるほどに。
ザオルグに攻撃を仕掛けると想像するだけで、唇は戦慄き、目から涙があふれそうになる。
慕っていた師だった。今でも、信じたい気持ちがある。自分の思い過ごしなのだ、とドルシアは思いたかった。
「ザオルグ先生……」
情けないくらいに掠れた声が、口から出てくる。
ザオルグはどこか複雑そうな表情で苦笑し、落ちてきたドルシアの前髪を丁寧に梳いた。
「ティナ、最後の授業だ。――ひとつ、良いことを教えておいてやる。判断は、一瞬でくだせ。その差が生死を分ける」
次の瞬間、ドルシアの身体に電流が走った。
「あ、あぁ……っ!」
そして、ドルシアはベッドに崩れ落ちた。
ザオルグが呪文を詠唱したのだ。
ぎりぎりまで攻撃魔法を詠唱しておいて、最後の一文を唱えれば発動するようにしてあったのだろう。
彼の手には、青色に輝く魔法陣が浮きあがっていた。
薄れゆく意識の中で、ドルシアはザオルグが唇を動かすところを見た。
しかし、視界がぼやけて、うまく見えない。
言葉を聞き取れない。
『――世界が貴女のために、滅びますように』
その言葉を理解したときには、ドルシアは意識を失っていた。




