第103話:四本の大樹を結ぶ、空中回廊都市
夜明けの朝靄が晴れ渡るにつれて、原生林の天空に、かつて誰も見たことのない壮大な幾何学模様が姿を現しつつあった。
トントン、カンカン、ギィィィッ――
木槌が樫の木組みを打ち込み、鉄ノコギリが硬質な板を切り揃え、真鍮のボルトがガッチリと締め上げられていく。
主樹の天空デッキを中心に、四方へと伸びる空中回廊。
アルトがこの二日間、夜明けから日没まで全身全霊を注ぎ込んで進めてきた「天空回廊都市計画」の全貌が、春の光の中にくっきりと浮かび上がっていた。
足元は地上十五メートルの虚空。
新調した鹿革のモカシンで梁の上を踏みしめながら、アルトは麻縄と滑車を巧みに操り、最後の一枚となる床板を渡した。
樫の厚板を平らに敷き詰め、両端をホゾ組みで梁へと固定する。
金槌で楔を打ち込み、しっかりと体重を乗せて踏み鳴らしてみる。
ドス、ドス、と硬質で頼もしい足音が返ってきた。揺れもキシミも一切ない。
「よし……これで、すべての回廊が繋がったよ、シロ!」
アルトが額の汗を拭って笑いかけると、傍らで木材を運ぶ手伝いをしていたシロが、誇らしげに胸を張り、短く「ウォン!」と鳴いて応えた。
その白銀の毛並みには木屑がいくつもついていたが、相棒の瞳は達成感で輝いていた。
二人の眼前に広がるのは、自然の巨木群と人間の建築工学が完璧に調和した「天空の城」だった。
中心に聳えるのは、地下の世界樹機関と直結した、樹齢千年の「主樹」。
そしてその主樹を取り囲むように聳え立つ四本の巨木が、それぞれ強靭な吊り橋とスカイ・レールによって、網の目のように連結されていた。
建築構造の根幹を支えるのは、アルトが計算し尽くした「トラス構造式空中吊り橋」だ。
帝国軍の工作車両から回収した多重鋼線ケーブルを主索とし、そこに藤の蔓と麻ロープを撚り合わせた垂直のハンガーロープを等間隔で垂らしてある。
通路の側面には、三角形の木組みを連続させたトラス構造の手すりを設けることで、横風による橋のねじれや共振を完全に相殺した。
さらに、異なる大樹同士は風が吹くたびに微妙に異なる周期で揺れるため、橋の両端を完全に固定すると接合部が剪断破壊されてしまう。
そこでアルトは、橋の片側を「スライド式ローラー受台」とし、大樹の揺れに合わせて前後二十センチの伸縮を滑らかに逃がす「免震スライドジョイント」を組み込んでいた。
生木の成長を締め付けないよう、幹に接する支持具には松脂を含ませた樫の緩衝ブロックを挟み込み、樹皮の呼吸と導管の流れを一切阻害しない。
幅一・二メートル、手すりの高さ一メートル。
大人がすれ違うこともでき、何よりシロのような巨狼が全速力で駆け抜けてもビクともしない頑強さを誇っていた。
この空中都市は、五つの独立したブロックによって構成されている。
第一のブロックは、主樹の天辺に位置する【中央居住棟】。
アルトとシロが冬を越したあの愛着あるツリーハウスだ。
寝室、調理場、天体望遠鏡、そして防衛用の管制レバーが集中する、基地の心臓部。
床暖房用の温水パイプと、屋根に設けた雨水集水装置によって、いかなる天候でも快適な生活が保証されている。
第二のブロックは、東に三十五メートル離れたトチノキの【工作鍛冶棟】。
火を使う作業を主樹から完全に隔離するために新設された区画だ。
頑丈な枝の上に、厚さ十センチの耐火粘土と敷石を敷き詰め、その上に小型の炭火炉と金床を据え付けた。
地上の水車小屋から立ち上る回転動力を、空中トラス橋の下を通した「木製ベベルギア(傘歯車)と回転シャフト」によって立体的に引き込み、足踏みすることなく一定の風量を送り続ける自動送風鞴も設置済みだ。
さらに、動力砥石や小型木工旋盤まで稼働可能になっている。
ここならば、煙や火の粉が寝床に飛び散る心配もなく、思う存分に鉄の鍛造や兵器の改造に没頭できる。
第三のブロックは、西に四十メートル離れたシラ樫の【空中温室庭園】。
南向きの開けた枝の上に設けられた、採光性抜群の農業スペースだ。
床板の上に防水の白樺樹皮を敷き、その上に腐葉土とミミズを放った肥沃な黒土を盛り上げてある。
主樹の地下から汲み上げた温泉熱の余剰配管を引き込み、寒冷地特有の夜間の冷え込みを完全にシャットアウトする温室構造。
第四のブロックは、南のホオノキに築かれた【迎撃望遠塔】。
