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サンの軌跡 第25話

サンは食堂へ戻る途中

カイに言われた言葉が頭から離れなかった。


――サン、君が助けたい気持ちは理解できる。

だが、人の魂というのは傷つくことで成長し

強くなるものだよ。


――傷ついた人を助けるのも、世界のことわりに反する行為だ。

君が一番わかっているんじゃないか。


(……わかってるよ、カイ。わかってる。

それでも、助けたかったんだ……)


「……ごめん……」


サンは消えるような声で呟き、唇を噛んだ。


食堂の扉を押し開けると、いつもの匂いと

いつもの視線が一斉に向く。

――いつもと違うのは、そこにある“静けさ”だった。


魔獣たちは皆、ニコのことを聞きたくて仕方ない。

けれど、それを押し殺して、誰も何も言わなかった。


サンは胸の奥の痛みを飲み込み

いつも通りの顔を作って、明るい声を張る。


「みんな、ごめんね〜! 

すぐに用意するから、もう少し待ってちょうだい!」


返事はない。

ただ、空気だけが少しだけ、重く揺れていた。


サンは厨房へ回り、手早く段取りを組み替える。


「ロルフ。今日のメニューは変更するよ

すぐ作れるものにしよう」


「はい、わかりました」


ロルフは一瞬も迷わず頷いた。

事情を聞かなくても、理解している。


「……いつもの鍋にしましょう。準備はできてますので」


「ありがとう。気が利くね」


サンはロルフへ軽く頭を下げる。

その仕草はいつもと同じ――のはずなのに

どこか頼りなく見えた。


鍋を火にかけ、湯気が立ち上り

少しずつ食堂に“日常”の匂いが戻っていく。


けれど、サンの胸の中だけは戻らない。


そして次の瞬間――

食堂のほうから、誰かが小さく息を呑む気配がした。


園長が入って来た。


扉が開く音は小さいのに

場の空気が一度で張り詰める。

その姿を見た魔獣たちは

言葉を飲み込んだまま背筋を伸ばした。


園長は周囲を一瞥し、いつもの調子で言った。


「サン! 大盛りで一つ頼む」


「……は、はい!」


サンはびくりと肩を跳ねさせ

思った以上に大きな声で返事をした。


その様子を見て、ロルフが声を張った。


「マリナー! これ園長の所まで運んでくれ〜!」


「はーい!」


マリナが返事をして、手早く器を受け取り

湯気の立つ鍋をトレイに乗せた。

大盛りの一杯の匂いが、食堂へふわりと広がった。


園長は受け取ると、周りの魔獣たちへ軽く手を上げる。


「みんな悪いな。先にいただくぞ」


「はい!」


魔獣たちも、驚いたように一斉に返事をした。

けれどその声には、さっきまでの張り詰めた沈黙とは違う

わずかな“安心”が混ざっていた。


――園長が、ここで食べる。

それだけで「大丈夫だ」と言われたような気がしたのだ。


園長が一口すする。


湯気が鼻先をくすぐり、器の縁がわずかに鳴る。

咀嚼の音も、啜る音も、必要以上に大きく聞こえた。


だが、二口、三口。


そのうち食堂の空気が、少しずつほどけていく。

誰かが小さく息を吐き


魔獣たちの食事も始まった


金属が陶器に触れる音だけが

しばらく規則正しく響いていた。


……


音が静まり、湯気も落ち着き始める頃。

魔獣たちは食事を終え、トレイをカウンターへ戻しに来ていた。


ゴリムたちが口々にサンへ声をかける。


「サンさん、美味しかったよ!」


「サンさん、ごちそうさま〜」


「サンさん、ありがとう」


その声はニコがいつもサンに言っていた

いつもの感謝の言葉だった

無意識にこぼれ落ちた言葉


「……ありがとう」


たったそれだけなのに、サンの指先が止まった。


言葉に重なる影。

笑い声の代わりに残った、静かな温度。

食堂の灯りが揺れて見える。


サンは布巾を握り直し、小さく息を吸って、やっと笑った。


「……うん。こちらこそ。ありがとね」


厨房の片付けも終わり、火が落ちる。

鍋の底の熱が静かに冷めていく頃


――静かに、夜が訪れた。


――――


翌朝。

サンはまだ薄暗い早朝から

黙々と朝食の準備をしていた。


包丁の音、鍋の湯気、火の小さな爆ぜる音。


そこへ、ベルモットが現れた。


「サン。ニコに何か作ってくれないか」


「えっ……はい、わかりました」


サンは少し驚いた顔で答え

手を止めずに頷いた。


(病気の時に食べるものと言えば……

……あれだな)


