「テチス海の提唱と大陸移動説前夜」
「テチス海」とは、なにか。
テチスという言葉もまた、地球収縮説とかかわりが深い。
テチスというのは、ギリシア神話における水の女神であり、Ocean、の語源となった、オケアノスの妻、テーテュースである。
妹なのに妻だという点には、いろいろ突っ込まないでおこう。
さて、テチス海をこう名付けたのは、ウィーン大学の地質学教授であったエデュアルド・ジュースである。当時、最も有力な地殻変動仮説は地球収縮説による、沈み込みと褶曲であった。
そしてのちにも述べるが、ジュースは大陸間の化石生物相の共通性を見抜いていた。
それにのっとり、ジュースはこれらの大陸は大規模な陸橋で繋がり、海底と大地は地球収縮による隆起と沈下によって激変したと考えた。そして、それらの“避難所”が各地にできていた、と考えた。後にその偉大な功績について述べるが、彼は今後も未来永劫、歴史に名を遺すであろう地学者である。
しかし――
19世紀というのは、恐ろしいものだ。
同時期、貧乏で学歴にも乏しかったにもかかわらず、どういうわけか万学に通じた天才がいた。進化論を独力で発見したことでも知られる、アルフレッド・ラッセル・ウォーレスである。彼は本当に何だったのだろうか、というくらいどこにでも首を突っ込み、しかもたいていの分野で才能を伸ばす人だ。生物、地学、政治、さらにはオカルトまで。しかし投資の才能だけは、壊滅的だったらしい。
またオカルティズムを極めたことで晩年は科学界から鼻つまみ者にされてしまった。
チャールズ・ダーウィンによる海洋島の観察は、それらが火山起源であり、大陸と島とは、本質的に異なるものであると示唆していたが、ダーウィンは賢明にも当時主流だった地球収縮説についてある程度の距離を置き、積極的な批判はしなかった。
しかし、ウォーレスは違った。
「Island life」および「海洋盆地の恒久性The Permanence of the Great Oceanic Basins.(1892)」において、盛大にケンカを売った。
彼は陸域と海洋の極端な水深差と面積差に着目した。「もしアフリカ大陸と同程度の陸地が、海洋に沈んだら」、と試算したが、ただ既存の大陸が水没するだけだった。
さらに深海底には風化や浸食がないにもかかわらず世界を通じてほとんど一定の深さであることや、多くの地域において地層には連続性があることからも、大地と陸との入れ替わりはありえず、常に安定していたはずだと主張した。
すると大陸移動説のないこの時代、必然的に「個々の大陸は常に同じ」という結論が出てきてしまうのだ。
そしてそれは、ウォーレスが信奉し、いまもウォーレス線としてその名を遺す「地理的隔離による生物進化」と極めて相性がよかった。
これは当時の科学界に激震をもたらした。
つまり、彼の見解がもし正しければ、地球収縮説も怪しくなり、陸橋など成立しえない。
さらにウォーレスはこんなことを書いた。
「私は、これらの事実と、それから論理的に導かれる結論は、大陸と大洋の入れ替わりを、地質学的または生物学的な個別の現象(例えば白亜紀の起源や、遠い地質時代における爬虫類や魚類の分布を説明するための陸橋の必要性など)を説明する手段として主張する人々に対する、極めて強力なア・プリオリの反論を成すと考える。このような巨大な変動を仮定して難問を断ち切る前に、我々は、ここで挙げた考慮事項や、多くの著名な地質学者・博物学者・物理学者たちが「大洋の恒久性」学説を保持するに至った膨大な事実群が、論理的に誤っているか、あるいは誤ったデータに基づいていることを示さねばならないだろう。」
むろん、「そうした人々」の対象には、ジュースが含まれていた。
ジュースは反論する必要に迫られる。
そんな反論論文「大洋の深さは恒久的か?Are Great Ocean Depths Permanent?(1893)」で、テチス海、という名が登場する。*
ジュースはテチス海の歴史を「地理学の歴史におけるもっとも魅力的な部分のひとつ」という。アルプスに中生代の深海性の放散虫が存在し、その後沈降を繰り返しながらもダイナミックにヨーロッパを作っていき、地中海にいたるテチス海の歴史について、彼は述べた。
そして、太平洋に至る地層が海に向かって褶曲していることからも彼が述べた考察は、こうだ。
