失念 ‐ウカツ‐ 参
叫ぶ声も、願いも。思いは通じず、望みは形にならず。
児亡き爺は恍惚とした顔で喜び、涎を垂らし、身を震わせ。何物にも代え難い、少女の絶叫悲鳴という最高級の美酒に酔い痴れる。
「さぁて、こうなれば貴様はどう動くのか。なぁ、獣娘? んひっひ、ひーっひっひ、いーっひっひっひっひっひゃ!」
気味の悪い笑い声を合図に、二匹が取り憑く人間が手にする物を握るのが強まり、腕に力がこもる。
友恵の父親はゴルフクラブを振り下ろし。母親は出刃包丁を振り上げる。
「くっ……!」
鉄製の棒と刃物。これらが生身の人間に当たればどうなるか、想像するに容易い。
猫又は迷う暇もなく。己の膝を曲げて強く地面を蹴った。
――――ドン。
大きな音と、弾け飛ぶ土。
地面の土は抉れ、足跡と言うには大きすぎる穴が出来ていた。
「依頼主である友恵の大切な両親……傷付けさせる訳にはいかんのっ」
友恵の父親と母親。その間に割って入り、凶器を持つ二人の手を掴む猫又。
互いの凶器は当たる数センチのところで止められ、既の所で両親が怪我をするのを防いだ。
「ね、猫又のお姉ちゃんっ!?」
猫又が地面を蹴った事で舞い上がった土煙が収まり、友恵はさっきまで隣に居た猫又が消えたのに驚く。しかも、一瞬で数十メートルもあった距離を詰めて、両親を助けていたのだ。
その人間離れの早業に、猫又が妖怪と解っていても驚愕してしまう。
「貴様等に好き勝手はさせん……!」
もう手を離すまいと、猫又は友恵の両親の手を掴む力を一層強める。
こうして手を掴んでいれば、児亡き爺と真っ暗返しに操られてもまた傷付けようとする事は出来ない。
「こうすれば二度と友恵の両親に手は出せんの」
「ギィギィ、ギィギィギィギィギィッ!」
「笑っていられるのも……」
目の前に敵がいて、自分が取り憑いた人間の動きを封じられている。
だというのに、真っ暗返しは笑う。面白おかしそうに、愉快痛快堪らない。そんな様子で。
「ぬっ!?」
真っ暗返しが操る友恵の母親は、今も出刃包丁を刺そうと手に力が入っている。
しかし、もう片方。児亡き爺が操る友恵の父親の方に、猫又は違和感を覚える。
母親はこんなにも力強く包丁を刺そうとしているのに対し、父親は力が込められておらず弱い。
いやそれどころか、むしろ――――。
「なん、とな……ッ!?」
友恵の父親が、猫又へと倒れ掛かってきたのだ。猫又は思わず受け止めると、完全に脱力しきって動く気配が無い。
さらには手にしていたゴルフクラブを手放し、地面に落としたのだ。
ここでようやく、猫又が気付いた。
「――――しまったッ!」
居なかった。見当たらなかったのだ。
友恵に取り憑いていた児亡き爺が。あの醜く汚らしい老人の姿が、消えていた。
姿だけじゃない。臭いも、妖気も。元から居なかったかのように、綺麗に消えて無くなっている。
だが、気付いてももう遅い。既に相手の策に猫又は嵌ってしまったのだから。
姿を消した児亡き爺の目論見に勘付き、直ぐ様友恵へと視線を向ける猫又。
「友恵ッ! そこから離れて逃げるんだのッ!」
「えっ? え……えっ?」
状況が解らず、急に言われても反応出来なく。
友恵は戸惑い狼狽え、公園の出口と猫又を交互に見やる。
「んっひ、ひーっひっひっひっひゃ! 今頃気付いても遅い遅い!」
姿見せず妖気を感じさせず。児亡き爺の声だけが不気味に聞こえ出す。
児亡き爺に抱いていた、未だ解決していなかった一つの疑問を。今の今まで忘れていた、失念していたと。猫又は自身の手落ちを恨む。
「小娘は頂いたぞい!」
「……えっ!?」
突如、友恵の目の前に現る児亡き爺。
何の前触れも、音も無く。何も無かった空間から小汚い老人の出現。
地面から飛び跳ね、文字通り友恵の目前。回避も逃避も、既に叶わず。
「いーひっひっひっひっひっひゃ!」
友恵へと襲い掛かるのを、猫又は見ているだけしか出来ず。
勝ち誇った児亡き爺の笑い声だけが、公園に木霊する。




