【2−12】 何、優雅に茶飲んでんのよ
身の丈に合わない恋愛をしたいだとか。
顔が良くて、家柄がいい人とか。
一目惚れしてしまったのだとか。
所詮、恋愛は、造作もない絵空事のようだと思っていた。
「好きです。俺と付き合ってください」
そんな捻りもなく、薄っぺらい甘言でもない。ただまっすぐに思いを伝えてくれる人。表や裏が入り混じる世界で、こんな人と一緒にいれたなら。
「……カさ……トモカさん?」
「あれ、ごめんなさい。アイリスさん」
トモカは、うたた寝をしていたようだ。気づくと、目の前の美貌の持ち主に呼ばれていた。トモカとアイリスは、プロムパーティーが終わるとともに馬車に乗って、東の国境へ向かっていた。理由は、アイリスを安全な場所へ逃がすためだ。
あと数日もすれば、ジェンセンドール国十大貴族の一つ。オクベスタ家は、国から制裁を受ける。そして、トモカは、既に社交界に関わっていないアイリスだけでも、助けようと、国王に父であるスカルノを引き連れて直談判した。すると、すぐに許可が降り、アイリスを隣国ウォーラルトへ逃がすことになった。
「本当に心から感謝を伝えますわ。家の制裁、そして、私にこんな寛大な処置をくださるなんて」
アイリスは、頭を下げる。
「ううん。感謝されるようなことは何もしていないわ。これは、私の気まぐれ。たまたま、あなたの境遇を哀れんで、手を回したら、たまたま、成功しただけ」
「ですが、この御恩は生涯忘れません。いつか、ミネルヴァ。いえ、あなたに恩を返せるよう、日々、精進してまいります」
「ちょっとなにそれ! 私は、あなたに自由に生きてほしいのに!」
「はい。あなたから貰った第二の人生。アイリーン・レムダッドを思う存分謳歌します」
アイリスは、亡命後。トモカの叔母、アルドワン家の遠縁。レムダッド家に養子として過ごすのである。中々、傍迷惑な状況だが、アイリーンの養父母となるレムダッド夫妻は、快い返事をくれた。
「ぜひ、うちでよろしければ。子どもの一人や二人どうってことないですよ」
「生まれたばかりの息子がおりますの。しっかり者のお姉さんができるなんて、喜ばしいことですわ」
トモカは、嬉しそうに頷いてくれる二人を思い出した。そして、アイリスに笑いかける。
「もし、何かあったら、いつでも相談してちょうだい」
「そんな迷惑をかけることなど二度と起こしませんわ。それより、あなたの方こそ、私に相談してくださいませ」
「え?」
トモカは、首を傾ける。
「私の方が殿方との駆け引きは得意かと」
アイリスは、ニコリと笑った。
「な、何を想像してるのかしら! 私、だって、か、懐柔くらいお手の物だわ」
トモカは、上手く口が回っていない。動揺しているのが、明らかだ。
「あら。では、たまに恋バナくらい聞かせてくださいませんか?」
「恋バナ……」
今度は、顔を真っ赤にしていく。アイリスは、初心なトモカを愛らしく眺めていた。すると、馬車が止まり、ドアがノックされる。
「お嬢様方、到着いたしました」
お付きの護衛が報告しに来た。
「もう着いちゃったの?」
「はい。アイリーンお嬢様、お乗り換えください」
「わかりました」
トモカとアイリスは、馬車から降りた。まだ夜も更けず、辺りは暗い。アイリスは、護衛から受け取った灰色のローブを纏う。アイリスは、ウォーラルト国からは、馬車を乗り換え、レムダッド家の屋敷へ向かう。
「元気でね。アイリスさん」
「えぇ、ありがとうございました。また会いましょう」
トモカとアイリスは、短い別れの挨拶を済ますと、それぞれの馬車に乗った。
これから新しい人生を歩むアイリスの瞳は、以前と違って活き活きとしていた。トモカは、そんな彼女の明るい未来を祈った。
* * *
ミネルヴァ家本邸。
トモカは、くたびれた顔で玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
すると、使用人がすぐに姿勢を正して、出迎える。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「お疲れ様です」
トモカは、落ち着く場所と認識したため、さらに、気が抜けて、今にも倒れてしまいそうだった。
「私、お風呂入りたい……」
トモカが蚊の鳴くような声でボソリと言うと、使用人の一人がキリッとした顔をした。
「もう湯は湧いております。どうぞ、お入りください」
「ほんとー? ありがとう」
トモカは、重たい体を必死に浴場まで動かした。
そして、一瞬でドレスを脱ぎ、湯船に飛び込んだ。
「ふー。最高」
程よい温度と、調法されたアロマの香り、ほんのり明るい灯。酷使された体には、極楽のような時間であった。すると、どんよりとしたトモカの頭の中は、段々と鮮明になってきた。
プロムパーティー。凛くんとダンス。任務完了。先輩すごくきれいだったなぁ。アイリスさんも楽しそうで良かった。そして、夜に光る、金の瞳。
トモカと凛は、付き合うことになった。凛から告白されて、トモカは一時間ほど夢ではないのかと、疑心暗鬼になっていた。が、パーティーが終わった別れ際、凛から手にキスを落とされ、トモカは、何も言えなくなってしまった。ただ、去っていく凛の背中を見つめながら、真っ赤になった顔を隠すように俯いた。
「ずるいなぁ……」
ふと、口に出た言葉は、誰にも届かなかった。
「ふふっ」
トモカは、ニマニマしながら過去に浸っていると、浴場の扉をノックする音が聞こえた。
「お嬢様、ご入浴中失礼します」
「どうしたの?」
「旦那様がお呼びです」
「え」
花色に染まっていた頭の中は、一瞬で、現実に引き戻された。
トモカは、急いで、寝間着に着替え、不機嫌そうに、スカルノの執務室へ向かった。
「失礼します。お父様?」
だが、部屋には書類仕事をしているスカルノの側近、バルトしかいなかった。
「おや、お嬢様。スカルノ様なら、寝室にいらっしゃると思いますよ」
「ありがとう、バルト」
トモカは、静かに執務室のドアを閉めると、口をへの字に曲げて、より不機嫌さを増して、スカルノの寝室へ向かった。
「お父様、失礼します」
部屋には、長い銀髪を流した美丈夫が優雅にハーブティーを嗜んでいた。その姿に、トモカはさらに怒りを覚える。
私の優雅な時間かっさらっておいて、自分は、何、のんびり茶飲んでるのよ! このやろう!
