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魔法学校(8)

「!」

 司書の言葉にその場にいる全員が言葉を失う。

 こんなことは前代未聞だった。各塔の守護竜はそれぞれが塔の魔女が厳重に監督しているため、離反、ましてやその全てが一斉になど、この数百年起こったことのない事態だった。


「それを早く言いなよ! 行くよ! アパス!」

「――仕方ないですね。ヴァーユ、私達は迎撃に向かいます。後は頼みます」

 テジャスとアパスはそう言うと、螺旋階段を飛び降りて一気に下層へと向かった。

 最上層の星天の間には竜を迎える吹き抜けがあるが、そこで塔の竜全てを待ち受けて一度に相手するのはあまりに無謀のため、塔に近づく前に各個撃破する必要があった。


「みなさん。落ち着いてください。大丈夫です。竜が暴れ出すこと自体はそれほど珍しくありません。みながすぐ収めてくれます」

 プリトヴィはざわつく親善大使達を不安にさせないよう、できるだけ平静を装って声をかける。


「――じゃあ、そろそろ行きましょうか。トワ様、ナユタ様」

 不意にそれまで静観を続けていたロカが立ち上がり、階段を登り始める。ダァトもその後に続く。

「えっ?」

「なに?」

 驚く二人と一行を無視して、ロカはプリトヴィの横を通り抜けようとする。


「どういうことですか?」

 だがそれを静止するようにプリトヴィが腕を振り上げ、ロカの行く手を阻む。

 ロカの落ち着き払った様子に瞬時に疑念が湧いた。もしかしてこの騒動はマルーダによるものではないかと。

「ああ――まだ一人いましたね」

 ロカは今気が付いたかのようにとぼけて見せると、その手をゆっくりと上げる。

「!」

 プリトヴィは咄嗟に後ろに飛び退き、外壁の本棚から一冊の本を取り出すと、迷うことなくそれをエーテライズで分解、ロカの前に土の壁を作り出し、階段を完全に封鎖した。

 物体をエーテルに分解し土に変化させる。土天のヴァーユの最も得意とする魔法だ。


「申し訳ありませんが、大人しくしててください!」

 壁の向こうからヴァーユが叫ぶ。

 正直この壁程度で止められるとは思っていなかった。それは先日テジャスとの決闘を見てわかっていたことだ。だが話し合いの時間稼ぎくらいはできる。


「――だ、そうですが。どうしますか?」

 ロカは小さくため息をついて、トワ達を振り返った。

「えっ? えっ?」

 トワは何が起こっているのかわからず、答えに窮する。

「……お前の狙いは、なんだ?」

 対してナユタは苦渋の表情を浮かべながら、その問いを絞り出した。


「世界をあるべき姿に正す。私の願いはそれだけです」

 ロカは淡々と告げながら、土の壁に手をかざす。

 すると壁はまるで幻であったかのように、すっと消えた。テジャスの時と同じだった。

「なっ!」

 プリトヴィは驚きの表情で、だがすぐに次の本を取り出して新たな壁を何枚も作り出す。

 しかし、ゆっくりと階段を上がるロカのかざした手に触れると、その壁も全て消失していった。

「!」

 トワはそれを間近に見て、その原理が何であるのか悟った。

 エーテライズで分解しているのではない。ある物質がぶつかり消失しているのだ。

「……赤いエーテル……」

 ロカの手が触れた瞬間、それが見えた。


『エーテルは本来、命を司る青いエーテルと死を司る赤いエーテルの二つで一つだったのです。世界が生まれる時、二つはぶつかり、対消滅し、そこで発生したエネルギーの残滓こそが普段私達が見ている青いエーテルなのです』

