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竜と魔女(3)

「!」

 その姿を見てナユタはしまったといった顔をする。

「あれあれー? ヴァーユねえは男の子って言ってたのに、おかしいな。まあいっか、どっちでも」

 そして少女はずかずかと川の中に歩み寄り、まだ尻餅をついているツイを見下ろす。

「えっと――?」

 ツイは突然現れた少女に面食らうが、その瞳が赤いことに気が付き、はっとなる。

「おねえさんが時計塔から逃げ出した魔女なの?」

「え? なんのこと?」

 少女は腰に両手を当てたまま、ずいと自分の顔をツイの顔に突き出す。

「おねえさんも魔女でしょ? あたしたちと同じ目してるもん」

「あっ」

 ツイは少女の目を見て、自分以外の魔女を初めて見た驚きで声を上げる。


「あたしはテジャス。オルラトルの時計塔から聖典を盗み出した魔女を追ってる」

「!」

 ツイはオルラトルと聖典という言葉に反応する。どちらも前世で聞き覚えがある。

「あはは、隠すのへたすぎ!」

「ちがっ――」

 ツイは弁解しようとするが、即座にテジャスが手を伸ばし、その口を塞がれる。

「どっちでもいいよ。どうせ死ぬんだから」

 テジャスはツイの口を掴んだまま、身体ごと持ち上げていく。その幼い姿からは信じられないほどの力だった。

「くっ!」

 ナユタが左手で川に落ちた短剣を拾い、目にも止まらぬ速さで斬りかかる。


「はっ! こっちは塔士様気取りか!」

 だがその斬撃はテジャスの空いた手――の中空に出現した赤い本に遮られる。

 まるでそこに見えない壁があるかのように青いエーテルが火花を散らす。

「――タットヴァの写本か!」

 短剣を弾かれて体勢を崩したナユタが叫ぶ。

「!」

 ツイは持ち上げられたまま、その本を垣間見て驚愕する。

「その名で呼ぶな!」

 だがその言葉にテジャスは激昂し、ツイを横手にぶん投げる。ツイは河原に叩きつけられる。


「いいよ。じゃあ見せたげるよ。あたしが炎天と呼ばれる所以をさぁ!」

 そしてテジャスはその赤い本を左掌の上に浮かばせたまま、右掌を天に掲げる。

 赤い本はまるで意志を持っているかのように勝手に開き、頁が次々とめくられていく。

「くそっ! ここで目録を開く気かよ!」

 ナユタが悪態をつく。

「えっ!」

 叩きつけられて痛む身体を起き上がらせながら、ツイはその光景を見上げて絶句する。

 テジャスの右掌の上には巨大な火球が浮かび上がっている。竜の吐く火球すらも凌駕する大きさだった。


 そしてツイはそこで起こっている現象に驚く。

 大量のエーテルが集まり、因果を捻じ曲げてあそこに火球を生み出している。

 この世界は前世と違いエーテルに満ちた世界で、それを操作することで魔法技術として体系化している。先程竜の死体をエーテルキャットの補助なしで解本できたのも、この世界のエーテルが潤沢だからこそであった。


「それなら!」

 ツイは立ち上がり、両手をテジャスに向けてかざす。

「おいっ! 何する気だ!」

 まだ川の中にいるナユタがツイを見て叫ぶ。

「あはは! いいよ! 抗ってみなよ!」

 対してテジャスは心底楽しそうに笑う。

「川の水を使えば――くっ、でも書誌が足りない!」

 ツイは必死にエーテライズを起こそうとするが、思考が追いつかない。

 何しろ前世の記憶を思い出したばかりだ。割れるように頭が痛い。その状態でこの世界の構成元素に手を出すのは、あまりにも荷が重かった。


「ざんねーん! 時間切れ!」

 テジャスはかざした手を振り下げる。

 すると巨大な火球は肥大化するのを止め、ゆっくりとツイに向かって落ち始めた。


「くっ! バカが!」

 ナユタはツイの元に走り寄り、庇うように抱きつく。

「!」

 ツイは両手をかざしたまま、必死に守ろうとするナユタを見ずに、迫る火球を見上げながら、驚くほど冷静に今すべきことを理解した。全てのわだかまりが一気に晴れたようだった。


「こい! 聖典!」


 そして左手を大きく横に伸ばし、力を込めた。その掌の先には川辺に置いたままの鞄がある。

「なっ!」

 テジャスとナユタが同時にその言葉にはっとなる。


 鞄の中からツイの赤い本が飛び出し、ツイの伸ばした左手に向かって吸い込まれていく。

 そしてその掌の前の中空で停止すると本は開き、テジャスのものと同様に頁が一斉にめくられていく。

「ああ、そうか。この世界のエーテルはみんな距離が近いんだ。だから一つ転がせばどんどんぶつかって大きくなる――」

「おい!」

 ぶつぶつと何事か呟くツイに、ナユタは声を上げる。火球は既に目前まで迫ってきていた。

「あれもそう。エーテルによって加速した熱、増大した空気、そしてエーテル自体を燃やし因果を循環することで維持してる」

 ツイはこの一瞬でこの世界特有の物理現象の真髄を見極めんとしていた。

 だが残念ながら目の前の巨大な火球がどうやってその勢いを維持しているのかまでは読み取れなかった。おそらく少女の持つ本がそれに特化した書誌を持っているのだろう。途方もない研鑽の末辿り着いた秘奥なのは間違いない。


