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第30話 浄罪の刻

 世界最大の宗教・聖教会の総本山であるバルゼノン教国は、ミスティル大陸北部のアストラ山脈の中に位置する国である。


 切り立つ山々を切り開いた国であり、それ故に国土面積は非常に小さい。もはや国というより大きな街と言う方が適切なくらいで、国の中に存在する建造物も教会が一つと聖テレジア騎士団の本部が一つ、そして教皇が住まう小さな屋敷があるだけだ。

 

 なぜならここは聖教会の総本山。ここに住むことが許されるのは聖教会の全権を統括する教皇その人と、教皇の盾である聖テレジア騎士団の騎士のみである。


 全てを神に捧げた彼彼女らにとって、必要なものは己の中にある祈りだけなのだ。故に国内に商業施設は何一つ存在せず、どころか貨幣の概念すら存在しない。衣食は聖教会を支援する各国から定期的に送られる品物に依存している。


 今は早朝、空が白み始めた頃。教国は静まり返っていた。屋外の何処にも人はおらず、それどころか建物の中でさえ人の姿は全く無い。


 ただ一人、教会の広い礼拝の間で祈りを捧げている男を除いて。

 

「……」


 目を閉じ膝を突いて祈るその男の名はグレゴリウス。聖教会の全権を統括する当代の教皇である。


 礼拝の間の最奥に立つ首無しの神像の前で、グレゴリウスは鉄のロザリオを握りしめながら祈り続けている。


 間もなく空に昇りだした朝日は教国を照らし始めた。朝日の白は神像の背後にある大きな窓から差し込み、教会は淡い白に包まれる。


 グレゴリウスはそれでも祈り続ける。まるで誰かを待つように、ただジッと祈っている。そんな彼が祈りを止めたのは、突如として現れた謎の影が教会を覆ったときだった。


「こんな時間から祈りとはな」


 頭の上から聞こえてきた声にグレゴリウスは目を開ける。


「音に聞こえた聖教会の教皇サマはよほどの暇人と見える」


 顔を上げたグレゴリウスの視界に現れたのは、首無しの神像の上に座る破天荒の姿だった。破天荒は神像の片足を下ろして胡坐をかくような姿勢で座っており、頬杖をつきながらグレゴリウスを見下ろすその態度は高慢そのものである。


「その台詞はそのままお返しするとしよう。こんな時間から見ず知らずの人間を嘲笑するとは、よほど時間が有り余っているようだな」

「俺の一挙手一投足はその全てに大いなる使命と目的がある。祈りなどという無意味な行為と一緒にするな」

「私の祈りは戒めだ。屍山血河に君臨する我らの正義、その非道極まる罪業を忘れぬための戒めなれば、貴様という原初の悪を滅する不退転の覚悟なのだ」


 グレゴリウスは立ちあがり、神像に座るグラムを睨みつけた。ロザリオを握る力を強めながら。


「覚えているか? 今より五百年前、マルクト王国の悪王コフによって召喚された貴様は一夜にしてこの大陸の半分を焦土に変え、マルクトを含む四つの国を滅ぼしたのだ」

「心当たりがあるような、無いような…………まぁ、記録があるならそういうことなんだろう」


 他人事のようなその言いぐさが気に入らなかったのか、グレゴリウスは険しい顔をした。


「全ての元凶は貴様だ"破天荒"! 魔族という存在の暴力を思い知った世界は混沌に陥り、その力に魅了されたいくつかの王はあろうことか魔族召喚に手を染めた!! 貴様によってもたらされた混沌こそが"魔族大戦"の根源であり、我ら聖教会の起源なのだ!!」

「好き勝手言うじゃないか。その俺をもたらしたのはお前ら人間だろうに」


 反論できずに言葉を詰まらせたグレゴリウスを見て破天荒は嘲笑を浮かべている。


「……否定はしない。だが、貴様がもたらした惨劇と混沌は貴様に依るものだという事実は揺るがない」

「じゃあもうそういうことにしてやるから、さっさと本題に入れ。お前の魂胆など既にお見通しだ」

  

 頑なに引き下がる姿勢を見せないグレゴリウスの態度に破天荒は呆れかえる。嘲笑は依然としてそこに浮かんだままである。


「魂胆だと?」

「俺を待ち伏せしていたんだろう? 無数の魔力がこの教会を取り囲んでいるじゃないか」

「……」

「感心感心。自分を囮にして、この俺を包囲網の中に誘き寄せたというわけだ」


 その刹那、破天荒はグレゴリウスに向かって目にも止まらぬ速度で飛び出した。あまりにも唐突の出来事にグレゴリウスは反応出来ず、そのまま眼前に迫って来た破天荒の貫手によって心臓を貫かれた。


「お役御免だ、死ね」


 破天荒の眼球の中にひしめく黄昏色の瞳がグレゴリウスを間近で凝視する。そこで初めて、グレゴリウスは心臓を貫かれたことに気付き、目を見開く。


 心臓を穿った一撃は間違いなく致命傷であり、グレゴリウスはもう助からないだろう。しかしその蒼い瞳には、未だ恐怖の色は見えなかった。


「囮、ではない」


 グレゴリウスは唸るように声を絞り出すと、己の身体に突き刺さった破天荒の腕を両手で掴んだ。

 

「私は先陣を切ったのだ……五百年も待ち侘びた、この戦いの先陣を!」


 次の瞬間、何者かの剣がグレゴリウスを背後から突き刺した。剣はグレゴリウスの腹を突き破っても止まらず、その先にいた破天荒の腹をも貫いた。


「……」


 が、破天荒は平然としていた。意識外からの奇襲にも動揺した様子は見えず、グレゴリウスの後ろにいるであろう姿が見えない何者かに目を向けている。


 何者かの姿は間を置かずして判明する。何もない空間から色が滲み出すようにして姿を現したのは、両目を白い包帯で隠した白髪の女騎士だった。背丈は凡そ百六十センチ程度、荘厳な重鎧に身を包んでいることが分かるが、包帯で目が見えないせいかその表情は分からない。


 特に破天荒の興味を引いたのは、その女騎士の魔力が一切感知出来ないことだった。

 

「どこかで見たことがある顔だな。魔力が感知出来ないが……あの女の血族か?」

「……」


 沈黙を返す女騎士の名は、テミス・ライト。

 

 マリーの実の母にして聖テレジア騎士団団長。そして、ダイン帝国への浄罪の劫火(ホーリー・フレイム)を実行した当代の浄罪執行者エグゼキューターである。

 

「我らの罪は、未来永劫消え果てぬが……貴様はここで消え果てる!」


 グレゴリウが声を張った。


「テミスよ、最期の教皇命令だ!!」


 剣を握るテミスの手にグッと力が入る。

 

「我ら諸共、原初の悪魔を浄罪せよ!!!!」

「『大粛清ジャッジメント』」


 テミスの固有魔法が発動する。


 火ぶたは切って落とされた。

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