竜と魔女(2)
既に日は傾き、森の中を夜の帷が下りる。まだ燃える木々が闇を赤く照らし、川にその影がゆらめく。
「イスラ心配してるかな……」
ツイは町の方向を見ながら呟く。森が燃えているのはきっと町からも見えるはず。山火事が起こった場合はみな避難し、火が止むまで森には近づかないのが通例だ。だがもしかしたらイスラは心配して探しに来てしまうかもしれない。
二人は滝から少し離れた森の中で身を潜めていた。
竜も火を吐いた後は喉を冷やすために川に水を飲みにくるらしい。何もお腹の中に火を作り吐き出しているわけではなく、発火性の息を吐き、引火することで火の玉にするという。
「それも魔法だ。竜は生まれつき魔法が使える。空を飛んでるのだって魔法で補助しているからだ。翼だけじゃあんなでかい図体を浮かせることなんてできない」
「へえ」
ツイは少年が意外と博識なのに驚いた。魔法についてはツイも本でよく調べたつもりだったが、そんなことまでは知らなかった。
「お前だって魔女だろ?」
「!」
ツイは言われて初めて眼鏡をずっと外したままだったことに気が付いた。そして慌てて顔を背けると鞄の中から眼鏡を取り出そうとする。
「いいよいいよ。別に隠すようなことでもないだろ?」
「えっ?」
少年の反応にツイは面食らった。魔女は忌避されている。それが常識だと思っていた。
「だって俺は――しっ! くるぞ!」
少年は言いかけて、ツイを手で制止する。
見上げると、燃える森の明かりに照らされて夜空に黒い影が映っているのが見えた。
「でもどうやって……」
「さっき短剣を一本刺しただろ? あれはこの短剣をエーテルで複製したものだ。刺すことでエーテルに戻って対象の中に溶け込む。そしてこの短剣を刺して起動させれば、動きを封じることも殺すことも自由ってわけだ」
少年が得意げに短剣を手の中で回すのを見て、ツイは怖気を感じる。何事もないかのように殺すと言い放ったこの少年は、今まで一体どのように生きてきたのか知れなかった。
「さっき逃げたのはエーテルが全身に回る時間が欲しかったってわけ」
しかし同時にそんな魔法の武器が存在することにわくわくしてしまう自分もいた。
竜が川の中に降り立ち、大きな水飛沫が上がる。片目に刺さっていたはずの短剣はなく、その目をぎょろりと動かして辺りを見回していた。
「行ってくる。ここから出てくるなよ?」
少年は音もなく立ち上がり、外套のフードを深く被り、ゆっくりと歩き出した。
「……」
ツイはその表情に言葉を失う。まるで感情を感じさせない無表情で、だがその目はぎらりと輝き、まるで人間ではなく獲物を狙う野獣のようだった。
少年は竜の後ろから近づく。川辺の小石一つ動かさない足運びで、その姿を外套が闇夜に完全に同化させる。それも魔法のマントの効果なのかも知れない。
そして竜が川の水を飲むために首を突っ込んだ瞬間を狙って一気に近づき、短剣を最小限の動きで突き立てる。
こういった魔法が込められた道具――魔法具はあらかじめ魔法の起動式が道具に刻み込まれている。複雑な工程を飛ばして発動させることができるため重宝されている。値段も相応にお高くなるが。
「!」
だが短剣は竜の鱗に弾かれて、その切っ先を虚空へ散らす。
そしてまるで待ち構えていたかのように竜は首を川から上げ、尻尾を振り回す。
「ぐっ!」
少年はその尻尾を腹に食らい、川の上を水切り石のように跳ねて吹き飛ばされた。短剣も川の中に落ちてしまう。
「どうして!」
ツイは森の中から様子を見ながら思わず声を上げる。
少年の一撃は竜の鱗の隙間を正確に狙ったように見えた。しかし弾かれた。まるで竜の身体に触れる前に見えない壁に阻まれたように。
「……誘い込まれたのはこっちだったってことか」
少年は腹を手で押さえながら水の中から起き上がる。幸い攻撃が弾かれた瞬間、身を後ろに投げたことで直撃は避けられた。しかし短剣は落としてしまった。
竜は初めから二人が森の中に隠れているのに気が付いた上で、体表に魔法の膜のようなものを張って隙を見せたのだろう。飛び上がる時に羽根に込める魔法と同じ重力を反転させる魔法だ。
少年が竜との間に落ちた短剣を拾いに川の中を走り出すよりも早く、竜は少年に向かって迫り出した。その巨体に似合わない敏捷さだった。
それに気が付いた少年は踏み出す足を止め、踵を返して逆方向に走り出す。
「!」
そして一瞬ツイの方に目配せをした。
ツイはその意図にすぐに気が付いた。自分が囮になっている間に短剣を拾ってくれということだ。
ツイは森の中から飛び出し、川の方へ走り出した。
もちろん恐怖はあった。しかしそれ以上に少年を助けねばという気持ちが上回った。
しかしツイが姿を現した瞬間、既に少年の間近まで迫っていた竜はぐるりと首を回し、ツイを捕捉するとそのまま身体を反転させて、引き返し始めた。