「だったら!」

 しかし対抗手段はすぐに思いついた。

 ツイは目の前で呆然としているナユタの胸をそっと押して離れると、川の方に手をかざし、目を閉ざして集中する。

 聞きたいことは山ほどあるが、今はこの状況を脱するのが先だ。

 川の水がうねりを上げて、まるで海の波のように飛び上がり、火球に押し寄せる。


「あはは、無駄だよ! あたしの火はアパスでも止めらんないんだから!」

 だが火球は全く勢いを減じられることなく、迫っていく。

 ツイはそれでも次々と川の水をけしかけ、打ち付けていく。

「だめだ! 効いてない!」

 ナユタもツイの意図がわからず声を上げる。


「――そろそろかな。あちっ!」

 ツイは川の水をけしかけるのを止めると、自らの掌を見つめる。

 そこには小さな黒い球体が浮かび上がっていた。

「加減がわかんない。もういいや!」

 そして考えるのをやめて、それを火球に向かって放り投げた。


「なにを――」

 テジャスがそれに気が付いた瞬間――


 辺りは閃光に包まれた。


 直後激しい爆発が起こり、その場にいた三人は吹き飛ばされた。


「けほっ! けほっ、やるじゃん!」

 いち早く立ち上がったテジャスが粉塵漂う中、声高に叫ぶ。

 放った火球はツイが投げた小さな黒球とぶつかり、相殺された。並大抵の火力でできることではない。相当高密度の何かをぶつけたのだけは確かだ。

 テジャスは久しぶりの手応えのある相手に身震いする。いつも手加減されている姉達相手ではこうはいかない。


「おいっ! だいじょうぶか?」

 次に立ち上がったナユタが後ろで伸びているツイを抱き起こす。

「あうう……反動までは考えてなかった……」

 ツイは横になったまま煙に巻かれた空を見上げて反省する。ナユタはそれを見て呆れる。


「でも一発止められただけじゃ全然だね! 次はどうかな!」

 テジャスはそう言うと再び右手を振り上げる。

 今度は空に先のよりは小さい火球がいくつも灯り、大きくなり始める。


「くっ! 逃げるぞ! 早く立て!」

 それを見上げたナユタがツイの手を引こうとする。

 だが、彼女の左手には赤い本が浮かんだまま、右手は空に掲げたままになっていることに気が付く。

「だいじょうぶ。もう準備はできたから」

 ツイは両手をそのままに、ゆっくりと立ち上がると、テジャスの方へ歩き出す。


「それが聖典だなんて信じない! あたしのが『本物』なんだからっ!」

 テジャスは叫びながら右手を大きく横に振り払う。

 無数の火球がツイに向かって降り注ぐ。先の火球よりもずっと早い。


結本リエル!」

 ツイは掲げた右掌をぎゅっと握りしめる。


 すると頭上の火球の炎がまるで蝋燭の火を吹き消すように次々と消え、水になり、そして雪となって砕け散っていく。


「えっ?」

 テジャスは何が起こったのか全くわからず混乱し、空を見上げる。砕けた雪は小さな結晶になってゆっくりと降り注ぐ。


「何が起こってるんだ……」

 ナユタもぽかんと口を開けて手の上に落ちた雪を見つめる。

「――川の水を使って辺りを凍らせたんだよ。温度を下げるのに熱を奪わないといけないからそれを取り除いて。さっき投げたのはそれ」

 ツイが赤い本を閉じながら説明する。

「はあ?」

 ナユタはそれを聞いても理解が追いつかず、唖然とする。

 そんな大魔法聞いたことがない。こんな少女にそんなことが可能とは思えなかった。彼女の持つ本にその秘密があるのだろうか。


「こんなの全部燃やしてやる!」

 テジャスは激昂して降り注ぐ雪をその手で払い除けようとする。

「あっ、だめ!」

 それを見たツイが慌てて静止する。

 テジャスが振り抜いた手の先から、おそらく炎を現出させようとした空間全てが凍りつき、それはそのまま彼女の腕にまで登っていく。

「なんなの!」

 テジャスは凍りついて動かなくなった腕の重みで、その場に膝をつく。

「いたっ! いたい! いたいぃっ!」

 そして腕の中の血液まで凍りつく激痛で床を転がり始める。


「魔法使っちゃだめ!」

 ツイはそんなテジャスの元に駆け付け、その凍りついた手に自らの手を当てる。

「な、なにを――」

 痛みで半泣きのテジャスは抵抗せずに大人しく受け入れた。その様子が非常に幼く見えたため、この子は魔女だが見た目通りまだ若いのかもしれないと、ツイは思った。

「だいじょうぶ。すぐ治すから」

 そして自らの手も凍りつき始めるのを厭わずに、目を瞑り必要な書誌を読んだ。

 目を開くと二人にまとわり付いていた氷は砕け散り、青いエーテルの粒子になって消えいていった。

「今、エーテライズすると全部エーテルに熱を吸われて凍っちゃうから」

 ツイはそっと手を離して立ち上がる。その掌は赤く腫れていた。

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