47葉 沈む記憶と浮かぶ欲求
満身創痍のシカモア。
彼女は目にした光景に絶句する。
最初、シカモアは自分が空にいると錯覚した。
視界いっぱいの青と白。
里で暮らした少女の人生の中でこの色合いはこれしか思い当たらなかったためだ。
恐怖も感動もない。
理解の範疇を超えた情報に頭が追い付いていない。
やがてその青が水であり、白が例の生き物と理解する。しかし彼女は喋らない。
いや、喋れない。
眼前の光景を正しく認識したが故に今度は圧倒される。
それは夢のような光景。
水で出来た丘。
透き通った綺麗な水が重力に逆らって山の形をなしている。
砂漠に生きる者としてまさに夢にまで見た光景。
逆にあまりに現実からかけ離れていて、ここまでの光景を想像したことのある人がいない可能性すらある。
その液面と周辺には例の生き物。
羊頭のアヒル。
水上にはほどほどだが、地上には地面が見えないほどにぎっしりといる。
草を食んでいる者、微睡んでる者、隣にちょっかいを出している者。
各々好き勝手に行動している。他の者に乗り上げたり、踏みつけて移動するのは当たり前だ。
ふさふさの体毛がなければ今頃大惨事だろう。
ふと、シカモアは寒さを覚える。
濃霧の中にずっといたせいで全身がびしょ濡れだった。
思い出したかのように身体が震え始める。
探査魔法が機能しない恐怖と長旅と調査での疲労。
そして、幼児が戯れるようにじゃれ合う生き物たちの平和な光景。
少女はとっくに限界だった。
緊張の糸がぷつりと切れる。
寒い、眠い、休みたい。
相手が村を襲ったという事実を忘れ、這うように白い群れの中へ向かう。
一心不乱に進む中で、躓いても離さなかった杖から手が離れる。
少女の意識はそこで途切れ、体は羊毛の波に攫われた。
その直後、瑞々しい穂がめいっぱい詰まったカゴを両手で持つ妖精が通りかかったが、毛玉に沈んだ少女に気づくことはなく、忙しく飛んで行った。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
あったかい。
そしてふわふわする。
なんだろう、この感触。
それより私は何を・・・って痛い痛い痛い。
私は慌てて飛び起きると痛みが走った手の指を持ち上げる。
同時に真っ白な生き物が慌てて飛びのく。
どうやらこいつが私の手に噛み付いたらしい。
いきなりなんてことをするの?
・・・ん。
よく見るとつぶらな瞳をしている。かわいい。
体毛がとてももふもふしてる。かわいい。
なんとなく昔どこかで見たことがあるような気もするけどよくわからない。
うわ。ぐめぇ、ぐめぇって鳴き始めた。
変な鳴き声。
ふへぇ。
あちこちから変な鳴き声。
驚いて変な声出ちゃったけど、私、このもふもふ生物の群れの中にいる!
というよりもここはどこ?
里ではほとんど生えてない草がこんなにびっしり。
里? そうだ。ネフティーや里のみんなは?
誰もいないと族長として振る舞わないでいいから気楽だけど、流石に一人の姿も見えないのは不安。
隠れてるなら出て来てくださーい。
・・・。
誰も返事がない。
返事をくれるのはこのもふもふ生物だけ。
重そうな頭を上下に振ってよちよちと歩いている。かわいい。
まだ混乱してるけど、現状でわかることをまとめてみる。
私、シカモアはよくわからない場所でヘンテコな生物に囲まれている。
里のみんなは誰もいない。ネフティーもきっといない。
空には飛んでいないみたい。
って、わぁ。なにあれ?
透明な砂丘? いいえ、ここは草ばかりで砂はない。
って地面もなにこれ? 砂でも岩でもないじゃない。
しっとりしてる。
もしかして、これが昔に資料で見た、土?
じゃあ、ここは黒の大地じゃないの?
あああ、わけわかんない。まとまらないよ。こんな異常事態。
はぁ。なんだか喉が渇いてる。
お水飲みたい。
だんだんとあの透明な丘が山盛りのお水に見えてくるよ・・・
あれ、本当にお水じゃないかな。
もしかしたら、もしかする?
これだけ常識外れなことが起こり続けてるのだからもしかしたらあり得るかも。
行ってみよう。
もふもふさん達、ちょっと通してね。
私、あそこまで行きたいの。
ごめんね。ちょっと通らせてね。
はぁ。かき分けてもかき分けてももふもふ。
なかなか先に進めない。
一体、どれだけいるの?
ビス族の集落にいる家畜なんて目じゃないくらいいるじゃない。
一匹くらい里に連れて帰れないかな。
もふもふさん達、またまた通してね。
私、そこまで行きたいの。
隣、失礼。ちょっとどいてね。
あぁ、大分近くまできた。そして、やっぱり水だった。
どれだけ非常識な光景なの?
水でできた山の上をもふもふさん達が浮かんでる。
あっちもこっちも生き毛玉だらけ。
とっても素敵な光景だけど、流石に喉もお腹も限界。
感動してる余裕がない。
ん。この辺の草は背が高いのね。
あ、穂が実ってる。そしてこれも真っ白。
・・・これ、食べれないかな。なんだか美味しそうに見えてきた。
毒とかないよね。ほら、もふもふさん達も齧ってるし。
きっと大丈夫よね。
もう無理。我慢できない。いただきます。かじ。
ぷぁ、げほ。・・・はぁはぁ。
溺れるかと思った。
こんなに水が入ってるなんて聞いてない。
確かに大きさはそこそこだけど、この軽さは冗談でしょ?
明らかに出てきた水の方が重いんじゃない!
強力な魔草だったのかしら。
1本、無駄にしちゃった。
でも、穂に水が入ってるの幸運。
ここには穂がいっぱいだから、好きなだけお水が飲める。
次は慎重に飲みましょう。ちょっぴりかじかじ。
一心不乱に穂の水を啜るシカモア。
周りが見えていない彼女は周囲の変化に気づかない。
彼女へ向かって大きな影が飛んでくる。
地面の生き物たちお構いなしに降り立ったその影は翼を畳み、鎌首をもたげ、じっと彼女を見下ろしていた。




