魔獣の価値 第28話
「僕は――守る戦士になります!」
ニコは、食堂全体に響く声で決意を示した。
「えっ――!」
ゴリムが驚きの声を上げる。
あちこちから、息をのむ気配と小さなどよめきが漏れた。
「ニコ、どうしたんだ……?」
ガルドがゴリムと顔を見合わせ、戸惑いを隠せないまま言う。
アレンは立ち上がった。
だが、何も言えずに――ただニコを見つめていた。
「……わかった」
園長は一言だけ答え、それきり沈黙した。
魔獣たちは無言のまま食事を終え
食堂を出て行った。
厨房でも無言の片付けが続き
皿の触れ合う音だけが淡々と響いていた。
まるで、皆が言葉を失ったかのように――
時間だけが過ぎていく。
――――
午後。展示時間が始まった。
魔獣たちはどこか上の空で、ただ客の流れを眺めていた。
いつもなら、視線を受け止める者もいれば
わざと誇らしげに力を見せつける者もいる。
だが今日は違う。
誰もが、自分の中の何かを噛みしめているようだった。
そこへ、オスロの大きな声が飛んだ。
「みなさん! 元気出していきましょう!」
「オスロ……」
アレンが小さく呟く。
「アレンさんも、元気出してくださいよ」
オスロは笑って見せた。
アレンは自分の頬を両手で叩き、息を吸い込んだ。
そして、腹の底から声を出す。
「みんな、聞いてくれ! 俺は――ニコの決意を
後押ししてやろうと思う!」
魔獣たちが一斉に顔を上げる。
「みんなも……協力してくれないか」
一瞬の静寂。
次の瞬間、魔獣たちは大きく目を開き、そして――
「……ウオォォーッ!」
展示区画に、魔獣たちの咆哮が響きわたった。
客たちは最初こそ驚き、足を止めた。
だがその声に、威嚇ではない“何か”を
感じ取ったのか、次第に表情が変わっていく。
そして――誰かが、つられるように声を上げた。
「おおおおー!」
その声に、また別の声が重なる。
笑いながら、拳を上げる者もいる。
魔獣と客の声が重なり
『大合唱』となった。
展示区画は、熱い一体感に包まれた。
ニコはその声を聞きながら
展示区画を後にした……
ーーーー
「コツ、コツ……」
ニコは恐る恐るノックした。
「誰だ」
「ニコです」
「ニコか。入って来ていいぞ」
「はい。失礼します」
扉を開けると、部屋の空気が少し重かった。
机の向こうにいる園長は
いつも通りの顔をしているのに、目だけが鋭い。
「座れ」
椅子を指し示され、ニコは静かに腰を下ろした。
「園長……」
「わかっている」
園長は短く言い、間を置かずに続ける。
「修行はクルツと一緒にやるといい。
――ガルドとクレイグも一緒にな」
「えっ! ガルドさんとクレイグさんもですか?」
「ああ。そうだ」
園長は椅子に背を預け、視線を落としたまま言う。
「グラディオスの闘技大会に行くことになると思う」
「闘技大会……?」
「ああ。一人の長旅は危険だ。
クルツも参加するから、四人で行って来い」
胸の奥が、ひゅっと鳴った。
旅。闘技大会。――戦う場所。
「それと、明日。街へ魔獣を買いに行く。ついて来い」
「魔獣を……買いに?」
ニコが聞き返すと、園長の眉間がわずかに寄った。
「本来この国では、魔獣の取引は禁止されている。
魔獣は捕まえたら殺すのが決まりだ」
「殺す……」
言葉が、喉の奥でひっかかった。
頭の中で、その単語だけが反響する。
園長は淡々と続ける。
「それでも魔獣は力が強い。労働力として価値があるなら
見逃してくれる場合がある」
「魔獣園の魔獣も、見世物としての価値が認められている。
だから力のない魔獣も、殺されずに済んでいる」
「……」
ニコは黙ったまま、握った手に力を込めた。
「カイも、上手く考えたもんだ」
(これも……カイさんが……)
胸の奥で、小さく何かが沈む。
園長はさらに釘を刺すように言った。
「だが、金銭での売買は禁じ手だ。
金銭で取引すれば、“魔獣に価値がある”と国が認めることになる。
それは、この国の方針に反する」
「魔獣は――殺すべき物。それがこの国の『常識』だ」
(なぜ……殺すべき物……?)
