春の訪れ 第21話
寒さが少しだけ緩み、雪解け水が道の端を細く流れはじめる頃
フェルナ園には「春の合図」が訪れる。
明日は南の行商団が来る日だ。
この街の逗留場所はフェルナ園である。
フェルナ園には彼らが仮設市を出す為の敷地が
十分にあり、宿泊出来る施設も整っている
彼らにとっては好都合な場所だ。
数日前から別館は受け入れ準備で大忙しだ。
臨時の人員で掃除を行っていた。
昼食後ロルフが魔獣達を集め、話を始める。
「みなさん午後からは別館の掃除をしてもらう。」
「別館?」
ゴリムが呟く
数年前からここにいる
ワイズコボルトが説明する。
「この時期になると南の地から行商団が
やって来て、その方々が泊まるのが
ここなんですよ。」
「行商団?」
「行商団は南の地のいろいろな物を
届けてくれる大事なお客様ですよ。」
「しっかり綺麗にしましょう。
明日は私達も臨時市に行けると
思いますよ。」
ゴリムが嬉しそうに答える。
「楽しみだな!」
ワイズコボルトも笑顔で相槌をする。
「そうですね私も楽しみです。」
「ワイズさん、こっちに来て下さい。」
ロルフの声がワイズコボルトを
呼び寄せる。
魔獣園にはコボルトが数体いるので
ワイズコボルトはワイズと呼ばれている。
返事をしてロルフの元へ歩み寄る。
「ワイズさん掃除の
指揮をしてもらって良いですか?」
頭を下げて了承するワイズ
ワイズは人の言ってる事は
分かるがゴリムのように話す事は
出来ない。
ワイズは手際よく指示を出し掃除を進めていく。
別館の受け入れ準備が整い
明日の仮設市は無事開けそうである。
―――
冬の間眠っていた街道が息を吹き返し
遠くから鈍い蹄音と車輪の軋みが近づいてくる。
先頭は巨体を揺らすヒッポス。背に乗せるのではなく
頑丈な荷車を引くために調教された家畜で
その歩みは遅いが崩れない。
ヒッポス荷車が数台、列を成して園へ入って来た。
南の交易路を束ねる大きな行商組織である。
人々はまとめて「南の行商団」と呼んでいた。
フェルナ園の門が開くより前から
人が集まりはじめる。
「今年の米の出来はどうだろう」
「酒は美味いかなぁ」
「何か珍しいものはないか」と
皆が口々に期待を寄せながらその時を待っている。
今日は朝からずっとソワソワしていた魔獣達も
賑わいを見せる仮設市へと姿を現した。
大きく開かれた門の方を仰ぎ見て
ゴリムが感心したように声を出す。
「すごい人だなぁ……」
すると古参のワイズコボルトが
物知り顔で説明を加えた。
「春はいつもこんな感じですよ。
冬の間は行商も来られませんからね。
久しぶりの市とあって街の住人も
いろいろな物を切らしているはずですよ」
「門が開くみたいですよ」
コルナがそう告げた直後だった。
せきを切ったように
一斉に人の波が仮設市に向かって動き出した。
この地方では決して手に入らない品々を
行商団が携えてくることを誰もが知っている。
そして、それら「特別な品」だけは
何があっても手に入れようと人々は詰めかけるのだ。
お目当ての品を他人に奪われまいと、誰もが先を急ぐ。
その熱気に押されるようにして魔獣達を
興奮した住人たちが次々と追い越していった。
―――
臨時市には、魔獣園の周辺にある街や村から集まった
数多くの店も軒を連ねていた。
その賑わいの中に、アレンの故郷である
リムブリッジ村の店も見つけることができた。
「兄さん、来てたんだね」
アレンが、店の主らしき男に親しげに声をかける。
アレンの兄・ラルフが、荷を整理する手を止めて顔を上げた。
「ああ。魔獣の問題は怖いが……。
この市に来て蓄えておかないと
村の食い扶持に困るからな」
「確かに、そうだね」
アレンは深く頷き、故郷の逞しさに少しだけ目を細めた。
その頃、ニコは園長に連れ出されていた。
園長は言葉で命じるでもない。
ただ、それが当然であるかのように
自身のすぐ隣にニコを置いて歩いている。
「行こうか」
「……どこへですか?」
「見せるものがある」
「ワァー!」
「露店だ!」
行商団たちが店を広げる様は
さながら祭りの縁日のようだった。
ニコはその光景に圧倒され
思わず感嘆の声を漏らしていた。
園長は隣を歩くニコに
この市のことわりを説明するように語り始めた。
「行商団というのは、まず『買う』ことから始める。」
彼らはこの園や近隣の村々で手に入るものを
驚くほどの勢いで買い取っていく。
乾燥肉、保存の利く根菜、果実の加工品、蜜蝋、薬草、そして布地――。
「こんなものまで?」と首を傾げたくなるような品でさえ
彼らが南の地へ運びさえすれば、たちまち価値ある品へと化けるのだ。
「そして、その次に『売る』」