サンは鍋を選び、米を研ぎ、湯を沸かし

塩をひとつまみ。

米がほどけ、白くとろりとした湯気が立ち上る頃には

厨房に優しい匂いが満ちていた。


出来上がったものを器に分け、ワゴンに載せる。

湯気が冷めないように蓋をして

ゆっくり医務室へ向かった。


医務室のドアを叩く。


コン、コン。


中からベルモットの声がした。


「空いてるから入って来てください」


「先生、持って来ました」


「あぁ……ありがとう」


サンはワゴンの取っ手を握ったまま

少し言い淀む。


「先生。ニコと話をさせてもらえませんか?」


ベルモットはサンの目を見て、短く頷いた。


「それを持っていって、話をして来るといいよ」


「ありがとうございます」


サンは深く息を吸い、医務室の奥

――ニコの個室の前に立つ。

ドアを叩いた。


「は〜い!」


元気そうな返事が返り、すぐにドアが開いた。


そこにいたニコは

昨日の影を思わせない顔をしていた。

目も澄んでいて、耳もぴんと立っている。


サンの胸の奥が、ふっと軽くなる。


驚きと、安堵が同時に押し寄せた。


「ニコ……元気になったんだね」


「はい、ありがとうございます。

みなさんのおかげで元気になれました」


サンは頷きながら、ワゴンを部屋の中へ押し入れる。


「じゃあ、これ食べながらでいいから……

少し私の話を聞いてくれるかい」


サンが鍋の蓋を開け、湯気を立てる。

白く、やわらかな香りが広がった。


「これっ! お粥じゃないですか!」


ニコがびっくりして叫ぶ。


「そうだよ。病気と言ったらこれだろ」


サンは少し自慢げに、口元を上げた。


「そうですけど……」


ニコは首を傾げる。


サンは椅子を引き、ニコの前に座り

視線を合わせる。


「その話をしたいんだよ」


――――


サンは、少しだけ間を置いて言った。


「実は、私は……転生者なんだよ」


「えっ……転生者?」


ニコの目が大きく開く。


サンは頷いた。


「転生者は、この世界の人と何も変わらないよ。

ただ、地球での前世の記憶があるだけだから」


「転生者には不思議な力もないしね」


「不思議な……力?」


ニコの声が小さくなる。


サンは苦笑して言った。


「そういうのはない。

ただ、覚えてるんだ。匂いとか、味とか、言葉とか……

自分の生きて来たすべての軌跡を」


そして、視線を少し落として言う。


「地球にも、こちらからの転生者はいるはずだよ。

自分からその事を言わないから

あまり知られてはいないけどね」


ニコは言葉を失い、器を見つめたまま固まった。


「……」


湯気だけが、静かに立ち上る。

お粥の表面が、小さく揺れている。



「私の旦那のことは知ってるよね。

旦那は――召喚者だったんだよ」


「召喚者……」

ニコがその言葉を反芻するように呟くと


サンは静かに頷いた。


「そうだ、召喚者だ。召喚者には特別な能力を

必ず授かってこちらに来るらしい……」


「特別な能力……」


ニコは、自分の胸の奥に触れるような感覚を

覚えながら、自分と重ねて聞いていた。


サンは、湯気の立つ器を見つめたまま

少しだけ口元を歪めた。


「でも、うちの旦那は戦いはからきしで……。

何の能力もなかったから

ほとんどお払い箱で……放り出されたんだよ」


「……」


ニコは言葉を失った。

“召喚者=特別”という響きに

当然のように価値が付く。

そして、価値がないと判断された瞬間に

切り捨てられる。


サンは息を吐いて、話を続ける。


「私の家は、食べるのにも困っていた。

だから、十五になったら家を出て

冒険者になろうと思ったんだ」


サンの視線が、遠くを見た。


「王都セント・カリオンの、聖統大聖堂に行った」


「王都……」


「あぁ。この国の王都だよ」


ニコはベルモットの本で“王都”という言葉を

知ってはいた。

けれど、人の口から語られると、文字とは違う重みがあった。

遠い場所なのに、現実の地名として胸に落ちてくる。


サンは淡々と、けれどどこか誇りを隠すように言った。


「他にも、たくさんの人が聖統師になるために来ていたんだけどね。

……ほとんどは門前払いだった」


サンは自分の指先を見て、言葉を選ぶ。


「でも、なぜか私は認められて……聖統師の見習いになれた。

それで、ちゃんと聖統師にもなれたから

――回復系の加護を授かることができたんだ」


「魔法……?」


「あぁ。そうだ。魔法だよ」


ニコは息を呑む。

回復系の加護。