ーーーー
早朝。まだ日が昇りきる前に、二人は起きた。
園長室で着替えて出てきた園長の姿を見て、ニコは息を呑んだ。
驚くのも無理はない。今の園長からは想像もできない格好だったからだ。
全身を覆う黒灰のチェインメイル 。ナイフの付いたベルトが胴を斜めに走り
腰の短剣が二振り鈍く光っている。背中には、使い込まれた武骨な大盾
――厚みのある漆黒の盾が背負われていた。
光を返さない鈍色の肌は、刃の跡と打ち直しの痕で荒れているのに
どこか“落ちない”重さがある。
「園長……その格好……」
「ああ。昔の装備だ」
園長は短く言い、ニコの視線を盾から剥がすように続けた。
「裏の連中に会うときは、こういう恰好じゃないと舐められる」
フードを目深に被ると、声も低くなる。
「行くぞ。遅れると面倒だ」
二人はヒッポスの引く荷車に乗った。
空気はまだ冷たく、革がきしむ音が静かな道に響く。
朝日が昇るころ、道が二つに分かれる場所に着いた。
「そっちは遠回りだ。こっちの森を抜ける」
園長は右の道を指さした。
「森……」
荷車は、薄暗い森の中へ入っていく。
木々の影が道に縞を落とし、風は湿っていた。
しばらく進むと、前方が騒がしい。
見るからに商人が乗りそうな豪華な荷車の周りに
ヒッポスに乗った冒険者らしき人物が四、五人。
荷車を囲むようにして立っていた。
(盗賊……)
園長は荷車を降り、盾を背に負ったまま近づく。
「何をしている?」
剣士らしき男が、驚いたように肩を震わせて答える。
「えっ……俺たちは護衛で……シャドウ・ハウンドの群れに襲われたので……!」
「シャドウ・ハウンド……ボスはいたのか?」
園長の声は淡々としているのに、周囲の空気だけがぴりついた。
「ボ、ボス……?」
「群れに大きな個体はいたか?」
「いえっ……いませんでした」
園長は一拍だけ黙り、森の奥を見た。
何かを嗅ぎ取るように、視線が微かに細くなる。
「そうか。念のため、俺たちが前を行く。
お前たちは後ろから付いて来い」
「はい、ありがとうございます!」
商人らしき男が、深々と頭を下げた。
荷車は再び進む。森はさらに濃くなり、光が届きにくい。
ニコは落ち着かず、何度も周囲を見回してしまう。
――そのときだった。
「グオオオオオオオーン――ッ!!」
森の奥から、遠吠えが轟いた。
空気がびりびりと震え、木々の葉が一斉にざわめく。
ただの獣ではない。獣王の気配が、森全体を押し潰すように広がっていく。
園長が即座に荷車の前へ出た。
「囲まれた」
低い声で、はっきりと指示をする。
「俺がボスの相手をする。お前たちは残りを頼む」
「はい!」
護衛の冒険者たちは商人の荷車の後方へ回り、円を作るように構えた。
園長は背の盾を外し、地面へ“置いた”。
構えるというより、そこに壁を生やすような動作だった。
漆黒の盾が土を噛む。重い音が一つ落ちるだけで、場の空気が変わる。
「ニコ!」
「……っ」
「ニコ!」
園長は視線だけでこちらを貫く。
「は、はい!」
「商人たちを守ってくれ」
そう言って園長は短剣を差し出した。
「……」
ニコは無言で受け取った。指先が小刻みに震えている。
次の瞬間――影が跳ねた。
黒い犬型の魔獣が、低く地を這って突っ込んでくる。
目が赤い。数が多い。息が熱い。
園長は盾を“受けない”。盾を“当てに行った”。
金属が鳴る。
「ガンッ」という音が骨に響き、突進してきた個体がはじき返された。
はじいたのではない。押し潰すように止めたのだ。
さらに二体、三体。左右から飛びかかる影を
園長は最小の動きで捌く。
盾が前へ出るたび、森の闇が一瞬だけ押し戻される。
(……盾って、こう使うの……?)
ニコは歯を食いしばり、短剣を握り直した。商人たちの前に立つ。
背後で商人の息が詰まる音がする。誰かが祈る声を漏らす。
シャドウ・ハウンドの一体が、横からすり抜けようとした。
ニコは反射的に踏み出し、短剣を構える。
「来るな……!」
刃が触れた感触は薄い。毛皮の下で骨に当たったのかも分からない。
それでも相手の動きは一瞬止まった。
その隙を逃さず、護衛の剣士が踏み込み――首を斬り落とす。
黒い胴が落ち、血の匂いが一気に濃くなった。
――だが、終わりじゃない。
背後で、商人の悲鳴が上がる。
「――っ!」
別の一体が、死角から商人へ飛びかかっていた。
牙が白く光る。距離は近い。
間に合わない――そう思った瞬間。
ニコの体が先に動いた。
考える前に、足が踏み込む。
地面を蹴る音すら遅い。視界が狭まり
狙う場所だけがくっきりと頭に浮かぶ。
(止める――!)
