第四話 用語集
モスコビアン
石炭紀は前期石炭紀と後期石炭紀、後期石炭紀はバシキーリアン、モスコビアン、カシモビアン、グゼリアンに分けられる。
バシキーリアンおよびモスコビアンが石炭堆積の最盛期である。
カシモビアンになるとヨーロッパとアメリカのリンボク類の森は滅んだ。
そしてシダ種子植物やシダ植物を中心とする植生がカシモビアンとグゼリアンを特徴づける。
メガネウラの時代
主にグゼリアンとされる。つまり、リンボク類の森が滅んだ後の時代。
巨大昆虫の多くはカシモビアンとグゼリアンから知られている。
つまりリンボク類の森と巨大昆虫は時代が結構ずれている。
柱の森
リンボク類の森のこと。なぜそうなるかは第二話用語集参照。
アマゾン川をもしのぐ
そのように推定されることもあるが、匹敵する程度であったとする説も。アマゾンすごい。
東は北米イリノイ、西はウクライナのドネツ
大西洋がないので現在の距離感ではない。大西洋をまたいでアメリカとヨーロッパをくっつけたときに、イリノイからドネツまでということ。そこが当時の赤道付近で、熱帯収束帯に沿って熱帯雨林が発達し石炭が堆積した。
欧米が産業革命で有利だったのは、その上や付近に重要都市が発達していたからといえる。というか、欧米という概念自体が石炭紀の地理的範囲、ユーラメリカ(ヨーロッパとアメリカのくっついた超大陸であり、パンゲアの西北を構成する)を彷彿とさせるのは歴史の偶然であるにしても、あまりに必然的なように思えてしまう。
産業革命から宇宙開発
その通りで、産業革命から科学革命、そこから宇宙開発やAIにいたるまで、石炭の文明への寄与は甚だしい。現在でも発電や製鉄にと大活躍であるが、さすがにかつてほどではなくなってしまった。石炭採掘が下火になったので石炭紀からの化石産出も下火になってしまっているのは、とても残念である。
プラティソムス類
平たい原始的な条鰭魚類。石炭紀の代表的な、フナやタイに似た形の魚。こうした形の魚としてのパイオニアであり、のちに様々な魚がこのような形を踏襲していく。なお分類は混沌。
アンダリーリョ
ポルトガル語でさまよう者を意味する。
本作では、文明を捨て彷徨うように生活する狩猟採集民化した人々のことをこう、侮蔑的な意味をこめて呼んでいる。彼ら自身は森の人など、さまざまな意味の呼称を称するため、纏めて呼ぶためにこのような語を使わざるを得なかったのだろう。
火だけでなく電気すら
なんでも燃える酸素濃度30%の高湿度環境では、電気ですらショートで炎上する危険なものである。
30年
実はこの世界は植民開始から52年しかたっていない。本格的に人が住み始めた矢先、およそ30年前に大火がおき、首都が壊滅的な被害を受けたらしい。その際の流民が、森を彷徨うアンダリーリョの原型である。
これはアマゾン先住民がじつは古代文明の遺民だとする説がある状況とある種の類似性がある。300年後、彼らはどのような生活をしているだろうか。
火の恐怖に駆られた同時多発的な幻覚
ここでは集団PTSDに近いような文脈でとらえている。しかし、一意には定まらない、見方によって答えが変わるのが文系の性質である。
オオトンボ類
メガネウラなどを含むトンボと似て非なる昆虫たち。Meganisopteraのこと。ほぼ、原トンボ類Protodonataと似た範囲を指す。モスコビアンからの化石記録は翼開長30センチ程度までのものがほとんどであり、確かに大きいがメガネウラの半分に過ぎない。
scientificName
標本、観察データの標準交換形式であるダーウィンコアではこれが正しい。
自分の名前を付けてはいけない
2025年現在ICZNに自分の名前を献名してはならないという規則はないが、分類学者の間では有名な、極めて恥ずかしい行為とされている。
エンバートン
アリアの家の姓。Emberは残り火を意味する。残り火の、という意味だろう。なにか所以がありそうな姓である。
――補足。
アリアの立場はその名にも表れている。
火星での第一子の名前は家名を継がない方の親の姓+家名を継ぐほうの親の姓で構成され、第一子は家名を継がない方の親の姓を名として用いることになる。つまり第一子には「名前がない」。名がつくのは第二子以降である。これは一夫多妻や一妻多妻があたりまえの火星での婚姻事情を反映している。つまりアリア・エンバートンといったとき、両方が姓であるから、アリア家とエンバートン家の第一子の娘であり、かつエンバートン家を継ぐものである、ということがわかる。
さきにも述べたように火星では一夫多妻や一妻多妻があたりまえであるから、腹違いの兄弟姉妹が何人もいる可能性はあるし、両姓を継いでいるからといってその中での順位がどうなのかを必ずしも明示しない。ただし、第一子相続が基本形である火星社会においては、家督を継ぎうる立場であることが名前じたいに埋め込まれている。
ライトラ
ライトトラップの略。光を使って昆虫を集めること。
ルッキング
眼で見て生き物を探すこと。
ギラファノコギリクワガタ
