最強の布陣と王の帰還 第53話
ダンジョンからさほど離れてはいない。
夜露に濡れた岩肌の向こう、
ぽつんと立つ大きな石碑が約束の場所だ。
かつては魔除けの結界が刻まれていたらしいが、
今は風化し、ただの古びた石の塊に過ぎない。
その影から声がした。
「おい。遅いじゃないか」
暗がりから、ギルド長が姿を現す。
外套を羽織り、周囲を一瞥する。
「すまん、どうしても他にやることがあったんだ」
息を切らした弟が即座に謝る。
「まあいい。さっそく取引といこうか」
弟は背負っていた布包みを地面に置き、慎重にほどく。
中から数振りの剣が現れた。朝日を受けて、刃が鈍く光る。
「今日は、これだけしか用意できなかった。
だが質は上等だ。これで勘弁してくれ」
声に迷いが混じる。
ギルド長は一本手に取り、刃先を指で弾いた。
澄んだ音が夜気に響く。
「……悪くはない」
しかし、すぐに表情を曇らせる。
「たったこれだけか? これではこちらも
いつもと同じというわけにはいかんぞ」
ギルド長は荷から上等な酒と香辛料を取り出す。
香りがふわりと漂った。
「頼むから、いつもと同じだけもらえないか?
必ず次の取引で埋め合わせはする」
弟が深く頭を下げ、必死に言った。
石碑の影で、風がひとつ吹き抜ける。
ギルド長はしばらく黙って剣を眺めていた。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……次だ。次で必ず揃えろ」
酒の瓶を一本、香辛料の包みを追加で地面に置く。
「今回だけだ」
弟は顔を上げ、安堵の色を浮かべた。
「恩に着る」
早朝の取引は、静かに成立した。
「ギルド長、一つ聞いてもいいか?」
弟が包みをまとめながら、声を潜めた。
「なんだ。言ってみろ」
ギルド長は酒瓶を袋へ戻しつつ、視線だけを向ける。
「最近ダンジョンによく来る、炎の魔術師が
大きな盾の男と、翼の魔獣とやって来て……
兄貴の知り合いのようだった」
言い終えてから、弟は周囲を警戒するように目を動かした。
「ああ、あいつらか」
ギルド長の口元がわずかに歪む。
「あいつらは、何をしにここに来たんだ。
知ってたら教えてくれ」
石碑の影に沈黙が落ちる。
「教えてもいいが、こちらの質問に答えるのが条件だ」
低い声だった。
「俺の知っていることなら教える。
だから教えてくれ」
弟は迷わずうなずく。
ギルド長は一歩近づいた。
「教えてやる。あいつらは剣を探している。
お前の兄貴の最高傑作をな」
弟の目が見開かれる。
「やっぱり……」
夜風が吹き抜ける。
「お前の兄貴と、あいつらの目的は同じだ」
静かに告げられた言葉が、弟の胸に重く落ちた。
「今度はこちらの質問に答えろ」
ギルド長が言った。
「最下層の様子はどうなっている?」
問いは短い。
「北の連中が居座っている。
大きな扉の前から動かん」
(……やはりか。あれだけの魔獣が人目につかず
ここに移動して来るのは不可能だ……)
ギルド長は視線を落とし、思案する。
「大きな扉とはなんだ!」
鋭い声が夜気を裂く。
弟の顔に、はっきりと後悔が浮かぶ。
「……そのことか……」
「早く教えろ。そういう約束だ」
低いが圧のある声だった。
弟は一度、石碑の向こうを確認する。
誰もいない。
「俺も最近、教えてもらったばかりだ。
親父しか知らない秘密の扉だ」
「焦らすんじゃない。さっさと答えろ」
苛立ちを隠さない。
弟は歯を食いしばる。
「あの扉は北への扉だ。
あいつらは突然、そこから現れたみたいだ」
言い終えた瞬間、空気が変わる。
「……やはりか……」
ギルド長の目が細くなる。
(北と繋がっているなら……
こちらからも行けるということか)
独り言のように呟く。
「その扉は今どうなっている」
「北の連中が守ってる。
最下層から動かないのは、そのせいだ」
しばし沈黙。
ギルド長はゆっくりと顔を上げる。
「……その話、他に漏らしていないな?」
弟は小さく首を振った。
「親父と俺だけだ」
「ならいい」