それは、この世界で冒険者として

“生きる”ための力そのものだ。


サンはふっと笑った。

でもそれは喜びの笑いではなく、苦い笑いだった。


「これで冒険者になれると思ったら……

旦那が放り出された時に、言われたんだ。通訳になれって」


「通訳って……日本語の?」


「そうだよ」


サンは、目を細めた。


「なぜか私が日本語を話せるのを、向こうが知っていた。

……どうして知ってたのかは謎だけどね」


「……」


ニコは黙った。

“知っていた”――その言い方が

引っ掛かった。

偶然ではない。

誰かが、どこかで、サンの“前世”を把握していたみたいに。


サンは低い声で付け足す。


「私は家族にすら言ってなかったからな」


その一言が、部屋の空気を少しだけ冷やした。

湯気はまだ温かいのに、胸の奥がじわりと冷える。


それは――自分も監視されているのか?

という恐怖だった。


ニコはお粥の匙を持ったまま、そっとサンを見上げる。


サンは、いつもの明るさを崩さないようにしている。

けれど、その奥にある“怖さ”が、言葉の端々から滲んでいた。


サンはふっと、思い出し笑いをした。

笑ってしまえば、少しだけ息ができる。

そうやって自分を保っているようにも見えた。


「聖統大聖堂は、何もわかってなかったんだ」


サンは肩をすくめる。


「うちの旦那の能力をね……。旦那は

元の体に魂を移すことができた」


「魂を……移す?」


ニコの声が、少しだけ震えた。


「旦那は“日本に帰れるのと同じ”って言ってたな」


サンは懐かしむように目を細める。


「昼間でもいつも寝てるから、問い詰めたら……白状したよ。

今日はゲームの発売日だってね!」


「……」


ニコは匙を止めた。

ここにいながら、別の場所へ。


サンは肩を揺らして笑う。


「その時なんで旦那にその能力を授かったか納得したよ

旦那にとってはここはゲームの中みたいなもんなんだろなぁ~と」


「旦那は日本にいた時は、ぐうたらだったってとも言ってたよ」


「えっ、カイさんが??」


思わず声が上ずる。

あの何でも知っているようなカイさんが――。


「あぁ、そうだよ」


サンは面白がるように頷く。


「私の故郷のこの街に戻ってからは、寝てるのは

調べ物をするために帰っているって言ってた。」


「……」


ニコは一瞬、頭の中で繋がった。


だからカイは、妙に物事を知っている。

だから迷いなく言葉を選べる。

だから、あんな言い方ができた。


サンは笑いながら言った。


「物知りなわけだよ!」


ニコも、つられて少しだけ口元が緩む。


「ですねぇー」


笑いは、小さかった。

でも確かに、部屋の空気を少しだけ軽くした。


サンは少しすっきりした顔で

「ニコ、聞いてくれてありがとね。

昼飯は期待してな」と言って


部屋から出ていった。


第25話「サンの軌跡」

お読みいただき、ありがとうございます。


今回は、サンという人物の“明るさ”の裏側にあるもの

――迷い、罪悪感、そしてそれでも誰かを助けたいという意志を

静かに掘り下げる回になりました。

食堂に戻っても空気が重いままなのに

いつも通りの声を張って日常を繋ごうとするサンの姿に

芯の強さを感じました。


園長が食堂で普通に食べるだけで場がほどける

という描写も印象的でした。言葉で励ますより先に

“そこにいる”ことが安心になる人がいる。

園長が背負っている重みと、魔獣たちの信頼が

短い場面で伝わっていれば嬉しいです。


そして後半、ニコの個室で語られる真実。

サンが転生者であり、聖統師として回復系の加護を授かったこと。

さらに、カイが召喚者で「魂を元の体へ移せる」

という能力を持っていたこと――この告白によって

今まで断片だった“カイの知識の理由”が一本の線になりました。

同時に、サンの「知られていた」怖さも残ります。

誰が、何を、どこまで把握しているのか。

世界の仕組みが優しいだけではないことが

じわりと滲む回でもありました。


お粥の湯気が立つ部屋で、深刻な話をしながらも

最後に小さく笑える。サンがニコに残したかったのは

きっと「恐怖の共有」ではなく、「一緒に生きていける温度」

だったのだと思います。


次回、サンの語った“軌跡”が、ニコの中でどう育っていくのか。

そして、カイという存在の輪郭がさらに濃くなるのか――。

引き続き、楽しんでいただければ幸いです。

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