「すまないな。入浴中とは、知らなかった」
「あ、そう」
「どこでもいい、座りなさい」
「うん」
トモカは、睨みつけるようにスカルノの対面のソファにどかっと座る。
「ご苦労だった」
「はい……。ねぇ、お父様。これから話されることは、私のお風呂タイムを邪魔してまで大切なことなの?」
トモカが唸るような声でスカルノに尋ねた。スカルノは、ハーブティーを一口飲む。
「……」
そして、何も喋らない。
「いや、お父様に時間がないのは、わかるよ。いつも忙しいもの。確かに、普段、学業にしか励んでない私よりも、ずっと大変で疲れてるのは、わかってる。でもね、私、今日? 昨日? 頑張ったじゃん。だから、疲れたの。で、お風呂邪魔されて、呼び出されたら、なんか目の前で優雅にお茶飲んでるのね。それって、私の癪に障ってきちゃって、見ての通りすっごく不機嫌なんだぁ」
娘のイライラをこれ以上、増幅させまいとスカルノは思考を巡らすが、あいにく、最善案にはたどり着けなかった。そんな中、捻り出した言葉は、
「……ほんとにすまなかった」
だが、トモカも伊達に父のことをわかっていないので、これが父の精一杯なのだろうと、納得することにした。
「もういいよ。で、話したいことは?」
「トモカ。この長期休み、何か予定はあるか?」
「特にないけど……」
「では」
スカルノが、二枚の紙を取り出す。
「この資格を取りなさい」
スカルノが提示した資料には、「魔法法学試験」と「公認経済能力検定」と書かれてある。トモカは、風呂上がりだというのに、冷や汗をかき始める。
「な、なんで?」
「取っておくに越したことはないだろう。お前の取得資格は、魔法法学は、「上級の文」、経済の方は、中級で止まっているだろう」
スカルノは、さも当然といった様子で答えた。
魔法法学試験には、初級、中級、上級、特級の四段階がある。
一方、公認経済能力検定は、初級、中級、上級の三段階だ。
さらに、魔法法学の上級には、「文」「武」「冠」という三つの分野が存在する。
そして、そのすべてを修めた者だけが、特級の称号を得ることができる。
特級取得者は極めて希少であり、国からも重宝される存在だった。
「そうだけど、こういうのは大人になってからでも取れるし……」
「将来、何をしたいのかは決まっていないのだろう。それに、決まらなかったら、家の手伝いでもやればいいとでも考えているだろう。だがな、家の手伝いと言っても、このままだと「裏」はエレナが統括することになるはずだ」
「……」
「エレナは、お前を妹同然に思っている。お前を危険な仕事に関わらせるつもりはないだろう。となれば、お前に任せられるのは「表」の仕事が中心となる」
ミネルヴァ家の「表」と「裏」。
「表」は、一般的な貴族としての国家行事、会議への参加など正体を明らかにして表舞台で行動する役割。「裏」は、護衛とは違う、隠密。諜報など、秘密裏に事を進める役割。そして、現在、「裏」はユリカの姉であるエレナが取り仕切っている。
「……」
トモカは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「それに、万が一、当主に選ばれでもしたら、本格的に時間がなくなるぞ」
現在のミネルヴァ家当主は、トモカの父・スカルノである。そして、ミネルヴァ家では、必ずしも長子が投手になるわけではない。当主の選び方も少し変わっているのだ。トモカはさらに頭を抱える。
「うっ……で、でも」
「来年の夏は、お祖母様が大掛かりな旅行を企てている。あれは、ほぼ強制みたいなものだろう」
「そんな……」
トモカは次の夏の自由はないことを告げられた。トモカの頭には、あの軽快な笑い声が響いた。
「いいわ! 勉強しながら、遊んでやるもん! それで、試験も一発合格してやる!」
せっかくの夏。家に引きこもるなんて、もったいない!
やけに息巻いているトモカをスカルノは、ひとまず、応援することにした。
「そうか、頑張りなさい」
「うん! おやすみなさい」
そして、トモカはスカルノの寝室をあとにし、自室へ向かった。そして、ドアを開け、ベッドにダイブ。
「凛くんと遊びたいし」
そう呟いた瞬間、トモカは枕に顔を埋めた。
「……あー、楽しみ」
明日からの勉強のことなど、今はどうでもよくなった。