海洋は地球収縮によって、深くなる。すると海はそこに向かって“落ちくぼんで”ゆき、海盆ができる。山脈は海底の沈降によって押し上げられることはない。このことは、地中海周辺のテチス海の沈降・離水史から見て取ることができる。
そして、もしかすると、この地球は全て巨大な海としてのパンサラッサに覆われており、それが地球の収縮に伴って深海と陸とが広がっていった可能性もありうる。といった内容を例外を認めたうえで論じた。
ジュースは、海洋のダイナミズムを、テチス海という証拠をもとに論じたのである。
結局、証拠としてはジュースのほうが強く、陸橋による生物移動やそれに繋がれた超大陸の存在は、20世紀後半に至るまで生き残り、そうした超大陸の名はいまも残っている。
さて、ジュースもウォーレスも、大陸の成因に関する数々の論争の中で軽視されがちではないかと思う。高等教育においてすら、名前が出てくるのは大陸移動説を提唱したウェゲナーだけだ。そして、その業績としてしばしば、実際にはジュースの功績が挙げられてしまう。
ウェゲナーによる大陸移動説は、「大陸そのものが移動する」と仮定することでジュースの先見的な動物相の共通性と、ウォーレスのいう大規模陸橋の成立不可能性を両立する、コペルニクス的転換だったといえる。
しかし、どうして大陸が動くのかは説明できず――地球収縮説をベースとした地向斜説は、20世紀後半までソ連をはじめとした東側諸国で主流であり続けた。
プレートテクトニクスが提唱されたのちも「大陸は動かない!」そう学会で主張する研究者は、20世紀末までいたのだとか。
ジュースの最大の功績は、2つにまとめられると思う。
1つは、アルプス、ヒマラヤ、チベット。これらがみな、かつては海の底にあったことを示したこと。
2つ目は、グロッソプテリスがアフリカ、南米、インドに見られることをはじめとして、太古の地球に生物学的まとまりがあり、それらはつながっていたのであろうと推測したことだ。(ウェゲナーの功績とよくいわれるがジュースだ。)ここまで登場したゴンドワナやローラシアといった古大陸の多くや、テチス海をはじめとしたさまざまな地名が、ジュースが提唱したものである。
ウォーレスは、大深度が一定であり、海洋と大陸には看過できないほどの標高差があり本質的に異質である、と考えた。これはいかにも、ウォーレスらしい先見の明がある。
プレートテクトニクスにおいては海洋が「ベルトコンベアー」のように入れ替わり、海洋プレートは大陸プレートに比べて極めて薄いことで大陸の移動を説明する。そして薄く重い海洋プレートと分厚く軽い大陸プレートがぶつかれば海洋プレートが下に沈むが、大陸プレート同士がぶつかれば山脈ができ、その間にあった堆積物はアルプスやヒマラヤといった巨大山脈で、褶曲の影響を受けた海洋堆積物として産出する。
よく知られた大陸移動説やプレートテクトニクスが提唱される前に、こんな議論があった――という話をしてきた。
では、実際に「古」テチス海を見ることとしよう。
*この文献はなぜか“Are Ocean Depths Permanent ?”と引用されることが多い。しかし原典を読むと冒頭にはAre Great Ocean Depths Permanent ?と書いてある。
――これを読んで、私は全て赤線を引いて、この章を消そうとも思った。
なぜなら目の前にあるのは、狭義のテチス海ではなく、その前身にあたる古テチス海だからだ。
しかしながら、テチスとは何かということを語らずして古「テチス」海を語るのは忍びなく、結局私は、その原稿を消すことは、できなかった。
これも注釈で処理することとしよう。
―注釈2―
厳密にはテチス海と古テチス海は同義ではなく、ジュースが述べたのはテチス海とパラテチス海である。古テチス海はペルム紀ごろからゴンドワナ北部より分離したキンメリアによって“仕切られ“、新しいテチス海へと置換されていった。
キンメリアというのもまた、ジュースが名付けたものだ。トルコ~東南アジア、つまりインドを覗いたユーラシア南部は、ざっくりとみると一つの塊に見え、これを指す。
――注釈2、終わり。――
書きあげてほっと息をつくと、古テチス海についての論考が、まだひたすらに、続いていた。
目下に映る古テチス海は、だんだんと、流れ去ろうとしている。