「この取引はここまでだ」
ギルド長が荷をまとめかけた、そのとき。
(ここまで教えたんだ……こいつの力を借りても大丈夫だよな……)
弟は一歩踏み出す。
「待ってくれ。頼みがある。兄貴たちが北の魔獣に戦いを挑む。
俺たちドワーフも、もう巻き込まれている。力を貸してくれ」
石碑の影で、風が止まった。
ギルド長はしばらく弟を見つめる。
「いいぞ。力を貸してやる」
あまりに早い返答だった。
「い、いいのか?」
弟が目を丸くする。
「ああ。北と繋がる扉があるなら、放ってはおけん。
こちらの問題でもある」
淡々とした声。
「今から部隊を編成する。だが先走るな。
勝手に動けば足並みが乱れる」
鋭く釘を刺す。
「わかった。親父に言っておく」
弟は力強く頷いた。
「すぐに動く。準備を整えておけ」
ギルド長は外套を翻し、闇の中へと消える。
石碑の前に残された弟は、深く息を吐いた。
「……北への扉……」
それはもう、ドワーフだけの問題ではなくなっていた。
ーーーー
「親父ー!」
息を切らしながら、弟が住処へ駆け戻る。
「なんだ」
頭領は火床の様子を見たまま、ぶっきらぼうに返した。
「親父、勝手なことをして悪いが……ギルド長に応援を依頼した」
弟はまっすぐ頭を下げる。
火のはぜる音だけが響く。
「……わかった」
頭領はゆっくりと振り向いた。
「あのギルド長なら、わしらとの信頼関係を
反故にすることはないだろう」
短いが、重みのある言葉だった。
「グレイヴが来るのか?」
園長が思わず声を上げる。
「ああ。すぐに来るはずだ」
弟はそう言いながらも、わずかに不安げだ。
「それでも、ドワーフとの関係を知る者しか連れて来られんだろう」
園長は腕を組み、天井を見上げる。
(……何人来る? 下手に大勢なら、かえって動きにくい)
「ギルド長だけでも十分じゃないですか」
アカネが落ち着いた声で言う。
「それもそうだな」
園長は苦笑する。
「数より質、か」
頭領が低く呟く。
「親父。俺は外で見張って、来たら案内する」
弟が言う。
「無茶はするな」
頭領が釘を刺す。
「わかってる」
弟は短く返し、通路へ向かった。
その背中を、園長が見送る。
鍛冶階層の火が揺れる。
足音を待つ時間だけが静かに流れていった。
しばらく時が過ぎた。
鍛冶階層の空気は重い。
誰も大きな声を出さない。
やがて――
かすかな足音が近づいてきた。
弟が身構える。
先に姿を現したのは、細身の影。
長い翡翠色の髪を背に流し、淡灰の装束をまとったエルフだった。
無駄のない歩み。視線は静かに周囲を測る。
「……」
一瞬で場の全員を確認する。
その後ろに、ゆっくりと三つの影が続いた。
グレイヴ。
そして、その両脇に並ぶ二人の老いた男。
いずれもただ者ではない気配をまとっている。
「歴代の……ギルド長……?」
園長が小さく呟く。
二名とも、かつてラビリオスを率いた者たち。
今は退いているが、その威圧は消えていない。
先頭のエルフが静かに口を開いた。
「ラビリオス冒険者ギルドとして参上しました」
声は澄んでいるが、感情は乗らない。
「私はリシェル。現ギルド長ならびに
評議員の秘書を務めています」
弟は思わず息を呑んだ。
(……エルフ……)
初めて見る。
長命種特有の整った顔立ち。
肌は透き通るように白く、瞳は淡い翡翠。
ただ美しいだけではない。
その場の空気が、わずかに整うような静けさをまとっている。
弟は視線を逸らす。
「……こんな、綺麗な……」
小さく呟き、慌てて咳払いをした。
リシェルは気に留める様子もない。
グレイヴが前に出る。
「状況はどうなっている」
「まだ待機の状態だ。詳しい話は着いてからだ」
弟が答えた。
歴代ギルド長二名が無言で周囲を観察している。
これは、ただの応援ではない。
ラビリオス全体が動くという意思表示だった。
通路の奥から、硬い足音が響いてきた。
弟が先導し、鍛冶階層へと戻ってくる。
先頭に立つのはグレイヴ。
その背後に、淡灰の装束を纏ったエルフ――リシェル。
さらに、歴代ギルド長二名が静かに続く。
