第47話「神殺しの刃」
平原ヴェットシュピールを取り囲む山道に嘆きの雫が降り注いでいた。
それは、戦場にて命を落とす兵士達に涙するかのように。静かに大地に横たわる屍を濡らし、地面の血を洗い流していく。
小雨の中、ゆっくりと歩み寄るマリアを前にして、鏡は白銀に光り輝く聖剣の向こうで一瞬、怪訝な表情を浮かべた。
何故、この女は自分と戦っているのだろうか?
転生者を殺す。それだけが目的なのであれば方法はいくらでもあったはずだった。それなのに何故、この女は真正面から鏡と戦っているのだろうか。
ゴミと罵りながらも、その行動はまるで……鏡を一人の人間として、戦うべき相手として彼女がそう認めているかのようだ。
鏡はそう考えていたに違いない。
輝く真紅の眼光。それと同時に繰り出されるは七つの剣戟。
紫色のドレスが舞い、迫り来る七宝剣の斬撃をマリアは紙一重で回避していく。その小柄な体格など触れたら吹き飛びそうな大剣の間隙を縫い疾走するマリアへ向け、鏡は素早く左手に魔力の渦を発生させた。
それは傲慢の星明の設置である。不可視の爆弾の設置場所は迫るマリアの直線上、ちょうど斬撃体勢に入る瞬間を狙っていた。
七宝剣の猛攻を掻い潜り、彼女の足が斬撃体勢に入るため大地を穿つその瞬間、鏡の視界を爆発が覆う。
彼の狙い通り、もっとも無防備な斬撃へ繋げるタイミングに合わせた迎撃だ。白煙が収まるその時、マリアの体は吹き飛んでいるはずだった。
しかし視界に映るのは、大鎌を握りしめ剣閃を生み出すマリアの姿だ。
迎撃には迎撃を。設置位置を予測したマリアは斬撃体勢に入った瞬間、地面に落ちていた剣の残骸を蹴り上げたのである。先程の爆発はその残骸により爆弾が誘爆した結果だった。
ついにマリアの斬撃が鏡を捉える。
重厚な圧力を伴った白刃は、鏡の聖剣とぶつかり合い硬質な響きを奏でた。それはまるで刃を通してお互いの思いをぶつけているかのように、火花を散らし儚く消えていく。
一撃ごとに骨が悲鳴を上げる。気を緩めると即座に剣ごと真っ二つにされそうな衝撃を全身で受けながら、鏡は妙な違和感を感じるのか一瞬、眉根を寄せた。
マリアの斬撃が以前より増している。いや……鏡が弱くなっている。
大地を覆う光が消えていた。それは結愛の能力「光輝の羨望」が消滅していることを意味していた。
力を振り絞り辛うじて大鎌の刃を抑え込む鏡は、素早く後ろを一瞥する。彼のアメジストの瞳に映るものは、口から鮮血を吐き出し倒れる結愛の姿だった。
「結愛!?」
「その女。……寿命で死ぬぞ」
重なる刃の向こうで放たれる驚愕の一言に、鏡は目を見開いた。
「もっともその女の支援がなくなった今、お前の命運も尽きたということか。遅かれ早かれ共に死ぬだけだ」
<暴食>のスキル「身能吸収」により、辛うじて斬撃を食い止めている鏡にも限界が近づいていた。
元々、身体能力においてマリアと雲泥の差がある彼を補っていたのは結愛の能力である。さらに「身能吸収」の効果時間も短く、再度、発動させている時間など今の鏡にない。
徐々に聖剣ごと自らの体へ迫る漆黒の刃へ視線を移しながら、鏡は自分が置かれている窮地を悟ったに違いない。
そこにあるのは、死だけだと。
刹那。一筋の風が駆け抜ける。
それは白刃となって彼女の首元へ迫った。咄嗟に体を逸らし回避したマリアのすぐ脇を赤毛のポニーテールが通り過ぎていく。