彼らが並べるのは、この地方では滅多にお目にかかれない品々だ。
質の良い塩や砂糖、香辛料、紙、あるいは針やびょう
丈夫な縄、瓶、油、そして貴重な甘味料。
彼らはこの土地で高く売れるものを厳選し、はるばる運んでくる。
「買う者がいて、売る者がいる。この熱気は
人々の欲と知恵がぶつかり合っている証拠さ」
ニコは納得して答える。
「そうなんですね。」
食堂が一気に活気づくのも、決まってこの時期だった。
冬の間はどうしても食材が不足し
献立は単調にならざるを得ない。
そこに、久しぶりの「外の味」が混じるのだ。
荷車の幌がめくられるたびに
群がる人々のざわめきが熱を帯びていく。
サンは最初から、米の袋だけを探していた。
毎回必ず持ち込まれると分かっていても
その目で確かめるまでは、どうしても落ち着かない。
麻袋が幾つも積み上げられていた。
袋の口から白い粒がこぼれんばかりに
どれもパンパンに膨らんでいる。
「……お米……」
サンはこみ上げる感情を抑えるように胸に手を当てて呟くと
園長の姿を見つけ、弾かれたように駆け寄った。
「園長。米、あります。……多めに購入できませんか?」
園長は一度だけ袋へ視線を投げると
責任者らしき男へと目配せを移した。
「いつものか」
「はい。今年のものは、例年に比べ特に粒が揃っています」
サンの言葉に、園長は短く応じた。
責任者らしき男と交渉を始めた
「量と値を聞こう」
交渉は手短に済んだ。二ヶ月ぶりに
米が倉庫へ入ることが決まった瞬間だった。
サンが嬉しそうに言う
「園長ありがとうございました。」
「おぉーみんなに美味しい物、食べさせてやってくれ。」
次々と袋が縛られ、園の印が付けられていく。
その横で、園長は何でもない顔を崩さぬまま
荷車の棚に並ぶ他の品々へと視線を流していた。
棚には、厳重に封をされたガラス瓶が並んでいた。
下げられた札は二種類。この地方において酒は極めて貴重な品だが
行商団はそれを欠かさず持ち込んでくる。
街の者たちが、喉を鳴らしてこれを心待ちにしていることを知っているからだ。
園長の視線に気づいた責任者が、商売人らしく口元を緩めた。
「酒も、いつもの通り二種類ございます」
園長は短く顎で示した。
「違いを言え」
「こちらは発酵を早めに止めた甘口。
そして、あちらはじっくりと熟成させた辛口です」
園長は迷うことなく、命じた。
「比べさせろ」
責任者が深く頷き、試飲用の瓶から小ぶりのグラスへ
淡いもえぎ色の液体を注いだ。搾りたての酒だけが持つ
春の息吹を閉じ込めたような香り。
それは、若々しい透明感に満ちた甘口の酒だった。
園長は無言で、最初の一杯を喉へ流し込んだ。
続いてもう一方のグラスには
重厚な黄金色の液体が満たされる。じっくりとした熟成を経て
冬の柔らかな日差しを溶かし込んだような深い輝き。
こちらは、芯の通った辛口の酒だ。
二つ目を口に含んだ瞬間、園長の目の色が変わった。
「……こちらだ」
「辛口の方で?」
園長はグラスを置き、迷いなく断じた。
「そうだ。これをくれ」
「承知しました。何本にいたしましょうか」
「辛口を三本。……それと、甘口を一本だ」
いつもは自分の好む辛口しか買わない園長が
甘口を注文に加えた。
さらに、珍しく責任者へと言葉をかける。
「今年の甘口は、美味いな」
責任者は、待っていましたとばかりに自慢げな笑みを浮かべた。
「お目が高い。南の地でも大好評をいただきましてね。
今年はいつもより多めに積んできているんですよ」
「ほう、そうか」
園長はわずかに口角を上げると、即座に言い直した。
「ならば甘口は二本だ。それに変えろ」
予想外の追加注文に、責任者の顔がさらに明るく綻ぶ。
園長は無表情を装いつつも、手に入れたばかりの瓶を眺めた。
この見事な甘口が、酒に慣れぬ者たちの喉をいかに喜ばせるか
――その光景を、すでに予見しているようだった。
支払いは淡々と、滞りなく済まされる。
園長は、酒を買う理由をあえて言葉にはしない。
だが、誰もが分かっていた。
この酒は。
長く厳しい冬を共に越えた者たちへの「慰労」なのだ。
それは凍てつく季節を耐え抜いた心に灯る
小さな灯火のようなものだった。
その一連のやり取りを、ニコはじっと見つめていた。
だが、ふいに別の棚の前で足が止まる。
そこには小さな箱が並んでいた。丁寧に紙で包まれ
さらに細い革紐で厳重に縛られている。添えられた札には
聞き慣れない南の言語と、共通語でたった一行
こう記されていた。――「カカオ菓子」
(……え?)
ニコの耳が、ぴくりと跳ねた。
見間違いではない。箱の隙間から覗く色は
限りなく黒に近い、深い茶色。
(チョコ……だよね?)
