二人の故郷と蘇る記憶 第37話
まだ空も白みきらない早朝。
魔獣園の厨房には、すでに湯気と包丁の音が満ちていた。
「ロルフ、漬け込みはどうだ?
味は染みてるか?」
「はいっ、サンさん!
一晩寝かせたんでバッチリです!」
ロルフが元気よく答える。
調理台の上には、鶏肉がたっぷり入った大きなボウルが置かれていた。
漬け地は、この世界特有の調味料『茸醤』をベースに、
すりおろしたたっぷりのニンニクと生姜、酒を合わせたものだ。
蓋を開けた瞬間、茸の濃厚な旨味と、
食欲をそそる香味野菜の香りが厨房いっぱいに広がった。
「よし、いい香りだ。
茸醤の酵素で肉も柔らかくなってるはずだぞ」
サンは満足げに頷くと、揚げ油の準備を始めた。
その横で、ロルフが小麦粉の袋を手に取る。
「じゃあ、衣をつけていきますね!」
ロルフが肉に小麦粉をまぶそうとした、その時だった。
「……待って」
横で黙々と作業をしていたルーナが、静かに声を上げた。
「ん? どうしたルーナ」
サンが振り返る。
ルーナはロルフの手にある小麦粉を見て、首を横に振った。
「サンさん、じゃがいも粉ありますか?」
「じゃがいも粉?……あるよ……?
こっちじゃスープのとろみ付けくらいにしか使わねぇけど……」
サンは不思議がりながらも、棚から白い粉の入った瓶を取り出した。
前世で言う『片栗粉』だ。
「小麦粉じゃなくて、こちらを使いましょう」
ルーナはそう言うと、手際よくボウルを二つ用意した。
片方には、そのままの乾いたじゃがいも粉を入れる。
そしてもう片方には――
「……何をする気だ?」
サンとロルフが興味津々で覗き込む。
ルーナは少量のじゃがいも粉に、パパッと水を何度も振りながら
そして指先で器用に混ぜ合わせる。
すると、粉が水分を含み、小さな「つぶつぶの玉」
がいくつも出来上がった。
「へぇ……わざとダマを作ったのか?」
「ああ」
ルーナは、その「湿ったつぶつぶの玉」を
もう一つの「乾いたじゃがいも粉」の中に混ぜ込んだ。
サラサラの粉の中に、小さな塊がゴロゴロと混ざった状態になる。
「これを衣にして、肉につけて揚げてくれ
……余計な粉は叩き落とさず、この『玉』をくっつけるように」
「なるほど……面白い」
サンは料理人としての勘で、その意図を理解した。
ロルフが見よう見まねで肉に衣をつける。
表面に小さな白い粒々がまとわりついた状態で
熱した油の中へ。ジュワァァァァッ!!
勢いのある音が響く。
茸醤の焦げる香ばしい匂いが立ち昇る。
「……いい音だ」
ルーナが鍋を見つめながら呟く。
「これ、お母さんの得意料理だったんです」
いつものぶっきらぼうな口調ではなく、
少しだけ丁寧な言葉になった。
「母が、誕生日にはいつも作ってくれてた。
『こうすると、冷めてもカリカリで美味しいから』って」
やがて引き上げられた唐揚げは、
小麦粉のしっとりした衣とは違い、
じゃがいも粉の粒々が花びらのように立ち上がり、
まるで竜の鱗のようにザクザクとした硬質な衣を形成していた。
「……ほう。
小麦粉だと『ふんわり』だが、こっちは『ザクザク』だな。
時間が経ってもべちゃっとしにくい……弁当向きだ」
サンが一つ摘み食いし、ニヤリと笑った。
ロルフはサンがつまみ食いをしたのをじっとみていた……
サンがロルフの視線に気づきバツが悪そうに言った。
「ロルフも食べてみな。」
「はーい!」
歓喜の返事だ。
「…フフ…」
ルーナ顔に微笑みが垣間見える
「よし、次は卵焼きだ。
ロルフ、お前が得意だったな? 任せるぞ」
「はいっ! 任せてください!
甘めのやつで、きれいに巻いてみせます!」
ロルフが張り切って卵を割り始める。
「じゃあ、私たちは『おにぎり』にかかるか」
サンが大きな木桶を引き寄せた。
中には炊きたての、ごはんが湯気を上げている。
「サンさん、葉野菜の漬物はありますか?」
ルーナが再び提案する。
「葉野菜? 中に入れるのか?」
「いや、包みたい」
「包む……おにぎりを……?」
「はい」
ルーナが元気よく返事をした。
サンは少し考え、ポンと手を打った。
「ああ、この地方で葉野菜の漬物といえば『ガロ菜漬け』があるけど……」
サンはロルフに指示を出した。
「ロルフ! 貯蔵庫からガロ菜の古漬けを出してきてくれ!
葉っぱが破れてない、大きめのやつを選べよ!」
「了解です!」
ロルフが卵焼き器を巻き終えたタイミングで貯蔵庫へ走る。
すぐに、飴色に漬かった大きな葉野菜の漬物を持ってきた。
『ガロ菜』はこの地方の特産で、ピリッとした辛みと強い繊維が特徴だ。
「具はどうするかなぁ~」
サンが腕組みをして考える。」
「一つは、鱒の塩漬けを焼いてほぐしたもの。
もう一つは……あれだ」
「アルクトス・ベアの佃煮だ
あれは、ごはんに合う」
準備は整った。
サンとルーナが並んで作業を始める。
熱々の、ごはんを手に取り
鱒の塩焼き、甘辛く煮詰めたベアの佃煮を
ごはんの真ん中に置き
二人が軽くにぎりこみ
そして、大きく広げたガロ菜の漬物で隙間なく包み込んだ。
「……なるほどな。
こうすりゃ、手が汚れないし、
ガロ菜の塩気と酸味が米に移って馴染む……」
サンが感心したように声をかける。
このスタイル、サンの前世の知識で言えば『めはり寿司』に近い。
「……なぁルーナ。
さっきの唐揚げといい、この包み方といい……
お前、なんで『それ』を知ってるんだ?」
サンの声には、純粋な驚きが混じっていた。
これらは明らかに、サンの故郷――『日本』の食文化の影響を受けている。
「……ナシュヘルトだ」
ルーナは手を止めず、静かに答えた。
「ナシュヘルト? あの北の?」
「ああ。あそこじゃ、これは珍しくない。
……子供の頃、母がよく作ってくれた」
サンは眉をひそめ、首を傾げた。
「獣人の領地だろう?
