124, ななくらのなつひめ
むかし、むかし。遠い都会や田舎に住んでいる、わたしたちのおじさんやおばさん、いとこや親戚のみんながひとところに暮らしていて、ひとつの大きな家族だったころ。わたしたちのずうっと昔のご先祖さまが、ひとつの村にくらしておりました。
その村には、七倉という、とても大きな屋敷を構える家がありました。その家は、たったひとつの屋敷に七つもの倉をもち、京、大坂の名家、貴族、大名におよぶほどの大金持ちでした。ひとむかし前には、山に城を建てて住んでいたほどです。それほどの大きな家でしたから、ひとびとは、七倉の屋敷がある村のことを、七倉村とよんでおりました。
その七倉の家には、なつひめさまという、それは美しいお姫様がおりました。
なつひめさまは、美しいだけでなく、賢く、そして勇敢なお姫様でした。その昔、鬼どもが七倉村に攻めこんできたとき、なつひめさまは、大勢の家来をひきつれ、鬼どもを斬って追い払ったほどです。
そんなお姫様のもとには、お姫様をひと目見ようとする人びとがつめかけ、たくさんの贈り物をしていきました。それに、お姫様は、たくさんの家来や百姓に好かれていたので、金、銀、財物が山のように集まってきました。
夏には、鬼を追い払ったなつひめさまを讃え、お祝いするために、村の社で大きなお祭りもひらかれました。お姫様の名前が「なつ」だったからです。なつひめさまは、楽しいことが大好きでしたから、いつも喜んでお祭りに出かけていきました。
そして、なつひめさまは社をこっそりと抜け出して、村のなかや、山などをうたいながらあるきました。お姫様は、いつも家の仕事をしたり、人と会わなければならなかったので、お祭りの日だけは思いきり遊ぶのでした。
そんなとき、村の人びとは、急にいなくなったなつひめさまをさがして大騒ぎします。でも、なつひめさまには、ひとりの弟がいました。この弟は、姉思いなうえに、とても賢い弟でしたから、なつひめさまがいなくなっても心配ありません。
この年も、なつひめさまは、弟に祭りのことをまかせて、山頂の社へとつづく石のかいだんを登りはじめました。
なつひめさまは、海を見たことがありません。ですから、この村にある大きな山と、ふもとを流れる細長い川が、なつひめさまの遊び場でした。それに、山には神さまがおわすので、なつひめさまは祭りの夜には、こうして山にお登りになるのです。本当は、入ってはならない山でしたが、なつひめさまには関係ありません。
山に登ると、ふもとの様子がよく見えます。まだ、電気のないころのことです。ふだんは暗闇にしずんでいる村が、社を中心にぽつりぽつりとかがり火で照らされているのが見えました。それに、風にのって、まつりばやしの笛の音も聞こえてきます。
なつひめさまも、お気に入りの横笛を吹いてみることにしました。その昔、京でつくられた名物で、七倉の家に伝わる宝のひとつです。息をすうっと吹き込むと、心地よい音色がしました。
ひとりで笛を奏でると、心が澄んでいくような気がします。ふだん、侍や百姓の男どもを従えていると、自分までも気が荒くなっていくようでした。
「鬼を斬りし姫君……」
なつひめさまは笛を吹くのをやめて呟きました。自分の勇敢さをたたえる言葉なのに、ひどくつまらなく聞こえます。自分が自分でないようでした。
なつひめさまは、最近、こうしてひとりきりになりたい気持ちになることが増えていることに気づいていました。なつひめさまは、いつも家を支えるために働いて、大勢の人の前に立っています。けれども、なつひめさまは、自分の心をどこか遠いところへ置いてきたような気がしていました。
もしかしたら、自分はもう何年も前に、鬼に心を乗っ取られていて、本当の自分は現世にいないのかもしれない……。そのように、考えるようになっていました。だから、またなつひめさまは、思いのままに悲しい笛の音を奏でるのでした。
「そこのむすめ」
ふと、なつひめさまは呼びとめられて、笛を吹くのをやめました。男の人の声です。なつひめさまが顔を見上げますと、若い男が立っておりました。もし、月明かりが照っていれば、身につけているもので身分が分かってしまったでしょう。けれども、ちょうど月が雲にかくれているので、お互いの姿はあまりよく見えないようでした。
「いかなる理由ありて、このような所へ来られたか」
「祭りというので、見物を」
なつひめさまは、何も知らぬ小娘のような素振りで応えました。お祭りの夜のことです。あまり面倒なことを応えたくはありません。口をついて出た戯れ言しか話す気になれませんでした。
「このような神のおわす山でか。ひとは立ち入られぬ山であるが」
「わたくしに入れぬところなどありませぬ」
なつひめさまは、からかうように言いました。実際、なつひめさまがわがままを言えば、叶わぬ願いなどありません。しかし、この男が山に入ってはならないと言うのなら、さからって言いあらそうなど馬鹿らしいことです。だから、なつひめさまは、ものを知らぬ小娘を演じたのでした。
けれども、男は慎重でした。このような人里から離れたところに、女がひとりでいることを奇妙に思っているようです。男は、なつひめさまの顔を見ようと足をふみだしました。しかし、なつひめさまは後ずさりしてそれを許しません。
男は、すこし考えた後で言いました。
「なるほど。しかし、よくよく目を凝らせば、ただの娘にあらず。身分高き姫君とごらんに入れる。いずこの国よりきたる姫君か」
「名をば、ななくらのなつと申します」
なつひめさまは冗談のつもりで言いました。ななくらのなつひめといえば、このあたりでは知らぬもののいないお姫様です。そのようなお姫様が山に登るなど、誰が思いつくでしょうか。
そのとき、雲が晴れて、さあっと月の明りが差しました。なつひめさまの、見目かたちの整った姿が映し出されます。同じように、男の姿も映し出されました。
「あっ」
なつひめさまは、なぜか、胸の内側が色めき立つのを感じました。男は、このあたりの村で見る顔ではありませんでした。また、侍衆のように、無骨で荒々しい姿でもありません。はたまた、公家のごとき姿でもないのです。
なつひめさまは、この若者のことが急に気になりました。そもそも、祭りの夜にこのような寂しい山にくることじたい不思議なことです。
しかし、それは男にとっても同じことなのでした。
「たしかに美しき姿。ななくらのなつひめは、国いちの美女とうたわれるのもうなずける。しかし、七倉の姫君が、供も附けずにこのような山へ来られるものか。若き身でありながら、数多の屋敷、倉の主であろう。家来を引き連れ、話をすることすら叶わぬはず」
「弟、叔父を差し置いてあるじとなり、過ぎたる力を持ちて鬼を斬りましては、みな恐ろしいと思うているのでしょう。弟を除けば、者ども皆、わたくしに近づきませぬ。それを良しとして、祭りの夜にひとり、笛を吹いていただけです」
「数多の鬼を斬り、みなに崇められるなつひめが、か」
「そう、あの夜は暗い夜でした」