「なっ! こいつ!」
一人で引き付けるならどうにかなると思っていた少年は虚を突かれ、愕然とする。
「どこっ!」
川の中に入ったツイは水面を凝視して短剣を探す。幸いまだ燃え続けている森の火のおかげで視界は悪くないが、なかなか見つけることができなかった。
ずっと水の中を注視していたため、竜が既に目前まで迫って来ていることに気が付いていない。
「あった!」
ようやく見つけ出し短剣を川の中から引き上げ、少年の方を振り返った瞬間、そこには竜が四足で立っていた。
「あっ……あ……」
ツイは短剣を両手で握りしめたまま、その場から動くことができなかった。少年のために飛び出す勇気はあった。だがいざ目の前に死の影が迫ると恐怖が上回った。
竜はツイをその巨大な目でぎょろりと見下ろすと、ゆっくりと口を開く。火を吐き出す予兆動作だった。その口から特有のすえた臭いが漂う。
「ふせろ!」
まさに火を吐き出す直前、少年の叫び声がツイの耳に届く。
「!」
ツイが無我夢中で川の中に身を沈めると、水中にまで重い轟音が響き、まるで誰かに首根っこを引っ掴まれたかのように押し流された。
「ぷはっ!……あっ!」
トワは上半身だけ水の中から起き上がると、目の前で起こっている光景に息を呑んだ。
竜がまるで雷で撃たれたかのように全身黒く焼け、煙が燻っている。
意識がないのか首をもたげたまま静止している。
そしてその竜の足元に右手を差し出し、押しつけたまま顔を伏せている少年がいた。
少年からも煙が燻っている。
「だいじょ――」
「まだだ!」
ツイが心配の声を上げるよりも早く、少年は顔を上げ、叫んだ。
その声に反応するように竜が低い唸り声を上げて、もたげた首をゆっくりと下ろす。
少年は自らの腕を短剣の代わりにして竜に触れ、竜の体内の充満するエーテルを爆発させた。しかしその反動をもろに受けた右手は黒く焼け焦げていた。
「いけ!」
そして少年は再び叫んだ。ツイにその短剣で止めを刺せと。
「うわああああ!」
ツイは立ち上がると、短剣を両手で握りしめ、腰の位置に構えて走り出した。
川の水に足を取られて進みは遅い。だが今ここでやらなければ少年は助からない。自分を守るために片腕を犠牲にした彼をここで失うことはできない。その強い気持ちが恐怖を上回った。
「こんのっ!」
竜が動き出し、振るうその腕の爪を掻い潜り、ツイは短剣を竜の胸に深々と突き刺した。
竜は苦しみもがき、両腕を振り回す。ツイは短剣を掴んだまま竜の身体に張り付くことでそれを避ける。
「上出来だ!」
少年は身を伏せ竜の前に回り込むと、庇うようにツイを焼けた右腕で抱き、短剣を掴むツイの手の上に自分の左手を重ねる。
「エーテライズするぞ!」
「!」
少年が力を込めた瞬間、ツイの身体の中を何かが駆け抜けた。
少年の手から放たれたエーテルがツイの手を通して短剣に伝わり、短剣の魔法が発動する。
竜は雷に打たれたかのように全身を中から焼かれ、煙と焦げ臭い匂いを放ちながら、ゆっくりとその身を崩した。
「ふう……上手くいった……」
少年は竜が完全に静止したことを確認すると、安堵し、川の上にばしゃりと尻餅をつく。
「……」
対してツイはまだその場に立ち尽くしたままだった。
「もう大丈夫だよ。よくやった」
労いの声をかける少年を無視して、ツイは静かに右手を上げると、朽ちた竜の胸に押し当てる。
「解本……」
ぽつりとその言葉を呟くと、触れた手から竜の身体が青白く光り輝き、エーテルの粒子へと分解されていく。
「なんだよ! 魔法使えるんじゃん! 俺の補助はいらなかったな!」
少年はその様を見て驚き、笑う。魔法具なしで魔法を起動するのは、魔術師でも早々できることではない。
「うん……全部思い出した。イツカくん!」
そしてツイはがばりと少年に抱きついた。
「なっ! どうした!」
少年は突然のことで面食らう。
「やっと見つけた! 思い出せた! もう! おそいよ! たいへんだったんだから!」
ツイは歓喜の表情で涙を流し、次々と罵倒の声を上げて、少年の背中をぽかぽかと叩き出す。
「ちょ、ちょいまて! どうした? どうした?」
対して少年は何事かとツイを左手でぐいと突き放す。
「えっ?」
ツイは我に返り、きょとんと川の中に尻餅をついたまま惚ける。
「イツカ? って誰だよ。俺の名はナユタ。人違いだぜ?」
「――え?」
ツイ――かつて彩咲トワだった少女と、ナユタと名乗る少年は、お互いぽかんと呆然としながら見つめ合っていた。
「お熱いところ悪いんだけどさあ」
不意に川辺から声が聞こえてきて、二人はぎょっとなって振り返る。
そこには燃える森を背後に照らされた一人の少女が立っていた。
真っ赤な長い縮れ毛に、赤いローブ姿、そして赤く煌めく瞳。
まごうことなき魔女だった。