森の南側境界線――装甲列車が布陣する平原を一望できる最前線の防衛拠点だ。
装甲車の残骸から剥ぎ取った二十ミリ防弾鋼板を張り巡らせた防護胸壁の内側に、重力滑車バリスタの第二砲座と、先ほど完成した三連装自動銃座が据え付けられている。
二本の巨木から立体的な交差射撃を行えるため、侵入者に対する死角は完全に消滅していた。
そして第五のブロックが、北のミズナラの大樹に設けた【備蓄倉庫棟】。
北風が吹き抜ける最も涼しい環境を利用した、巨大な保存食庫だ。
雨よけの通風ルーバーを取り付けた燻製小屋、乾燥果実の多段棚、塩漬け肉の密封木樽、そして大量の木材や金属インゴットが整然と分類されて保管されている。
倉庫の中央には、スカイ・レールの貨物専用荷受台が直結し、重い物資であっても滑車一本で各棟へ軽々と輸送できるよう設計されていた。
「……信じられないな。一年前は、雨をしのぐ屋根すらなくて、濡れ鼠になって震えていたのに」
アルトは吊り橋の中央に立ち、手すりに手を添えて、眼下に広がる深緑の原生林を見渡した。
追放されたあの日。
濡れた地面に這いつくばり、泥水をすすりながら、ただ明日生きているかどうかも分からずに怯えていた無力な子供。
それが今や、自らの頭脳と技術で、地上十五メートルの天空に、いかなる軍隊の侵略をも拒絶する「自立した要塞都市」を築き上げたのだ。
ここには、豊かな水がある。
温かい火がある。
無尽蔵の食糧を生み出す工房があり、そして何より――命を預け合える唯一無二の相棒がいる。
シロがアルトの足元にそっと寄り添い、温かな体温を少年の脚に預けてきた。
アルトはしゃがみ込み、相棒の分厚い首筋を抱きしめた。
「ありがとう、シロ。君がいてくれたから、ここまで来られたんだ」
シロは目を細め、甘えるようにアルトの頬をざらりとした舌でひと舐めした。
二人は新設された回廊を歩いて巡った。
吊り橋を渡る足音は小気味よく、スカイ・レールの滑車に油を注し、各棟の接続部のボルトを一本一本締め直していく。
中央居住棟から工作鍛冶棟へ、工作鍛冶棟から空中温室へ。
大樹の梢を飛び交う小鳥たちと同じ視線で、風を浴びながら空中を移動する感覚は、筆舌に尽くしがたい解放感と高揚感に満ちていた。
だが、空中温室庭園の区画に足を踏み入れた時、アルトは足を止めた。
シラ樫の枝の上に築かれた広さ二十畳ほどの木造ドーム。
手入れされた黒土のベッドを見つめながら、少年は腕を組んで思案に暮れた。
土壌自体は、冬の間に準備を重ねてきた極上の配合だ。
大樹の根元の黒土に、小川の堆積シルト、籾殻燻炭、砕いた川貝のカルシウム粉末、そして冬の間にミミズたちが耕してくれた団粒構造の完熟堆肥を黄金比で混ぜ込んである。
床下には温泉の温水パイプが蛇行して埋設され、土の温度は常に春爛漫の摂氏二十度前後に維持されていた。
種を蒔けば、どんな植物でもすくすくと育つ土台は完成している。
「……暖房は温泉の熱で完璧だ。土の質もいい。でも、これだけじゃ足りないな」
春の原生林は、大樹の生い茂る葉によって、地表や中層テラスに届く日光の量がどうしても制限されてしまう。
木漏れ日の光量だけでは、光合成の速度に限界がある。
ましてや、帝国軍の列車巨砲が迫る今、二日や三日で薬草や食糧を急速に成長させ、防衛戦に必要な強壮薬や保存食を大量生産するためには――圧倒的な「光のエネルギー」が必要だった。
「光が足りないなら、集めればいいんだ」
アルトの脳裏に、鹵獲した帝国軍の通信機の中に眠っていた資材が閃いた。
電波通信とマナ中継のために使われていた、純度九十九パーセントの「無色透明な大型魔導水晶」。
あの上質な結晶を研磨し、幾何学的なプリズムレンズを削り出すことができれば――わずかな太陽光を十倍以上に集光し、温室の内部へ光のシャワーとして降り注がせることができるはずだ。
さらに、夜間であっても大樹のマナパルスを蓄光させて発光させれば、二十四時間絶え間なく植物を成長させる「不夜の常春温室」が実現できる。
「よし、シロ。次は光学レンズのクラフトだ!」
アルトは弾むような足取りで吊り橋を渡り、工作鍛冶棟へと向かった。
研磨皿、川砂、ダイヤモンド砥粉、そして真鍮のノギス。
天空都市の完成に満足することなく、少年の知性と情熱は、さらなる生命の奇跡を生み出す工学へと向かっていた。