馬の背から飛び出した情島 朱莉が通り抜け様、マリアの首筋へ刃を走らせた結果だった。それにより一瞬、マリアの力が抜け、その隙に鏡は大鎌の刃を押しのけ後退。結愛の元へ駆け寄る。
全身、傷だらけの朱莉は、マリアの鋭い眼光を前にしても怯むことなく双剣を構えた。
『すいません! 隊長! 逃がしました!』
マリアの脳裏に響くはシオンの念話だ。
『だらしないわね』
そう短く返答するとマリアは、ゆっくりと朱莉へ歩み寄る。
「……鏡。結愛つれて前線から離れろ!」
「朱莉さん!? でもそれじゃこの戦は……」
「鏡! 忘れたのかよ!? あたし達はこの国のために戦ってんじゃないだろ!? 仲間を守るためじゃないのか!?」
突如、朱莉は片手で頭を抑えた。彼女の瞳が徐々に憎悪に染まっていく。
声が響いていた。大浴に似た憎しみの声。目の前の死神へ対する殺意の奏で。
殺せ。殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。
「うるせぇ! 結愛を……仲間を守らなきゃだめだろ! 強ちゃん!」
叫び声と共に繰り出されるは魔法障壁により形成された城壁。幾度となくマリアの斬撃を阻んだ鉄壁の盾「憤怒の城壁」だ。
分厚い魔法障壁の奥で、朱莉は憎悪に濡れた瞳をマリアへ向ける。
「絶対、ここから先は一歩も行かせねぇ!」
決死の城壁を一瞥すると、鏡は結愛を抱きかかえる。
彼女は美しい顔を蒼白とさせ、小刻みに痙攣を繰り返していた。瞳孔は開き切っており、青い瞳からはうっすらと涙が垂れている。
「鏡! 行け!」
鏡は朱莉の言葉にうなずくとその場を駆けだした。
自らの獲物の後ろ姿を一瞥し、マリアは真紅の瞳を朱莉へと向ける。並の人間では震えあがるほどの殺意と、鋭利な刃物のごとき鋭さを秘めた紅玉。
だがそれに反して瞳の奥に潜むものは、これから死にゆく者への鎮魂の情なのかもしれない。
「……遊びは終わりだ」
鋭い声音と共に浮かび上がるは濃密な闇。
マリアの右手に周辺の死体から浮かび上がる霊子が収束していく。その漆黒の渦は、今まで朱莉や他の転生者達が見てきたものとは比にならない大きさと濃度を有していた。
死者の魂を糧に死神が生み出すもの。それは一振りの美しき刃。
「私の刃は、万物を両断する」
マリアはゆっくりと漆黒の渦へと右手を潜り込ませた。
「最上位死霊武器・神殺しの征服者召喚」
柄を握ったその瞬間、漆黒がはじけ飛ぶ。
浮かび上がるは金剛石の刃。先端が鋭利に湾曲したそれは薄暗い中、こぼれ落ちる光を屈折させ七色に光り輝いている。長い柄の後ろには鎖が垂れ下がり、地面と擦れ音を奏でていた。
素早く後ろを確認した鏡は、その大鎌を見た瞬間、戦慄が走るがごとく背筋を震え上がらせた。
あの刃は今までのものとは違う。体を……脳髄を駆け抜ける恐怖が鏡にそう教えていた。
咄嗟に彼は叫ぶ。
「……逃げて! 朱莉さん!」
その声に反応する暇もなく、マリアの姿が視界から消えた。
電光石火のごとく瞬時に朱莉の眼前に迫ったマリアが握る金剛石の刃が煌めいた。それは七色の軌跡を生みだし、朱莉へと剣閃を生む。
朱莉は信じていたに違いない。自らの障壁が自分を……仲間を守ることを。
だが神殺しの刃はそれを許しはしない。
「一刀確殺」
衝撃音もなかった。火花すら生まなかった。
まるで障壁の存在そのものをかき消すかのように、神殺しの刃は憤怒の城壁を……朱莉の体を突き抜けていく。
剣閃が過ぎ去った後、そこにあるのは胴体を分断された朱莉の最後の姿だった。