かつて地球で親しんだ、あの嗜好品。
それが、なぜこんな場所にあるのか。
ニコは思わず園長を振り返った。
園長は、はじめからニコがそれを
見つけるのを待っていたかのように
静かに視線を寄越す。
「見つけたか」
ニコは息を呑み、震える指で小箱を指差した。
「……園長。あれ、買えますか」
棚の脇に小さく砕かれた「試食用」の欠片が
小皿に置かれてはいるが、この貴重そうな品を
勝手に口にして良いのか、責任者の視線が怖くて
聞けずにいた。
ただ園長の顔を必死に見上げて嘆願した。
園長は一度だけニコの前の皿へ目をやると
呆れたように鼻を鳴らした。
「本当にそれで良いのか? ……横に試食がある。
まずはそれを食べてみろ」
責任者は先ほどと違い柔らかい視線で
「どうぞどうぞ食べてみて下さい。」
と言った。
「えっ……あ、はい。いただきます」
ニコは恐るおそる、一欠片を手に取った。
指先に触れる質感は硬く、石のようだが
鼻を近づければ間違いなくあの香りがする。
ニコは意を決して、それを口に含んだ。
――瞬間。
舌の熱に触れたカカオの脂が、とろりと溶け出した。
(……っ!)
最初に広がるのは、脳に直接伝わる力強い苦味と、
発酵したカカオ特有の深みのある酸味。
続いて、未精製の砂糖の野性味あふれる甘さが
喉の奥を熱く焦がしていく。
鼻腔を突き抜けるローストした香りは
紛れもなく「地球」で親しんだあの嗜好品の香りだった。
ザラリとした砂糖の粒感、そして長く続くビターな余韻。
感覚が、味覚を通じて鮮やかに蘇った。
(……チョコ……だ。荒削りだが本物のチョコレートだ……!)
確信に満ちた強い光が宿っていた。
「園長……。これ、これに間違いないです。……どうか、買ってください!」
二度目の嘆願。
園長はもう一度その箱に目をやり、
何でもない声で返した。
「お前が剣の修行を始めるというのなら
買ってやろう」
「えっ、修行……?」
ニコは硬直した。
剣。修行。ここ最近、その単語を耳にするたびに
胃の奥がひゅっと縮むような思いがする。
ニコは懸命に考えた。……そして、考えすぎた末に
力なく視線を伏せた。
「……なら、いいです……」
その瞬間だった。
園長が、ふっと笑った。
ほんの一瞬、口元だけを緩めるような、密かな笑み。
「冗談だ。買ってやる」
「…………っ」
ニコは言葉に詰まった。
嬉しいはずなのに、悔しい。
まんまと担がれたのが、ひどく気恥ずかしかった。
園長はいつもの無表情に戻ると、責任者へと向き直る。
「それを。……値と、中身の説明を聞こうか」
その言葉を聞いた瞬間、ニコの顔がパッと明るく輝いた。
先ほどまでの悔しさや気恥ずかしさはどこかへ吹き飛び
伏せていた耳がピンと垂直に立ち上がる。
「わあ……ありがとうございます、園長!」
ニコは弾けるような笑顔を見せる。
まだ手に入ったわけではないのに
心臓がトクトクと高鳴った。
園長の交渉が終わり「チョコ」を
手にしたニコ。
この世界で冬を越えた自分への、何よりのご褒美。
ニコの瞳は、革紐で結ばれたその小さな箱に釘付けになり
まるで宝物を見つめる子供のように
キラキラと澄んだ光を宿していた
南の行商団が運ぶのは
この地方では贅沢品とされる高価なものばかりだ。
彼らは決して無駄にかさの張る荷は持たない。
確実に売れると踏んだ品だけを厳選して運んでくるのだ。
代わりに彼らが買い取っていくのは、この地では当たり前でも
南の地では希少価値の付く品々だ。往復の荷に一切の無駄を許さず
どこで値を上げるべきかを熟知している。
彼らがこの大陸で最も成功しているのは、単に品を運ぶからではない。
真に「価値の居場所」を知る、抜け目のない商売人だからであった。
そして――それはこの街の住人も同じである。
第21話、いかがでしたでしょうか。
今回は「食」と「流通」にスポットを当てた回でした。
この世界の流通を支える「南の行商団」。
彼らはただ物を運ぶだけでなく
どこで何が売れるかを知り尽くした
「プロフェッショナル」です。
園長が吟味していたお酒や
サンが真っ先に確保したお米など
それぞれのキャラクターが何を
「ご褒美」としているかを描くことで
彼らの生活感を表現してみました。
特にこだわったのはチョコレートの描写です。
精製技術が未発達な世界観なので
口どけの良いチョコではなく
カカオの酸味やザラッとした砂糖の食感が残る
「原初のチョコレート」をイメージしています。
それでもニコにとっては、何よりも輝いて見えたはずです。
園長、辛口派なのに甘口もちゃんと買うあたり
やっぱり園の皆のことを一番に考えていますね(笑)。
春になり、人の動きも活発になります。
これからの展開もどうぞお楽しみに!