火床の赤が、彼らの影を長く引き伸ばす。
「待たせたな」
グレイヴが短く言う。
園長が一歩前に出た。
「みなさん、来てくれて助かります」
「おお、かまわん。少し遊ばせてもらうことにする」
歴代の一人が言った。
握手はない。ただ視線が交わる。
「状況を確認する」
グレイヴは無駄を省く。
「最下層に北の魔獣が居座っている。
目的は北へ通じる扉の維持だな?」
園長が頷く。
「そうだ。奴らは扉から現れ、
今もその前から動かないらしい」
頭領が補足する。
「こちらが不用意に近づけば、全面衝突になる」
グレイヴは一瞬考え、視線を頭領へ向ける。
「扉の位置は特定できているのか」
頭領が静かに言う。
「最下層中央の広間だ」
スパーク・インプが補足する。
「一本道ではないが、回り込める構造でもない」
「つまり正面突破の可能性が高いということだな」
歴代の一人が低く言う。
沈黙が落ちる。
グレイヴが短く問う。
「作戦を確認する」
園長が答える。
「ヴォルンが元ボスを解放する」
頭領が続ける。
「最下層で、北のボスとぶつける」
リシェルが静かに言う。
「扉はダンジョンボスの管理下。
勝った側が支配する」
グレイヴが頷く。
「つまり――」
「元ボスが勝てば、扉は自動的に戻る」
園長が言い切る。
「我々は外周を押さえ、北の取り巻きを排除する。
ボス同士の決着に横槍は入れない」
アカネが小さく息を整える。
「正面は任せる、ということですね」
「そうだ」
頭領の声が低く響く。
「作戦はまとまったようだな。俺は知らせに行く。
何か伝えておくことはあるか?」
スパーク・インプが聞く。
頭領が言った。
「息子に無理はするなと言ってくれ」
「わかった、伝える」
スパーク・インプが猛スピードで向かう。
ーーーー
「ブレイズ、もう結構降りてきたぞ。まだ着かないのか?」
ヴォルンが低い声で確認する。
足場は湿り、空気は冷たい。
上層とは明らかに温度が違う。
「もう少しだ。戦わずに潜れているんだ、もう少し我慢しろ」
ブレイズが壁に触れながら答える。
「確かにそうだな。正規ルートで戦いながら降りてきたら
何日もかかるからな……」
ヴォルンは納得しつつも、視線は常に前方へ。
普段なら魔獣の気配で満ちている階層だ。
だが今は、不自然なほど静まり返っている。
「おい、スパーク・インプは戻って来ないのか?」
ヴォルンが尋ねる。
「アイツには作戦が決まったら知らせるよう言ってある。
戻らないってことは、まだ準備中だろう」
ブレイズが短く答える。
「そうか……」
ヴォルンは歩幅を広げた。
その時――
後方から、ぱちぱちと小さな弾ける音。
ヴォルンが即座に振り返る。
闇の中で、瞬く微光。
「おい、今あそこ光ったぞ」
「どこだ」
ブレイズも振り向く。
「さっき通ってきた曲がり角だ」
光は一瞬消え、次の瞬間には距離が詰まっている。
「……速いな」
ブレイズが構える。
そして目の前で、青白い火花が弾けた。
「スパーク・インプだな!」
「ブレイズさん、作戦が決まりました」
インプは息も乱さず言う。
「こちらがボスの救出を完了したら、残党の一掃に動きます。
ボス同士の戦いを想定しています」
ヴォルンが顎に手を当てる。
「どうやって、戦いが始まったことを知らせる?」
「知らせる必要はない。ボス同士がぶつかれば
階層が揺れる。全員が気づく」
ブレイズが即答する。
「……確かに」
ヴォルンは短く頷いた。
「それと、ギルドから援軍が来ています」
「援軍?」
「ギルド長とか言ってました」
ヴォルンの眉が動く。
(あの男……何を企んでいる)
「着いたぞ」
ブレイズの声が低くなる。
曲がり角の先。
重い鉄扉。
その前に立つ二体の影。
冷気を纏う北の魔獣。
ヴォルンは身を沈める。
「鍵は開けられるか?」
「大丈夫だ、道具がある。ああいう物は傷に弱い。
的確に傷をつければ、引きちぎれる」
ヴォルンが自信満々に言った。
「見張りは二体だな。インプ、一体引き剥がせるか?」
