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「東パンゲア、ことシベリア大陸、北中国諸島、南中国諸島」




アルフレッド・ウェゲナーによる、大陸移動説が唱えられたのは、1912年のことである。彼は大陸が実際に動いていることに関しては実証に近づけたものの、結局のところ何が大陸を動かしているかについて明確な答えを出すことはできなかった。

その状況が変わるのは、1960年にヘスによって、海洋底が拡大することが示されたためである。

海底は海嶺から生まれ、海溝に沈んでいく。


そして海底と陸とは、十数枚の独立した岩盤、プレートからなっている。

海底プレートは海嶺で生産され、海底は拡大し、海溝でベルトコンベアのように沈んでいく。

そして、大陸移動は海底に乗った陸がこの作用によって運ばれたことによる

――それが、プレートテクトニクス理論である。


深海の底と陸とは、じつはまったく、異なっている。

陸地には先カンブリア時代の岩が広汎に分布しているが、海洋底は常に新しい。

それは、プレートが沈み込み、ぶつかる際、より分厚くて軽い、主に花崗岩からなる陸地の地殻は“浮かんで”取り残され、重くて薄い、主に玄武岩からなる深海の地殻は沈み込んでしまうためだ。


海底プレートの寿命は、たったの2億年。

この、海半球全体を覆いつくす3億年前の深海底は、いまはどこにも残ってはいない。

まるで古典特撮で用いられたブルーバックみたいに、この青い星の半分以上が、跡形すらも残さなかった。


だから、私はこの大海を――海のアトランティス、とでも呼びたい。


この広大な深海に、どんな生き物がいて、どんな景観が広がっていたのか――それを知る材料はあまりにも乏しいのだ。

しかし、まったくもって何も残らなかった、というのには語弊がある。

石炭紀からペルム紀の海底は、人類にある、非常に大きな恩恵をもたらした。


石油だ。


石炭の次に用いられた化石燃料である石油は、おもに海底で堆積した有機物が高温高圧で変性して生じる。それに必要な堆積物の厚さは、なんと2~4キロメートル。

そう簡単に、堆積物はそんなに積もらない。

たしかにそのような、極端な堆積作用によってできた油田はあるが。

――しかし、海洋プレートが沈み込んだ時となると、話は別だ。

堆積物はわずかに「かんながけ」されたかのように陸側に堆積し、ときに十キロメートルを超える分厚い堆積層を作る。付加帯という。

そしてそこでは、かつての海洋で栄えた動植物の遺骸が変性し、石油となることもあった。

なお、日本列島はそのほとんどが付加体によってできている。さながら、パンサラッサ海底の「出っ張り」の集まりともいえる。


――引用終わり――


青い海半球を超えると、大地の東端が姿を現す。


まだパンゲアが完全に成立しているわけではないから、正確には、シベリア大陸と北中国諸島なのだが。


シベリア大陸は、オーストラリアと同程度の大きさを持つ、やや小柄な大陸である。


緯度としては、現在の日本やヨーロッパとほぼ同じ、40~60度、南北に細長い大陸だ。


その南方からは、現代で言うところの黒潮にあたる*、青黒く勢いのある暖流が北上する。


シベリア大陸の東にあたる沖合、当時の陸地の東端には、北中国諸島がある。




そして、この諸島の北側、およびシベリア大陸の北部には海氷を取り巻く周北極海流がある。


この配置のせいで、シベリア大陸南部を北上した暖流は北中国諸島南部で大きく偏向され、周北極海流の影響を受けて冷やされ、またパンサラッサへと向かっていく。


ここにはいわゆる、潮目の海**、ができているはずだ。


海洋生物のサンプリングには最適であろうことは疑いようもなく、そこには謎に包まれた海洋であるパンサラッサならではの、未知の海洋生物がうようよしていないわけがない。




そんな大陸東岸は、白く塗りつぶされていた。


濛々と、雲が沸いている。


大規模な前線が発達し、とくに大陸北部においては雪が、大地に薄化粧していた。




――北半球は、いま、真冬だ。


さらにこの星は現在、後期古生代氷河期の真っ只中、それも氷期のど真ん中である。


そのことを物語るように、亜熱帯地域にあたる緯度ですらも、山脈には細筆で線を描いたようにうっすらと雪をかぶっていた。化石に残るこの地域の植生が、距離的に近接した南中国のものとかなり異なるのは、これをみれば納得である。


亜熱帯といえど、寒いのだ。




バルチカ大陸はローレンチア大陸、アバロニア大陸と衝突して久しく、ユーラメリカ大陸を形成している。この衝突面に生じ、シルル紀からデボン紀にかけて発達したカレドニア山脈も、いまや削られてしまって、もはやかつての威容はない。


ユーラメリカの赤道直下には、緑のベルトが伸びている。


そこが――石炭を生んだ森なのだが、それについては後で論述することとする。




そんなユーラメリカに、シベリア大陸が激突しようとしている。


年に数センチという速度でありながら、浅海であるウラル海は縮小している。


そして石炭紀末にはウラル海が押しつぶされ、この海はウラル山脈へと姿を変えるのだ。


そんな、大陸衝突の現場は、シベリア大陸南部に見てとれる。


カザフスタン小大陸はシベリア大陸と衝突し、かつての海域を押しつぶした。


そしてそこが隆起し、モンゴルと中国の境目付近にあるアルタイ山脈が、いままさに形成進行中である。




――こうしてみると、ロシアの主要な山脈は、非常に古く、浅海の堆積物からなることがよくわかる。そして、それはたしかに、大陸衝突による圧縮を受けて捻じ曲げられ、山脈を作った。そして、巨大な堆積物は、石油を生み出すのに十分な堆積厚をもち、鉱産資源の探索にはきわめて都合がよく、研究はこうした古い山々に集中していた。