『それじゃあ、あの赤いエーテルは――』

『この世には存在しないエーテル! 触れれば全ての因果を喰らい尽くす!』


 ポレンヘイムでアパスとテジャスが神の目録を開きかけた時の言葉を思い出す。


「さすがですね。私はこれを無の力<アバーヴァ>と呼んでいます」

 ロカは仕掛けを見破られたことに驚くと同時に、非常に嬉しそうに語る。

「そんなことっ!」

 できるはずがなかった。赤いエーテルは世界誕生の際に失われたもので、アパスとテジャスは二つの写本を使って神の目録を開き、因果を逆流させることで発生させた。

 そこまでしないと現世には生み出せないものを、こうも簡単に出せるはずがない。


「そう。普通の人間にはね」

 驚くトワに対してロカは全く感情を感じさせない冷たい声で答える。その瞳も氷のように冷たく、澄んでいた。

「まさか――」

 ナユタは気付いてしまった。彼女から感じていた不思議な懐かしさの理由を。


「あなたは私と同じ。その魂を人間の身体に押し込められ、この地獄の世界に引きずり降ろされたそらともがら――」


「なにを――?」

 トワはその言葉の意味を理解できず、ロカの顔を窺う。

「この世界の成り立ちはご存じですか?」

 ロカは混乱するトワを無視して話を続ける。

「かつてこの大地が生まれるよりも前、宙の世界では神々が戦争をしていました。その尖兵となったのが竜。しかし竜は神に反旗を翻し宙から追放されます。その流刑地こそがこの大地なのです。そして神々は竜を滅ぼすために人間を創り、この世界に送り込みました」

 トワもその話は知っていた。教会の聖書にも書かれていたこの世界で広く信じられている神話だ。その結果、この世界は人と竜が絶えず争いを続ける世界になったという。


「しかし! こともあろうことか人と竜が手を結び、神に抗おうという国があるらしいじゃないですか!」

 ロカは両手を広げ、陶酔するかのように声を荒らげる。

「それは違います!」

 それまで黙っていたプリトヴィが叫ぶ。

「オルラトルの魔女達は自らを守るために竜と盟約を結んだのです。それは決して神への反抗などではありません!」


「……まあいいでしょう。それを確かめるのも今回の訪問の目的ですし」

 プリトヴィの言葉にロカは興味を示さず、階段を登り始める。

「あなた達も探し物があってここにいるのでしょう?」

「!」

 ロカの言葉にトワとナユタは言葉を失う。全て見透かされているようだった。

「ならば一緒に行きましょう。それを取り戻すことは私の目的とも一致します」

 そしてナユタに向けて手を差し伸べる。


「……」

 ナユタはその手を見つめながら黙って考えていた。

 もちろん自分の正体が神様などとは信じてはいなかった。

 トワやバステトが言うように、元々はこの塔に封印されていた聖典に宿る魂だったのかもしれない。それはここに来てより実感が湧いてきていた。

 だがそれがなんだと言うのか。

 今この身体で生きているナユタという一人の人間にとっては、それはもはやどうでもいいことだった。

 ここに来たのも別に元の姿に戻るためではない。ただこうなった原因である魔女ケイと話がしたいだけだ。

 このロカという少女から感じた懐かしさは、自分と同じ境遇故なのかもしれない。しかし、今この人間ナユタがするべきことは一つだけだった。それは――


「ナユタ?」

 じっと固まったままのナユタにトワが問いかける。

「大丈夫。ちゃんと覚えてるさ」

 ナユタは笑って応えるとトワの手を取り、手を伸ばしたままのロカの横を素通りして階段を登り始めた。


「あらら、また振られちゃいました。本当に面白い人」

 ロカは残念がる声を上げながらも、非常に嬉しそうに二人の後に続いた。


「ちょっと、二人とも!」

 プリトヴィは慌てて声をかけると、騒ぎを聞きつけて登ってきた司書と魔警団員に残った親善大使達の捕縛と連行を任せ、構わず階段を登り続ける三人を追いかけた。


「それに――」

 先頭を行くナユタが竜空の間に到着する。

 人地の間同様、大きな広間、高い天井の空間に、所狭しと本棚が円環状に並んでいる。司書達は誰もいなかった。


「向こうもお待ちのようだ」

 その広間の中央に立つ一人の魔女を除いて。


 長い白髪に赤い瞳、黒地のローブ姿。

 硬い革靴をこつこつと鳴らしながら一向に近づいてくる。

 その一歩一歩が埃とエーテルまみれの書庫に青い光を作り出していく。

 そして一行を見回しながら口を開いた。


「二人とも久しぶり、元気にしてた?」


 この時計塔図書館を生み出した張本人、稀代の魔女であり、トワの前世の因縁の相手であるその人――七星アヌビスが、前世のあの日と同じ笑顔でそこにあった。

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