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竜と魔女(4)

「どうして……助けたの?」

 テジャスは尻餅をついたままツイを見上げて問いかける。自分を殺そうとした魔女を助けるなんてどうかしている。

「それは――」

 ツイは答えに窮した。

 前世ではこうやって誰彼構わず救おうとしたからイツカを奪われ、こんな世界にまで来ることになったというのに、まるで懲りてないな。そう感じてツイはわずかに自嘲する。

「あなたも、本好きだと思ったから……かな?」

 だが自分でも思いもよらない答えがぽろりと口から出た。


「は?」

 テジャスは何を言われたのかわからず、首を傾げる。

 そして自らの手に握られた赤い本に目を落とす。

「……これは『炎天の魔法書グリモア』。あたしの一番大事な本。そりゃ本読むのは好きだけど――」

 しどろもどろに答えるテジャスに、ツイは嬉しそうに微笑む。

「そんなことよりあんたのそれよ! それは本当に聖典なの?」

「えっ?」

 テジャスにびしりと指差された赤い本をツイは見つめて、目を瞑り、苦悶の表情を浮かべ、熟考する。

 遠巻きに見ていたナユタも興味津々といった様子で固唾を飲む。

 そしてツイは断腸の思いで答えた。


「わかんない!」


 テジャスとナユタはがくっと拍子抜けして、その場に崩れる。

「なんでよ! さっき『こい! 聖典!』て叫んでたじゃない! それが魔法書なのは間違いないでしょ!」

「うーん。そうなんだけど、これは何というか、抜け殻というか……」

 ツイは曖昧に答えながら困ったように笑う。


 正直なところ自分でもこれが何なのかよくわかっていない。

 今世のツイの記憶によればこれは昔母が教会に自分と一緒に預けた本ということだ。

 前世の彩咲トワの記憶によればこれはこの世界に渡る際に持ってきたものだが、神の目録で出会った聖典は一緒には行けないと言っていた。

 しかし七星アヌビスが聖典は相馬ケイが時計塔の魔女から盗み出したものと言っていた。彼女が竜のエーテルキャットを使役していたことといい、この世界の記憶を持っていた可能性は否定できない。テジャスの追っている魔女がケイならば、だが。

 ただ一つだけ言えるのは今世においてもこの本は自分にとって唯一のエーテルキャットということだ。


「ちょっと見せてみなさいよ!」

「えーやだ!」


「……」

 ツイの本を奪おうとするテジャスと、その手から逃げるツイの二人を遠巻きに見つめながらナユタは鼓動が高鳴るのを感じていた。

 あのツイの持つ赤い本を見ていると妙に心がざわついた。

 見たことはない。だがよく知っている気がする。

 かつて共に旅をしたあの魔女なら何か知っていたのだろうか。


「それより! イツ……あなたの腕はだいじょうぶなの?」

 ツイがナユタに駆け寄り、その右腕を見遣る。先の竜に無理して魔法を使ったため、大きな火傷を負っていたはずだった。

「ん? ああ。平気だよ。もう治ってる」

「え――」

 ナユタが外套をめくると、そこには服だけ焼け落ちた綺麗な右腕が顕になった。

「あんた……いや、いい」

 それを見たテジャスは一瞬顔をしかめ、何か言おうとするが止める。

「昔からこういう体質でね。それよりそいつどうするんだ? 殺しとくか?」

 ナユタは平然と一緒にいるテジャスを見て物騒なことを言い出す。魔法が使えない今なら難しくはないという判断だった。

「!」

 テジャスはナユタからの殺気を感じて咄嗟に飛び退き、距離を取る。


「ちょっと! やめて!」

 ツイは再び剣呑な雰囲気を漂わせ始めた二人の間に割って入り、手を振って静止する。

「テジャス、話を聞かせてほしい。あなたの探している魔女について」

 そしてテジャスに向かって問いかけた。

 それがわかれば全ての点が繋がる。そう思えた。


「……魔女バステト。あたしは会ったことない。九年前、時計塔に封印されていた聖典を奪って逃げたとされている。あたし達タットヴァはそれをずっと追っている」

 テジャスは少し考えた後、渋々答えた。

「バステト――」

 ツイはその名を復唱して考えた。

 その魔女が相馬ケイと同一人物――同じ魂を持つ者――という保証は全くない。だがアヌビスの言っていた話と照らし合わせれば、その可能性は極めて高い。

「じゃあ、わたしは違うじゃない。何で襲ってきたのよ」

 そして何故自分が狙われたのか疑問に感じた。ツイはまだ九歳だ。バステトのわけがない。

「魔女はみんな見た目じゃ歳わかんないよ。だからこうして噂があれば片っ端から調べてんの」

 テジャスは不満げに口を尖らせて愚痴る。

「そうなんだ。えっ、じゃあテジャスもすごいお姉さんなの?」

「!」

 ツイの問いにテジャスはぎくりといった顔で明後日の方向へ目を泳がせる。

「そうよ! うやまいなさい!」

 そしてわざとらしく腕を組んで誇らしげに胸を張る。


「タットヴァの魔女は聖典が盗まれた後に生まれたって聞いてるけど」

 そこへずっと黙って聞いていたナユタが口を挟む。

「なっ!」

「……本当は何歳なの?」

 テジャスは再びぎくりといった顔で明明後日の方向へ目を泳がせ、ツイが改めて問い直す。

「……歳」

「えっ? きこえなーい」


「ろくさいよ! あたしが一番最後に生まれたんだからしょうがないじゃない!」

 ツイのおちょくるような問いかけにテジャスは激昂する。

「そんなことより、あんたよ! 聖典やあたし達のことは魔女の間でも極秘事項のはず。なんでそれを知ってるのよ!」

 そしてナユタの方が指差す。


「……旅してたんだよ。その魔女バステトとね」


 ナユタはぼそりと答えた。

 その顔はどこか寂しそうに見えた。



 森の火事は夜半に降った雨のおかげでほとんど鎮火した。

 これはツイが放った魔法が連鎖的に積み上がり、上空に雨雲を生み出したためだが、本人はもちろん意図してやったことではない。

 町への被害もなく、竜が現れたこともツイ達が黙っていたため知られることはなかった。


「まったく! 心配したんだから!」

 すっかり夜もふけた教会の中、イスラがツイを抱きしめながら叫ぶ。

「大げさだよ。火事は遠くだったし」

 ツイはそう言うが、所々焼け焦げた修道服姿で言っても嘘だとばればれであった。

「まさか、あんたが!」

 イスラは鋭い視線を奥の祭壇に向ける。

「はあ? 火事はあたしのせいじゃないし!」

 祭壇の上に太々しく座るテジャスが、足をぶらぶらさせながら応える。

「それはどちらかという俺が……」

 そして祭壇の横に背をもたれて経っていたナユタが、申し訳なさそうに口を挟む。

「あんたらは……あんたは昼間会った子だね? 何があったか全部話してもらうよ」

 イスラは有無を言わせぬ鬼の形相でツイの手を引きながら、二人に迫る。

「うぅ……」

「なによぉ……」

「……」

 三人は悪戯がばれた子供のように萎縮し、目の前に立ちはだかるシスターに罪の告解を始めた。

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