第30話「破滅への行進曲」
マリア率いる「紫の薔薇騎士団」は、破竹の勢いで王国騎士団の左翼へ突撃する。
風の音に紛れ足音を消し去り背面を取った死棘は、容赦なく王国騎士団を刺し貫いていく。しかし、マリアの言葉通り王国騎士団も間抜けばかりではない。
彼女の目の前で陣形を立て直しつつある王国騎士団は、幾ばくかの兵で密集陣形を形成し、残りは背を向けていた。それは密集陣形の兵を殿とした撤退戦である。つまり兵力分散という愚策に気が付いた王国騎士団が集結しつつあることを意味していた。
レイザックの声を押しのけ、集結を促したのは転生者「情島 朱莉」と「望 結愛」だった。
彼女達はマリアの目的が「各個撃破」だと考え、早馬を遣わし集結を命じていた。だが撤退戦はもっとも難しい。何故なら攻める相手に背を向けなければならないからだ。
それゆえ殿の兵を犠牲にして逃がさねばならない。当然、その場に踏みとどまった兵士に命はない。もちろんそれを承知の上で、二人の少女が涙を呑み下した苦渋の決断だ。
マリアの目の前に兵達が壁となり槍を突き出す。
その表情は、仲間を逃がすため自らが犠牲となる死を覚悟した顔だ。だが彼女の刃はそれに阻まれはしない。容赦なく死神が生者を屠るかのごとく刀身が兵士の胴体を真っ二つに切り裂いていく。
密集陣形とはいえ少数の兵によるものだ。「紫の薔薇騎士団」の誇る重騎馬隊による突撃は、止まることを知らず踏みつぶし、刺し貫いていった。
マリアは斬撃により哀れな骸と化した兵士に目もくれず、残存兵力が逃げ去った先を見つめる。
「追撃の手を緩めるな。シオン。フィロスの隊の配置は済んでるな?」
『すでに完了しております』
「合流先で本陣を挟撃する。仮に間に合わない場合は中央突破し転生者を直接討つ」
『了解』
「紫の薔薇騎士団、紡錘陣形。追撃を開始する。さて……狩りの続きといこうか。狩猟場に獲物が集まっているぞ? 血と泥に塗れた哀れな小鹿がな」
マリアは狩りに愉悦を感じ、美しく妖艶な舌で唇の上を這わせた。
決死の覚悟で壁となった兵達の犠牲を糧に、王国騎士団左翼はマリア達の刃から逃れ、レイザックの元に集結する。半数以上を失い、命からがら逃げてきた兵達を見て、朱莉達は愕然とした。
本陣と合わせても総数は王都解放軍と同数……いや、兵力はむしろ少ないだろう。さらに減少したのは兵だけではない。撤退戦により消耗した士気の低下が問題だ。
たとえ本陣と合流しても「紫の薔薇騎士団」は容赦なく追撃を開始している。心が休まるわけでは決してないのだ。
そんな兵達を鼓舞する人間が一人いた。
美しきその少女は、青い髪を揺らし眼鏡の奥に涙を浮かべ「ごめんなさい」と繰り返し、兵達に語り掛けた。
「ごめんなさい。だけどあなた達しか戦えないんです。お願いします。立ち上がって戦ってください! 生きるために!」
少女の訴えに男達は咆哮に似た雄たけびと共に立ち上がる。戦乙女を思わせるその姿に朱莉は顔をほころばす。
絶体絶命なこの状況で戦士達を奮い起こさせるのは、大将の怒声などではない。心に訴えた少女のか弱い声なのだ。
生きて帰れるかもしれない。朱莉の脳裏にそんな希望が見えたであろうその時だった。一人の騎士が駆け寄り声を張り上げる。
「前方に敵性勢力確認! 密集陣形で接近中!」
「早い! まだあの死神どもは追いついていないはずなのに!?」
「まさか……待ち伏せされた!?」
朱莉の驚愕に染まる言葉に、結愛の震える声音が重なった。
彼女の言葉からある結論を導き出した朱莉は、咄嗟に兵達へ声を張り上げる。
「敵の狙いは挟撃だ! 密集陣形で抑え込まれたところを背面から討たれるぞ! 騎馬隊を先頭にくさび形陣形で側面へ展開。本陣を守りながら突撃して血路を開く! そして隙を見てあの死神どもが来る前に……撤退だ!」
撤退。朱莉が導き出したその結末にレイザックが険しい表情を浮かべ彼女に詰め寄った。
「何を勝手に指示しとる! 撤退!? 馬鹿な! おめおめ逃げ帰れるか!」
「おっさんは黙ってろよ! この状況でまだ戦う気!? あの密集陣形は紫の薔薇騎士団がくるまでの時間稼ぎだよ! もたもたしてると挟撃されるって言ってんだろ!」
「潰してしまえばいいではないか! 挟撃を防ぐために側面に移動し再編成。あの死神どもを迎え撃つ! 俺は何としてもあの死神をここで仕留めなければならんのだ!」
「はぁ!? 何言ってんだ!? あんたの手柄と兵の命。どっちが大事なんだよ!?」
「だ……黙れ! 小娘が!」
激情したかのように体を震わせたレイザックが、腰の直剣を握りしめ鞘ごと馬上の朱莉へと打ち付ける。その衝撃で馬から転げ落ちた彼女をレイザックは鋭い瞳で一瞥すると号令を発した。
側面へ移動して敵性勢力をいなし、紫の薔薇騎士団に突撃。
まさに死刑宣告に相応しい命令に兵達は従った。
レイザックが恐怖するのは、兵隊の損耗でも朱莉や結愛の損失でもなんでもない。ゼーレ・ヴァンデルングにより仕組まれたこのマリアを殺す好機を逃すこと。それにより軍法会議にかけられ、自らの騎士階級をはく奪されることだった。
打ち付けられた箇所を手で押さえながら、駆け付けた結愛に支えられ立ち上がった朱莉は、死にゆく兵達へ視線を移す。
彼らの目に希望などない。その光のない瞳を見て彼らを救えないという悔しさがこみあげてくるのだろう。朱莉は小刻みに体を震わせた。
しかし同時に彼女の脳裏に浮かぶのは、仲間である転生者達の姿なのかもしれない。朱莉の瞳にはいまだ消え去ることがない光が宿っていた。
「……結愛。絶対、生きて帰るよ!」
レイザック率いる王国騎士団は、くさび形陣形を組み左翼に展開。
合流場所を予想していたマリアの指示により、密集陣形で突撃していたフィロスの隊は、王国騎士団の動きに呼応。素早く兵を左翼へ動かし、向かい合う形で睨みあったまま後退した。
密集陣形の中央でフィロスは、その青い髪を風になびかせながらある一点を見つめる。風の音に紛れるは死神の足音。紫の薔薇騎士団が迫りつつある死の奏でだ。
これからはじまるのは王国騎士団の死力を尽くした突撃だろう。あの死神達を前にして士気の低下した兵達によるそれは、国のためでも血路を開くためでもない。
利己主義に凝り固まった一人の男による自殺行為だ。
「……あれがかつての俺か」
マリアに諭される前の自らが起こしたであろう行動を目の前にして、フィロスは苦笑した。