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歌にもならない  作者: zaizai
おまけのお話し
24/24

はじめの一歩

 昔から流され易い性格なのは百も承知している。自分の意思がその中にどれだけ含まれているのか考えるとため息が出るから気にしないでおく。今更勉強とか、本当は嫌なんだけどな---。


「ひかりーお待たせ!」

 元凶のまっちゃんは今日も元気だ。


「ノートとシャーペン買ってきたよ」


「サンキュー助かるよ。社割で私の分まで申し訳ないね」


「それは良いんだけど、本当に私が一緒でいいの?」


「全然良いよ。むしろお願いします。私ひとりで通うとか無理だから」

 駅の改札を抜ければわずか3分足らずで目的の場所に到着する。

 私たちは今日から駅前留学生になるのだ。


 直人さんと結婚したまっちゃんは直人さんのお母さんの命令で英会話教室に通う事になった。仕事の関係者やお付き合いで外国の人と接する機会も多いから英語くらい話せないと織田家としては体裁が悪いと言うのだ。


「そんなのケチケチしないで通訳付ければいいじゃないですか」


「おもてなしする側がそんなみっともない真似出来ません」


「それなら私は接客禁止と言う事にしたらどうでしょう」


「そんな事出来るわけないでしょう! 仮にもあなたは直人さんの妻なんですよ!」

 その場にいなくても情景が目に浮かぶのはどうしてなんだろう。とにかくそんなやり取りが有った結果渋々通う事になったまっちゃんは何故か私を巻き込んだ。


「ひかりもさ、いずれは貴志の海外勤務とかに同行しなきゃいけないでしょう? この際だから一緒に習おうよ。授業料は織田の家が出してくれるからさ」


「うん……」

 そうなのか。私は何時か海外に行くのか。

 って、イヤイヤ、まだ結婚するとも決まってないのに気が早過ぎる。

 

 ---恥ずかしいけれどまた流されてしまった。


 教室は私とまっちゃん2人に1人の先生が就いてくれる。先生は、美しいヨーロッパ系の男性で、お伽話の世界から抜け出して来たんじゃないかと錯覚しそうになる。金髪にブルーの瞳。彫りの深い顔立ちに英語が良く似合う。


「それ当たり前でしょう。本家本元、本場仕込みなんだから」

 まっちゃんに呆れられてしまった。

 顔に似合わず授業は厳しくて毎回宿題も出される。仕事と勉強の二股は不器用な私には負担が大きいがまっちゃんと2人なのでなんとか頑張っている。


 藤堂くんとは変わらずお付き合いを続けている。お互い忙しいので丸1日を一緒に過すのは月に数回程度で、仕事終わりの食事を共に摂るのが定番になっている。

 今日は帰り掛けに問い合わせのお客さんに捉まって遅くなってしまった。慌てて店に入って行く。


「……」

 藤堂くんが見知らぬ女性と話している。こんな事はよくある事で離れていた次期があるのだから私の知らない知人がいてもおかしくない。それなのに心がチクチク痛む。本当は私と一緒にいるよりも楽しいんじゃないのかと疑ってしまう馬鹿な私。こんな後ろ向きな自分は大嫌いなのに、最近の私は度を越して更にいじけている。


「ひかり!」

 振り向いた彼女の怪訝な顔を脳がインプットする。仕事帰りの冴えない格好に我に返る。

 履き古したパンプス。

 ばさばさの髪。

 情けなくて、彼女の視界から消えたくなる。


「お疲れ様。今日は忙しかった?」


「うん。ごめんね、遅くなっちゃった」


「いいよ。俺も今来たところだから。……顔色悪いよ。大丈夫?」


「平気だよ」

 嘘だ。

 平気じゃない。こんなみっともない感情は要らないのにどんどん心に溜まっていく。久しぶりの食事なのに---。

 すごく楽しみにしていたのに。

 これじゃ台無しだ。


 無理やり流し込んだ食事は味も感じず、何を食べたのかもよく覚えていない。会話も無いまま藤堂くんの車に揺られて帰り道を進む。


「ひかり、何かあった?」

 首を横に振る事しか出来ない。


「俺が何かした?」

 同じ動作を繰り返す。もう駄目だ。涙が零れそう。


「私が勝手に、モヤモヤしてるだけ……。藤堂くんは、悪く、無いよ」


「何を不安に思ってるのか教えてくれる?」

 そう言って車を完全に停車させる。


「分らない。分らないけど、藤堂くんが知らない女の人と仲良く話しているのが嫌なの。胸の辺りがざわついて嫌な気分になるんだもん。せっかく久しぶりに会ったのに、こんな事考える自分が恥ずかしくて情けないんだよ」


「ふふっ」


「なんで笑うの!?」


「だって、嬉しいから」


「真面目に話してるのに酷いよ」


「酷いのはひかりでしょ。俺は今日まで何百回と経験してきたよ。ひかりが見知らぬ客に笑いかけるのにむかつく。おつりを渡す手が触れるのにむかつく。満員電車に揺られて肩がくっ付くのがむかつく。あー英会話の先生、男なんだって? 直人と1度見学に行こうかな」


「藤堂くん」


「そのモヤモヤの名前を知らないの? それは、嫉妬って言うんだよ」


「嫉妬……」


「大丈夫。ドロドロの感情もふたりでいれば中和されるから。俺の腹の中はひかりの何倍も濁ってるよ。それでもやっぱり、ひかりの側にいたいと思ってる。嫉妬くらいで離れられないよ」

 大した事じゃないと笑われる。

 こんな面倒な感情をコントロールして相手に寄り添うのが恋なのか。

 私は今までどれだけ行き当たりばったりで、自分を誤魔化して来たんだろう。藤堂くんはよく我慢してつき合ってくれてたよな、と人事のように感心する。


 車はゆっくり走り出す。

 私の歩みも亀並にゆっくりだ。少しずつ前に進もう。藤堂くんは待っていてくれる。

 いつか並んで歩けるように、周りなんて気にせずに、堂々と隣を歩けるように頑張ってみよう。


 自宅とはまるで反対方向に進む車を気づかないまま安心してシートに身を預ける。

 気がつけば何故か貴志の自宅の寝室で……お互いの体温で澱んだ嫉妬を溶かして行く。


 その後まっちゃんが英会話講師と大喧嘩をして直人さんに内緒で辞めてしまってからも1人教室に通い続け英会話をきっちりマスターしたのはもう少し先の事。

 内緒の話が何故かまっちゃんの口から漏れ、まっちゃんは直人さんに大目玉。

 私も藤堂くんに、先生とふたりきりのレッスンを咎められ、踏んだり蹴ったりな教室通いの幕は閉じる事となるのだった。


 めでたしめでたし。




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