第45話「希望という名の聖剣」
薄暗い天から細かい水滴が降り注ぐ中、山道を赤黒い血が染めていた。
留まることを知らない「紫の薔薇騎士団」の突撃により生み出された死体が大地に横たわっている。その光景は見るものに恐怖を与え、王国騎士団の戦意を確実に削いでいった。
死体が語り掛けるのだ。「次はお前の番だ」と。
紫の薔薇騎士団の前に立ちふさがる王国騎士団は、恐怖を呑み込み体を奮い起こして死地へと赴く。金とちっぽけな愛国心だけを胸に刻んで。
そんな彼らが、目の前で繰り広げられる騎馬隊の突撃だけに注視するのは当然のことだった。転生者……鏡 鳴落を除いて。
ほんの一瞬の違和感。それが鏡を突き動かした。
あの死神が愚直にも突撃ばかりするわけがない。無謀にも密集陣形に幾度となく刃を突き立てる彼女に感じた違和感の正体がそれだ。
鏡は、周囲を警戒するため自らが指揮する竜騎士隊を素早く離れる。その瞬間だった。
「周辺に謎の敵性勢力確認! 包囲されています!」
結愛の緊迫した声が響き渡る。
見渡す鏡の瞳に映るのは周辺の岩場を埋め尽くす漆黒の騎士。明らかにそれは薔薇騎士団ではなかった。
「……借りるわよ。双剣聖」
マリアのその言葉に呼応したかのように漆黒の騎士……エスペランス黒色騎士団が躍動する。
事前に潜ませておいた伏兵である。
結愛の言葉通り騎馬隊が周辺の険しい岩場を移動するなど不可能に近い。だが人の足……特に身体強化されたエスペランス黒色騎士団であれば、気づかれずに岩場を移動し周辺を包囲することも可能なのである。
マリアはその伏兵の効果を最大限に生かすため、突撃を「演じて」みせた。
密集陣形は無理矢理突破するのではなく、兵力を削ることにのみ専念。銃撃の際、被害を最小限に抑えるため散開陣形を形成。竜騎士隊の注意を伏兵から逸らし続けた。
その結果。エスペランス黒色騎士団は猛威を振るう。
離脱した鏡と入れ違う形で黒い風が竜騎士隊の間隙を駆け抜けていく。手にした直剣で瞬く間に斬り伏せられていく兵士の血で大地が染まっていった。
もし鏡が違和感を感じずにその場に留まっていたのなら……不意打ちにより負傷、最悪死んでいたのかもしれない。
エスペランス黒色騎士団の奇襲により王国騎士団は大混乱に陥る。その隙を死神が逃すはずはなかった。
「紫の薔薇騎士団、紡錘陣形。シオン流に言えば……ガチの突撃だ」
重騎馬隊を先頭に死力を尽くした突撃が王国騎士団に突き刺さる。
死棘は破竹の勢いでまともに陣形を立て直していない騎士達を穿ち切り裂いていく。騎馬隊を従え大鎌で兵士をぼろ雑巾のように薙ぎ払いながらマリアの紅玉が一点を貫いた。
空色の髪に白い軍服。少女と見紛う容姿。転生者……鏡 鳴落の姿だ。
彼を視認したとたん、薔薇騎士団の騎馬隊は円陣を組むかのように左右に割れ、周囲の掃討へと駆け抜けていく。まるでそれはマリアと鏡の戦いを邪魔する者を駆逐しにいくかのようだった。
周囲では王国騎士団と「紫の薔薇騎士団」が入り乱れて死闘を繰り広げる中、鏡は冷静にマリアを見据えている。彼の後ろには青い髪に眼鏡が特徴の望 結愛が立っていた。
ゆっくりと歩み寄るマリアを前にして、鏡がおもむろに語り掛ける。
「兵法であなたを倒したかったんですが……やはりそこまで甘い相手ではなかった」
「当然だ。もっともお前は私とこうして一対一で戦うことを望んでいるように思えるがな」
「できることなら……ですが。あなたさえ倒せればボクは仲間を守れる」
「倒す……か。できるのか? お前ごときゴミが」
鏡は美しく白い手を前にかざした。「複製顕現」と短く紡がれると同時に光の渦が巻き起こり、それは次第に細長い形状を生み出していく。
「結愛から聞きました。あなたには唯一の弱点がある。彼女の能力にはある属性が秘められています。それは<神聖属性>。あなたに唯一効果のあるものです。そして現存する武器に神聖属性が付与されている剣があります。奇しくもそれはあなたの上官が持つ剣です」
光が四散した。
そこに浮かび上がるは白銀に輝く一振りの剣。同色の鞘に収まったその柄へ鏡はゆっくりと手を伸ばす。
「剣王が所持すると言われる聖剣<ホープアヴェリオン>。これがあなたに対抗できる唯一の武器」
鏡が聖剣を腰に納めるとほぼ同時に地面を光が駆け抜けた。
彼の後ろで結愛が大地に杖を突き刺す。茨の頂きにある宝玉が眩い光を生み出した。
「光輝の羨望、展開します!」
鏡の身体能力を増強し、対するマリアの能力を減退させる聖女の歌。パラパラと小雨が降り、大地を死者の血で染めていく山道を美しくも悲しい鎮魂歌が響き渡る。
マリアは鋭い紅玉で鏡を見据えながら、光で包まれた地面をゆっくりと歩き始めた。
「聖剣は持ち主を選ぶと言われている。お前にその刃を抜けるのか?」
「……試してみたらどうですか? そのゴミとやらがあなたを切り裂くかどうかを」
鏡の言葉にマリアは「ふん」と鼻で笑うと口元を一瞬、歪ませる。
「……言うようになったな。お嬢さん?」
彼女の足が大地を穿つ。
瞬く間に距離を詰め、漆黒の軌跡を描きながら大鎌の刃が高速で鏡へと迫った。その瞬間、彼の整った唇が言葉を紡ぐ。
「聖剣抜刀」
刹那。空間を切り裂くのは虹色の光。
抜き放たれた刃は剣閃を生み、大鎌の刀身が届く寸前でマリアの体を駆け抜けていく。
鮮血をまき散らしながら後退するマリアは苦笑した。
「……抜きやがった」
薄暗い空の下で、まさに希望を抱くかのごとく白銀に光輝く聖剣を構え、鏡はマリアを見据える。
その目に何の迷いもない。あるものは仲間を守るため自らが生きるため、目の前の死神を殺すという希望と殺意に満ちた紫紺の輝きだ。
「ボクはこの剣であなたを殺します」