ニコは一瞬で前へ出る。
剣を、上から――迷いなく振り下ろした。
「――ッ!」
鈍い手応え。
刃が肉を割り、骨を断つ感触が指先に伝わる。
次の瞬間、シャドウ・ハウンドの首が空に舞った。
胴が一拍遅れて崩れ落ち、地面を黒く濡らす。
「……」
ニコは短剣を握ったまま、息を整えた。
胸が痛いほど脈打っている。腕が震える。
前方で、さらに重い足音がした。
影の中から、ひときわ大きな個体
――ボスである『シャドウ・アルファ』が姿を現す。
肩が高い。牙が白く光る。その眼光は、明確な殺意を宿していた。
園長は一歩だけ前へ出た。
剛鉄の盾が、朝の微かな光も吸い込んで黒く沈む。
「……来い」
ボスが跳ぶ。
園長は盾を立てた。だが、受け止めたのではない。
盾の縁を相手の胸へ“食い込ませる”ように当て、
踏ん張りではなく踏み込みで押し返す。
「――ッ」
ボスの息が詰まり、足が滑る。
逃げ道が消える。
その瞬間だけ、森の支配がひっくり返った。
園長は短剣を一閃。
暗い血が散る。ボスは呻き、退いた。群れが怯み、散るように後退する。
怪我をして取り残された一体が、怯えるようにこちらを見ていた。
耳を伏せ、腹を地に擦りつけるようにして動かない。
血の匂いが薄く漂い、呼吸は浅い。
ニコは短剣を下げたまま、ゆっくり一歩近づいた。
「……園長。あいつを連れて行きましょう」
園長は一瞬だけ黙り、視線をその個体へ滑らせた。
「……いいが」
低い声が返る。
「そいつは仲間以外には懐かんぞ。
弱ってる今は大人しく見えてもハウンドはハウンドだ。
「それでも、お願いします」
ニコは目を逸らさなかった。
見過ごせない――その気持ちに嘘はつけない。
園長は小さく息を吐く。
「……わかった。だが念のため、口だけは縛らせてもらうぞ」
園長は用意していた縄を取り出し、手際よく近づいた。
獣は身を強張らせ、喉の奥で低く唸る。
だが、逃げる力が残っていない。
「暴れるな。死なせはしない」
園長の声は冷たくない。ただ硬い。
漆黒の盾で守るときと同じ――迷いのない声音だった。
縄が口元に回り、きつく締めすぎない位置で結ばれる。
最後に、園長は獣の視線の先――ニコをちらりと見た。
ニコなら何かを起こしそうな気がしていた……
「……近づきすぎるな。油断するなよ」
「はい」
園長は縛り終えた個体を、まるで荷物でも持つように軽々と抱え上げる。
重いはずの体が、宙に浮いた。
そしてそのまま、荷車へ優しく乗せた。
獣は震えながらも抵抗せず、ただ怯えた目でニコを見ていた。
(……まだ血が止まらない。ポーションは使えない。
このままだと――死ぬ……。
そうだ。名前をつけたら、もしかして……)
ニコは、怯えきった目でこちらを見ている個体を見つめた。
黒の毛並み。尖った耳。
(……隣のハスキー犬に似てるな)
ニコは決意して、はっきりと言った。
「お前の名前は――『ハスキー』だ!」
――何も起きない。
ニコは唇を噛み、胸の奥を押さえるように息を吐いた。
「……やっぱり、ダメか……」
そのまま、うなだれる。
けれどニコは気づかなかった。
傷が“癒える”ことはない。肉が塞がるわけでも
裂け目が消えるわけでもない。
――それでも。
シャドウ・ハウンドの血は、確実に止まりかけていた。
滴る赤が、少しずつ細くなる。
弱々しかった呼吸が、ほんのわずか――長くなった。
しばらくして、森は静かになった。
残るのは荒い息と、漆黒の盾に残った新しい傷の跡だけ。
護衛たちが汗を拭い、商人が何度も頭を下げる。
「助かりました……本当に……!」
園長は頷くだけだった。
「先を急ぐ。ついて来い」
第28話「魔獣の価値」
お読みいただき、ありがとうございます。
ニコの「守る戦士になります!」という言葉が
フェルナ園の空気そのものを変えていく回でした。
いつもなら笑い声や軽口が飛ぶ食堂が、音だけ残して沈黙する。
展示区画での「大合唱」も、威嚇や興奮ではなく
ニコの決意を“園全体の意志”に変えてしまう瞬間でした。
魔獣と客が同じ方向へ拳を上げるのは
本来ならあり得ない光景です。
そして園長。
普段は“園長”という役割の顔をしているのに
黒灰のチェインメイルと漆黒の盾を背負った瞬間
世界の温度が変わりました。
盾の使い方が「受ける」ではなく「当てに行く」
――守るための道具が、同時に“押し返す力”になっている。
園長が生き残ってきた理由を
言葉じゃなく動きで見せた回でもあります。
この話の核は、題名通り「魔獣の価値」です。
この国の常識は「魔獣は殺すべき物」。
だから金銭での売買を認めれば
国家が“価値”を認めたことになってしまう。
矛盾しているようで、でも“国としての恐れ”が
透けて見えるルールでもあります。
力があるからこそ、価値を認めた瞬間に秩序がひっくり返る
――その危うさを、園長の口から淡々と出すことで
余計に重くしました。
最後に、ハスキー。
ニコは「名前をつけたら救えるかもしれない」と願って
呼びました。派手な奇跡は起きない。肉は塞がらない。
けれど血が止まり、呼吸が少しだけ長くなる。
ここは、ニコの“力”が世界ににじみ始めた瞬間だと思っています。
「守る」と言った直後に、“敵だったもの”を見捨てない。
その優しさが、次の波乱を必ず連れてくる
――園長が最後にニコを見たのは、その予感があったからです。