「余裕だ。派手にやるか?」
「いや、最初は静かに行け」
インプはにやりと笑い、ヴォルンに話かけた。
「頭領からの伝言だ。『無理はするな』と言っていたぞ」
その言葉を伝えると、闇へ溶けて行った。
ブレイズが低く言う。
「残りは俺がやる。ヴォルンは鍵を切れ」
ヴォルンが工具を握り直す。
奥から、かすかに熱が漏れている。
まだ、生きている。
「……待ってろ、ボス……」
静まり返った最下層で、
三つの影が同時に動いた。
ヴォルンはいとも簡単に鍵を引きちぎった。
金属が軋む音が短く響き、重い錠が床に落ちる。
「こんな鍵は、何の役にも立たんぞ」
鼻で笑い、扉を押し開ける。
熱が流れ出した。
薄暗い牢の奥で、巨大な影がゆっくりと起き上がる。
「……お前、頭領の息子か? 生きていたのか」
ドラコニクスの声は低く、だが確かに力を宿していた。
「昨日、帰って来たんですよ」
ヴォルンは淡々と答える。
ドラコニクスは、わずかに目を細める。
「そうか……惨めな姿を見せたな……」
「仕方なかろう。どうせ人質でも取られたんだろ」
ヴォルンは肩をすくめた。
沈黙。
だがその沈黙は否定ではなかった。
ヴォルンは一歩踏み出す。
「ボスにお願いがあります」
ドラコニクスが視線を向ける。
「北のボスを引きつけてください。
残党は、こちらで片をつけます」
短い作戦説明。
ヴォルンは懐から、園長からもらった
ポーションを取り出す。
「これを」
ドラコニクスは受け取り、躊躇なく飲み干す。
傷だらけの体に、ゆっくりと熱が戻っていく。
「ありがとう。北のボスは任せろ」
炎が、瞳の奥で揺れる。
「一対一なら、負けはせん」
「期待しています」
ヴォルンは武器庫へ向かい、次々と錠を破る。
並ぶ武器の中から、一本を掴んだ。
「……これだ」
鍛え抜かれた刃。
「ボスにこの剣を貸します。
あげるわけにはいきません。勝ったら返してください」
ドラコニクスは剣を受け取り、静かに重みを確かめる。
「……見事な刃だ」
自らの防具を身につける。
拘束されていた存在とは思えないほど、空気が変わる。
「剣は借りておく」
「はい」
ドラコニクスは振り返らない。
「王座は必ず奪い返す」
その言葉と共に、北の扉へ歩き出す。
一歩ごとに、熱が増していく。
ヴォルンは自分の剣を包み、牢を後にしようとした。
その瞬間――
地の奥から、凄まじい衝撃。
冷気と灼熱が真正面からぶつかる。
階層全体が震えた。
鍛冶階層で待機していたグレイヴが即座に剣を抜く。
「始まったな」
園長が一歩前に出る。
「最下層まで一気に行くぞ。北の奴らを一掃する」
最下層で、王と王が激突する。
扉の帰属は――力で決まる。
第53話
最強の布陣と王の帰還
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回ついに北の残党との決戦の火蓋が切って落とされる
エピソードをお届けしました。
前半は、ギルド長グレイヴの決断と
頼もしすぎる援軍の登場です。
まさかの歴代ギルド長たちと
美しきエルフの秘書リシェルの参戦。
ドワーフ、人間(冒険者ギルド)
そして魔獣たちの思惑が一つに重なり
これ以上ない「最強の布陣」が完成しました。
歴代ギルド長の「少し遊ばせてもらう」という言葉に
歴戦の強者ならではの余裕と凄みが詰まっています。
そして後半は、単身最下層へと潜ったヴォルンと
ついに解放された元ボス・ドラコニクスの邂逅。
自身の最高傑作を「あげるわけにはいきません。
勝ったら返してください」と“貸す”ヴォルンの姿に
鍛冶師としての誇りと、ドラコニクスへの深い信頼を
感じていただけたなら嬉しいです。
冷気と灼熱がぶつかり合い、階層全体を揺るがす衝撃。
それが、外で待機する園長たちにとっての
「開戦の合図」となりました。
王と王が激突する中、園長やギルド長たちは
北の取り巻きたちをどう「掃除」していくのか。
いよいよ始まる総力戦、次回もどうぞお楽しみに!
引き続き、応援よろしくお願いいたします。