これを見れば、20世紀、ソビエトの学者たちが山脈の形成を、地向斜説で説明することに固執したのも、まあ地理的必然だったのかもしれない。




ここには、注釈が必要かもしれない、と思ってつらつらとタイピングを始めた。


――注釈――


地向斜説というのは…




こう書き進めて、やはり最初の勢いが大切だったな、などと思う。


では、本文に戻ろう。




さらにいえば、ヨーロッパとは、なにか。


ヨーロッパとはしばしば、「ウラル山脈より西」を指す。


ウラル山脈より西とは、古生代におけるユーラメリカ大陸のことであり、つまりシベリア大陸はヨーロッパではない。石炭紀末からペルム紀にかけてのウラル山脈の形成は、人類の定住圏や、さらには文化史の発展をも規定したのである。


16世紀、ロシアがまだモスクワ大公国と呼ばれていたころ、イェルマークがウラルを超えてシベリアを探検し、シビル・ハン国との戦争になった。当時のモスクワ大公であったイヴァン4世はツァーリを名乗り、その後紆余曲折あってロシア帝国と名前を変えていくことになる。その過程でシベリアはロシアに征服され、ヨーロッパの一部になる――ことはなかった。やはりウラルという壁は大きく、シベリアが国土の四分の三を占めるようになると、むしろロシアはヨーロッパとはみなされない、と周辺諸国からみなされることも増えていったのである。ロシア国内にしても、ロシアをヨーロッパに近づける、という意見と、いやロシアはヨーロッパでもアジアでもない特別な文明とするべきだ、という意見が対立し――そのまま、ソビエト連邦へと至ることとなった。




目を南にうつそう。中国南部は巨大な島々が並ぶ諸島となり、シベリア大陸、ユーラメリカ大陸(ヨーロッパ+北米)、ゴンドワナ大陸(南米+アフリカ+オーストラリア+南極+インド)とともに、赤道をまたぎながら古テチス海を抱き込んでいる。


そう、北中国はシベリア大陸のパンサラッサ側の沖合に、南中国はシベリア大陸の南に位置しているのだ。


中国の歴史もまた、大陸移動に大きく引き裂かれた、二面性を持つものである。


中国は、北の華北地塊と南の南中国地塊が、秦嶺–大別造山帯によって仕切られている。


この造山運動はここからおよそ1億年ほどのち、三畳紀に両者が激突して生じたものだ。


石炭紀の時点では、北と南の中国は、2つの小大陸、ないし諸島としてシベリアの東端と南端に位置している。


北と南の中国は、地学的に言えば、まったく異なる大陸であるといえよう。


さらに、その境界に発達した秦嶺–大別造山帯により、中国は南北に分断されている。


最も重要なこととして、この山脈は、中国を流れる2つの巨大河川、黄河流域と長江流域を隔てているのだ。


中華文明の起源とされる2つの古代文明、黄河文明と長江文明が、長らくまじりあわず独自の文化を保持したのは、この山脈と、そこを流れる河川の地理的条件に強く依存している。アワやキビといった畑作を中心とした北中国と、稲作を中心とした南中国では、人々の顔つきも異なっていたという。それは後天的な育ちの差ではなく、2つの大陸が激突してできた山脈により南北が分断され、それぞれに異なるルートでやってきた集団が定住したからである。***


歴史的には、「北」の中国が主に歴史をリードしてきたといえる。


しかし「南」の中国は、春秋戦国時代の楚や越、三国時代の呉と、分裂した際には必ず大勢力となった。そして「北」が遊牧民族に占領されるとしばしば南こそが中国となり、どちらかが残るか、もしくは征服したものを内側から変えることによって、中華は保たれ続けた。北の黄河と南の長江が2つで一つ、それに内陸部が加わる、という三国志的なフレキシブルさが、中華が最も長く続いた文明である理由ではなかろうか、と思ったりする。






ここまで書き終えて、ふと目下を見下ろす。


目下に映る石炭紀の地球は、1時間に14.5度、左から右へと回っている。****


いま目下に広がっているのは、エメラルドグリーンに縁どられた豊かな内海、古テチス海だ。




ちょうど、いま読み返している私の筆跡も、テチスへと向かっていた。






――注釈1――


地向斜説というのは、分厚い堆積物が積もったあとに地殻の圧縮を受けて地層が曲げられ(褶曲)、山脈ができるというのが、地向斜説である。地向斜説は、19世紀から20世紀まで支配的であり、20世紀後半になるとプレートテクトニクスにとってかわられるのだが――ソ連では厚さ10㎞を超える海成層がウラル山脈やアルタイ山脈を作っておりそこで多くの鉱産資源が産したため、地向斜説の説得力が非常に強かったのだ。さらにソ連は教育者を通じて西側諸国の一部、たとえば日本にも強い影響力を持っていたため、地向斜説は東側諸国を中心に20世紀末まで生き残ることとなる。これは、科学における一種の冷戦の産物であった。


――注釈終わり。――




*勿論黒潮ではないが、駆動力と成因はきわめて共通する点が多い。


**むろん、石炭紀版の潮目の海、である。


*** 大陸起源が違うから違う人々がいるのではない。大陸移動が作った山脈が障壁、人々の居住可能な場所は黄河と長江、という近接した2つの中心に集まったのだ。


****:ラグランジュ点L1を周回する超時空ゲートから投射された宇宙船は慣性航行しながら地球に向かっているため、15度ではなく14.5度となる。石炭紀の地球の自転が極度に違った、という意味で用いている数字ではない。*厳密には違うが後述する。




宇宙船は、まだ漂流を続けている。着陸までには、まだまる数日、かかる。



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