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行き先は決まっていた。図書室だ。
図書室にはあっちでも大分お世話になっていた。あの人気の少なさと静かな雰囲気は俺には都合が良かった。特に、図書室の奥まった箇所にある六人がけの机は良い具合に本棚が設置されてあって入り口からは見えない仕様になっており、絶好の隠れ場所だった。近くの本棚にあるのも図鑑類や分厚い百科事典などばかりで、借りようとする人がまずいないのもとても良かった。そんなに大きくはない窓から注ぐ日光に当たりながら、そこに一人で座って読書や勉強をするのは俺の日課だった。
図書室は三階の端にある。教室は二階の校舎の大体中央に位置しているので校舎自体はさほど大きくはないから行くにはそう時間はかからないが、辿り着くのにはどうしても階段を使う。図書室もだが、その階段も校舎の端に位置しているため人通りはかなり少ない。階段を上って手前にあるのが図書室の他には校長室とトイレくらいしかないことも関係しているだろう。
だが生憎、今日に限ってその階段には数人の男がたむろっている。どうやら三人の男が一人の男を取り囲んでいるようだ。何だか嫌な予感がする。まるでさっきと同じような光景だ。近付くにつれて、俺はその一人の男が塩野であることに気が付いた。塩野は引きつった顔でごめん、と目の前の男達に言っている。あいつらは確か、隣のクラスの石田と新谷と長嶋だ。見た目は三人とも良くも悪くもない顔立ちなので、ここでも多分普通に相当することだろう。対する塩野はかなりのイケメン、つまりここではかなり不細工に位置しているし、恐らく性格も明るい感じではない。これがいじめに発展するのは容易い。
どうしようか。ここを通り過ぎるのはかなり気まずい感じだ。三階に続く階段はもう一ヶ所あるが、ここからは結構距離がある。
塩野が石田に肩を押されてよろめいた。ごめん、という声がやけに弱々しく聞こえる。
嫌な雰囲気だ。でも、こいつは俺の知っている塩野じゃない。理解している。でも見た目が塩野で、声も塩野で、性格が違う。表情も違う。それにどうしようもなく苛つく。これ以上見ていたくない。だからといって教室に戻るのは気が引ける。
もし俺があっちの塩野だったらきっと適当な話題でもこいつらに振って話題を逸らしたりするんだろうな。それも然り気無く、ごく自然に。塩野は顔が広い奴だったからこいつらも多分知り合いだろうし、上手いことやるんだろうな。アイツ優しいし、俺も、庇ってもらったこと、あるし。
それは俺が教室でクラスの何人かに悪口を言われていた時だった。
俺はその時そいつらから離れた位置にいたけれど話し声は大きかったから俺の耳にも簡単に入ってきていた。俺は言われているのに気付かない振りをしていたけれど、丁度一緒にいた塩野は急に割と大きな声でそいつらに、「佐久間めっちゃいい奴だから!マジで!普段は隠れてるだけみたいな?」と軽い口調で言った。
そいつらは笑いながら塩野に二三言返して他の話題にーーー恐らくこう言われては同じ話題を続けにくかったのだろうなーーー移った。塩野はにこやかに、それに佐久間は面白いよな、と俺の方に向き直って付け足した。
塩野は終始そんな奴だったから良い奴とよく言われていたし、顔の良さと運動が割かし出来るのも相まってかなりモテていた。けれど塩野自身は恋愛より友達とわいわいやっている方が好きなようだったようだから、男子からの反感もさほど買っていないようだった。話も面白いし、意外と聞き上手なのも良く作用したのだろう。
正直に言うと俺はそれが羨ましかった。顔が良ければ気持ちも前向きになれるし、人にも優しくできるようになる、そしたらもっと人生が好転していくと思っていた。
だが、今俺はそれを手に入れている。それがどんな形にせよ、それは紛れもない事実だ。
まあ、つまりだ。ちょっと、ほんのちょっと助けてやるくらい、いいんじゃないか?
こいつは塩野じゃないけれど、やっぱり塩野なんだし。とか、思っちゃったりして。
でも一体どういう風に助け船を出せばいいのだろうか。いきなり正義ぶって庇うのはどうかと思うし、柄でもない。それにある程度こっちの性格に沿った行動を取らないと不審がられたりと何かと不都合が出そうで、そういうのは出来る限り避けたい。
じゃあ今の俺が言いそうなことで、かつ話題を逸らせそうな言葉って何だろうか。
今の俺。美少年。面食い。恋愛遍歴がとてもある。スクールカースト上位。悪口をかなり言う。美醜を気にする。
……字面にすると本当に碌でもないな。
これに、今の現状、つまり男だけれど女の扱いということを考慮する。
後は、俺の演技力にかかっている。ここが勝負どころだな。
長嶋が、「ほんと塩野って不細工~!」と言った。
三人が意地悪く笑う。それに、俺は思わずと言ったように吹き出した。
「えっ、それってギャグ?おもしろーい」
軽く笑いながら俺は三人の所に割り込んでいく。
三人は一瞬呆けたような顔をしたが直ぐに作り笑いをして、そりゃサクちゃんから見たらみんなそうっしょ!と返してきた。
俺、サクちゃんって呼ばれてるのか。っていうかやっぱり知り合いなんだな。
スクールカーストがそこそこ上になるとコミュニティもかなり広いことが多い。こっちの俺も例に漏れずそのようだ。当たっていて助かった…。
俺はそのまま流れに乗り、長嶋の右頬にあるニキビを指しながら、それヤバイよー。早く治した方がいいと思うな、と追い打ちをかける。長嶋は俺より身長が高いため、今の俺は自然上目遣い気味になっていることだろう。正直やっていて寒いが、その躊躇いを表情に出ないように努める。演技はその役柄がどうであれ、恥ずかしがっていたりする方が見てる側からは余程みっともなく見える。やりきることが大事だ。と、思う。というか思いたい。
「あはは、一昨日からなんだよねー。夜にポテチ食べちゃってさぁ」
「あー、でも夜更かしとかしてるとお腹空くもんねぇ」
「分かる分かる~」
女子か。俺はにこやかな笑顔で、夜食って太るよ?と教えておいてあげた。
まあ、何にせよ状況が上手い具合に逸れたと思う。どんなやり方であれ、結果が全てだ。というか、このキャラで疑問に持たれないってそれはそれでどうなんだ?俺、予想はうすうすしてたけどやっぱりこんな奴だったんだな…、と悲しくなる。
三人はそれから少し俺と立ち話して去っていった。これは後で陰で俺の悪口大会だな。だがそんなのはよくあることだし、大した影響など出ないだろう。
塩野と二人きりになった途端、二人の間には沈黙が流れる。何となく、気まずい。思わず塩野をちらっと見ると、ばちりと視線が合う。直ぐに塩野は早口でごめん、有難う、と強張った表情のまま言った。
………あれ、俺もしかして怯えられてるのか?
とそこで、先程長嶋に放った言葉を思い出す。俺はさっき、長嶋に間接的に不細工発言をした。それを、長嶋よりずっと不細工だと思っている奴が聞いたらどう思うか。俺は簡単に予想がついた。俺がどれだけ長い間不細工をやっていたかを考えれば想像には易かった。
言葉を、もう少し選ぶべきだったかもしれない。
「別に。ってかお礼言われる筋合いないし」
と、とりあえず返事を返す。塩野の顔の強張りが解けることは無かった。
結局居たたまれなくなった俺はそれから直ぐに、「じゃあ、俺これから図書室行くから」と言い訳染みた言葉を吐き、階段を登ることになったのだった。