なんでまた、そんな極東の地にそんな食べ方が……」
「近所に住んでいた獣人の『転生者)』が、母に教えたらしい。
『手軽で、冷めても美味い。遠出や旅には最適だ』って」
その言葉で、サンは合点がいった。
シンフォリア連邦はこの世界の中でも特殊な土地だ。
転生者の人権を認め、彼らを平等に扱っているのか……
だからこそ、そこには転生者たちが持ち込んだ異界の文化が、
獣人たちの生活にまで浸透しているのだ。
(なるほどな……。私の国の味が、
巡り巡って獣人のお袋の味になってるとはな)
――おかわり!
元気な声と、小さなお椀を突き出す我が子。
朝、早くからお弁当を作る母の姿が浮かんだ……
鼻の奥がツンと痛み、視界が滲む…..
「……サンさん?」
手元が止まったのを不審に思い、ルーナが顔を覗き込む。
サンはハッとして、慌てて二の腕で目元をぐいっと拭った。
「……あー、いや。なんでもない…」
ルーナは静かな瞳で見つめたが、それ以上は何も聞かなかった。
サンは苦笑し、少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「……懐かしい匂いだ」
ルーナは小さく呟き、最後の一つをガロ菜で包み
キュッと握って木箱に詰めた。
その一連の動作を見ていたサンは、ふと漏らした。
「……ルーナはほんと、料理人みたいだね。
手際が良すぎる」
サンはただの感想のつもりだったが
ルーナは手を拭きながら、静かに答えた。
「そうですか?……私、闘えるようになるまで
厨房で働いていたので」
「厨房?」
サンが意外そうな顔をする。
「はい。剣闘士に料理を運んだり、皿洗いや下拵えをしてました。
その時の料理長に、料理を教わったんです」
「なるほどな、だから基礎ができてるのか」
ルーナは遠くを見るような目をした。
「……その頃、人間の剣闘士が来たんですよ」
「人間?」
「はい。その人は強かった。
だが、相手を殺すことはなかった。
……殺せなかったんです」
ルーナの声が少し低くなる。
「いつも通訳の聖統師に『殺せ』と怒鳴られていました」
「……」
「料理長が、その人に頼んでくれたんです。
『ここにいる間、こいつに剣を教えてやってくれないか』と」
「……もしその時、教えてもらっていなければ、
今、私はここにいないと思います」
サンは作業の手を止め、ルーナの横顔を見つめた。
ただの冷徹な戦士だと思っていた彼女の中に、
恩人への感謝と、複雑な過去の層があることを知った。
「……そうか。
いい師匠たちに恵まれたんだな」
「……はい」
ルーナは短く答え、
出来上がった料理が冷めるのを待って
サンのが指示をする。
「さあ、詰めるぞ。」
「おうよ!」
「はい」
二人は元気よく返事をして
弁当の木箱に丁寧に詰め込み蓋をした。
厨房には、ただの喧噪ではない、
新しい信頼の混じった空気が流れていた。
第37話
「二人の故郷と蘇る記憶」をお読みいただきありがとうございます。
戦いの後の回復が“身体”から“心”へ移っていく
その切り替えを料理で描いた回になりました。
ルーナが提案した片栗粉の“ダマ衣”と、ガロ菜で包むおにぎり。
それはただの調理技術ではなく、彼女が「母の手」を思い出せる鍵でした。
戦いの場では許されなかった日常の優しさで
彼女の口調が少し丁寧になる瞬間に名付けでほどけた“硬さ”が
確かに生活へ溶け込んでいくのが見えます。
一方のサンは、“日本”という自分の故郷の味が
巡り巡って獣人の家庭の味になっていた事実に揺さぶられます。
シンフォリア連邦という土地が、転生者の文化を生活へ染み込ませている
――その背景があるからこそ、「異世界の味」が「この世界の母の味」になってしまう。
ここには、転生者がもたらす物の明暗が二つの国にはある事が改めて示されました。
涙を堪えるサンと、見守るルーナ。その距離感がとても大事でした。
言葉で慰めるより、手を動かし続けることが救いになる場面がある。
彼女が「闘えるようになるまで厨房で働いていた」と告げるところで
ルーナという人物が“戦士”だけではない層を持ったことがはっきりします。
剣を教えてくれた人間の剣闘士、料理長の厚意、聖統師の怒号。
生き延びた理由が、暴力ではなく、偶然の善意と技術の継承だった
――それが彼女の「ここで生きたい」という願いを現実に変えていきます。
弁当の木箱に詰めて蓋をする。
その行為は、戦いの準備ではなく、明日の生活の準備です。
厨房に流れた“新しい信頼”は、名付けで得た鍵が
確かに回り始めた音でもありました。
次回、この弁当が誰の手に渡り、どんな顔で食べられるのか。
「料理が繋ぐ故郷」は、サンとルーナだけでなく
園の中の人と魔獣をも少しずつ同じ時間へ招いていくはずです。




