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ホーステイル砦の撤退戦  作者: 林忍


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終章 邂逅

 本作はムーンライトノベルズで連載中の「アコニットの町で」の過去譚です。

 そして本章は、その後に語られることになる二人の記憶の、最初の頁です。


 ドリス子爵カイルはフィッシャー副長と近衛兵らに負傷兵らを教会へ運ばせた。

 町の広場は臨時の救護所——と言うには露天で日除けもなく、石畳に敷かれた薄い布や藁の上に負傷兵らが横たえられているだけという、お粗末な状況だった。


 その中を神官たちが縫うように移動しながら、兵士らの包帯を換えている。

 カイルはその中で不似合いな少女を見つけた。神官らが交換している血で汚れた包帯を回収しつつ、布を裂いただけに見える包帯と交換している。

 そして下級神官らに指示を与え、効率よく人を動かしているのがわかる。

 服装は青のコットンコルセットにドワーフ製の革ブーツ。

 明らかに良家の少女だ。

 カイルは無意識に、吸い寄せられるように少女へ近づき、話しかけた。


「すまない。この者たちを収容できる場所はあるか?」


 少女が振り返った。

 美しい蜂蜜色の髪と吸い寄せられそうなヘーゼルカラーの瞳が印象的だった。

 肌は透き通るように白く、まだあどけなさが残る美少女……カイルは胸の奥で何かが動いたような気がした。


(……もしかして、領主様か何か……?)


 泥と血に顔まで染まった鎧に身を包んだ金髪の騎士に質問されたときに、リノは彼の佇まいがどこか周囲と違っているように感じた。

 

 領主様なら、出陣の見送りで遠目に見たことは何度かある。兵士の友人や家族がいるわけでもないのに、カイルを見送りたいという女友達らに誘われ、仕方なくだったが……冷たそうな雰囲気の美青年だったとは思う。


 しかし屋外なのと、逆光で顔はよく見えない。


 負傷兵を寝かせて良い場所は、リノは救護所の人間ではないし、誰も手が空いている神官もいないのでわからない。

 それに心が限界で、頭をすぐに切り替えることができなかった。


 少女は救護所の手伝いをしているだけらしく、返答に困っているように見えた。

 あるいは鎧姿に怯えているのかもしれないと思い、カイルは別のことを聞いた。


「お前は、どこの娘だ?」


 その口調は命令ではなかった。

 強くて、冷静で、でも決して高圧的ではない。安心させようとしてくれているのはわかった。

 リノはむしろ、なぜか安心した。安心すると、名乗ることができた。


「《春の息吹》商会長ラモンの娘、リノと申します……」


 《春の息吹》商会。

 穀物と布を扱う、アコニットでも指折りの大店だ。商会長ラモンは、イグナシア王国から流れてきた人物で、その影響か、娘にも異国風の名を与えている。


——もっとも、リノという名は、本来は男名だったはずだが……


「そうか……ありがとう。布が必要なら、部下に回させよう」


 丁寧で落ち着いた声だとリノは感じた。

 明確に状況を伝えながら、周囲の兵が混乱しないよう指示を飛ばす金髪の騎士の姿は、頼もしく、どこか威厳すら感じさせた。


「包帯をこちらにください」


 神官から声がかかり、包帯を抱えたまま、リノは一礼した。


「……お役に立てることがあれば、また呼んでください」


 それだけ言って、踵を返した。


「待て」


 思わず、カイルは声をかけていた。


 理由はわからない。

 戦場でも、負傷兵の山の中でも、こんな衝動に駆られたことはない。

 ただ、この惨状の中で——あまりにも場違いなほど澄んだ存在が、ここに立っていることが、どうしても気にかかった。


「……無理はするな」


 それだけ言うと、リノは少し驚いたように目を見開き……

 やがて、ほんのわずかに笑った。


「はい」


 それは、疲れ切った救護所の中で見るには不釣り合いなほど、柔らかな微笑みだった。


 カイルは、しばらくその場を動けなかった。


「閣下?」


 フィッシャーの声で我に返る。


「ああ……すまない」 


 視線を外し、カイルは再び騎士としての顔を取り戻した。

 まだ、この邂逅の意味を、彼は知らない。


 一方、リノは広場の隅で深く息をついていた。


(……不思議な人だった)


 怖いはずなのに、声をかけられた瞬間だけ、胸の奥が静かになった。

 顔はよく見えなかったが、領主様が町娘風情に声をかけてくるだろうか?

 あるいはどこかの偉い騎士だったのだろうか。


 そんな思いに耽っていたが、思案は目の前の惨状に、押し流されてしまった。


 鐘の音が、町に響く。


 この日を境に、二人の運命が、静かに動き出したことを告げるように——


最後までお読みいただき、ありがとうございました。林忍です。


本作は、ムーンライトノベルズで連載中の

『アコニットの町で』において既に語られている出来事や人物たちを、

戦記として整理し、書き起こしたものです。


結末も、その後の運命も、実はもう決まっています。

それでもこの物語を書いたのは、

「すべてが始まる瞬間」を、きちんと描いておきたかったからでした。


名を名乗らなかった騎士と、名を名乗った少女。

この出会いが、この先どんな物語へと繋がっていくのかは、本編『アコニットの町で』の中にあります。


もしよろしければ、彼らの“続きの人生”を、そちらで見届けていただければ幸いです。


ここまでお付き合いいただき、心より感謝いたします。


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― 新着の感想 ―
とても楽しく拝見しました(*´ω`*) 魔法もあるのでしょうが、それよりも剣が戦の趨勢を左右し、だからこそ数が力であり、数の暴力を知力でやり返すヾ(*`Д´*)ノ 指揮官視点での駆け引きや、かと思えば…
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