最大のクワガタムシ。巨大クワガタの中では珍しく平地性の個体群もいる。かつては身近にみられたらしく、街路樹にすらいたという話を聞いたことがある。現地を訪れた際には集落の家などが点在するような場所のトラップにかかっており驚いた。他の大型種は山奥でみられるし、飼育にも低温管理を要するが、ギラファは特殊だと思う。
水おろち
正体不明の怪異。何か実在の生き物なのだろうか。
アカントテルソン
現在のアナスピデスに、発達した4本の腕と棘ないし、オオハサミムシのハサミのように巨大化した尾扇をつけた姿を思い浮かべるとこれになる。アナスピデスがそもそも知られていないが…。メゾンクリークから産出する節足動物の中ではごくごくよくみられる種である。
モケーレムベンベ、ネッシー
いつまでたっても見つからない未確認生物の名
ギンヤンマのヤゴ
ギンヤンマの幼虫のこと。尾の先がとがっていて、掴むとこれを刺すようにして攻撃してくる。ちょっと痛い。場合によって血が出ることすらある。でも、アカントテルソンの棘に比べればかわいいものだ。
飛んで火にいる夏の虫
日本の諺。
夕暮れ
一部のトンボは夕暮れに飛び回る習性がある。黄昏飛行といい、この時間以外はずっと寝ているのか、見つけるのも困難な種もまた多い。
朝方
夜明けが一番気温が下がるのでふつうは昆虫の活動が落ちる。しかし、巨大でオーバーヒートする恐れがある昆虫にとってはむしろ好機であり、まだ寒くて動けない昆虫のサラダバーになっているかもしれない。
*いっぽうでこの時代は、南半球の大部分を氷河が占める、氷河期でもある。
これが、次の時代のカシモビアンになると、気候はやや温暖になった。
しかし、ユーラメリカの熱帯雨林は縮小し、サバナ気候が多くを占めるようになった。*
そして、この地のリンボク類はシギラリアを除いて完全に絶滅してしまった。**
そして翅の長さが20㎝や30㎝になるような巨大”トンボ”が知られるようになるのは、このころ以降だった。たとえばメガネウラが知られているのは、カシモビアンのさらに次の時代、グゼリアン。
メガネウロプシスにいたってはペルム紀前期のアルティンスキアンだ。
他の巨大昆虫にしても、おおむねそういう傾向がみられる。
つまり、森を見てリンボク類が茂っている時点で、私はこう読み取った。
時代が違う。
ああいう真に巨大な昆虫はこの旅で見られるわけがない。***
脚注
*石炭紀においては、新生代氷河期とは逆に、乾燥化は温暖期とリンクし、氷期の海退によってできた巨大な湿地がユーラメリカに湿潤な熱帯雨林ベルトを形成したようである。
乾燥化の原因としては様々考えられるが、少なくとも単純な氷期の進行ではない。
この乾燥化とともに、大まかには気温は上昇トレンドであったようだ。
これを石炭紀の熱帯雨林崩壊(CRC)と呼ぶ人もいるが、この呼び名はあまり使われなくなってきた。段階的な植生交代イベントであり、CRC後に優占した植生はそれ以前にもやや乾燥した地域に存在していたことがわかってきている。つまり、湿潤植生の消失と乾燥植生の卓越、と捉えることができる。
湿潤植生の消失がどのように起こったのかには、さまざまな説がある。温暖化トレンドの中で起きた出来事ではあるが、最後に引き金を引いたのは急激かつ劇的な氷期-間氷期変動であったとする説もある。
しかし、それはいずれにせよ、石炭紀末からペルム紀前期の氷河期ピークとは無関係であった。時代も、温度変化のトレンドも異なり、まったく無関係であることを強調しておく。
ユーラメリカ熱帯域が温暖で乾燥した時代がしばらく続いたのち、後期石炭紀末期から前期ペルム紀にかけて再び、後期古生代氷河期のペルム紀前期ピークがやってくることとなる。
しかし石炭林は戻ってこなかった。それを構成するリンボク類はユーラメリカ熱帯域からすでに滅んでおり、赤道域の低地は大地の隆起によって失われつつあった。
**シギラリアを除くリンボク類はカシモビアン以降、石炭紀の終わりを待たずしてユーラメリカから完全に絶滅した。リンボク類に関しては、最終的に温暖化に伴う劇的かつ短期間の氷期-間氷期変動がとどめを刺したかもしれないが、どちらにせよ広大な湿地は最早残されていなかった。
いっぽうでアジア(カタイシア)においてはリンボク類が前期ペルム紀まで繫栄するが、それらユーラメリカに戻ってくることはなかった。
***
有名な石炭紀の巨大昆虫の多くはカシモビアン以降のものである。
メガネウラが産出するCommentry shaleはグゼリアンと考えられているが、カシモビアンと書いている場合もあるのでこのような台詞にした。
よく言われる”石炭紀の熱帯雨林崩壊(CRC)で巨大昆虫が絶滅した”という主張は事実無根である。メガネウラもプロトファスマもメガネウロプシスもそれより後の時代の生き物だし、アースロプレウラやヒベルトプテルスなどにしたって生き延びた。CRC以前に絶滅した巨大陸性節足動物といえばプルモノスコルピウスくらいだが、これにいたっては前期石炭紀からしか知られておらず、やはりCRCとは無縁だ。




