4.フリディンガー 6-p①
翌日、起床の目覚ましとなったのは、天井にあるスピーカーから流れる「蠣崎中尉、メディカルチェック異状なし、外出許可」という声だ。
昨日はミッションから帰還した後、まずは全身を隈なく洗浄されるいつもの行事を行い、メディカルチェックを受けて部屋に戻ると、すぐに報告書の作成に取り掛かった。
余計にバグズに向かって弾を撃ち込んでしまった分、書く量は増えたが、この仕事は”現地”に到着すると発砲許可だ。”本土”にいた時より圧倒的に、銃を撃つことに対する敷居が低い。少しだけの報告書で済み、薬莢を気にしない上に自由裁量が認められているのは、我々宇宙作戦軍の特権だろう。
その後は、部屋の中に用意されているPCで、これから負担になりそうな仕事を先に終わらせて、タブレット端末で読書をしていた。これが中々面白い小説を見つけてしまって、暫く読んでいたら就寝が随分と遅れてしまった。この結果が外出許可まで寝過ごすことに繋がっている。
それもこれも、この当直後にあるメディカルセンターでの生活が、普段4人部屋で過ごす我々が体験できる、唯一の個室生活だというのが悪い。様々な医療機器の音が鳴る、病室然としていた部屋ではあるが、一人に慣れる時間は貴重で、居心地が良すぎるのだ。ずっとカメラで監視されていても、姿が見えなければ気にすることも無くなった。
用意されているインスタントコーヒーを飲みながら、優雅に”退去”準備を終わらせて、メディカルセンターから出たのは、太平洋に陽が沈むと同時だった。空は徐々に明るい星たちが顔を出し始めていて、これからの時間が自分達の所有物であることを主張している。外出許可から1時間ほど遅れて外に出た事で、同じ分隊員たちと遭遇する事は無い、孤独な帰路だ。
自分の部屋に到着すると、今日の勤務と夕食を終えた他の隊員達が出迎えてくれた。どれも「おう、お疲れさん」などと軽い口調だが、これが男部屋に同階級の同じ年代が居る気楽さでもある。
「トレとラン、飯行って来まー」
「はーい」「てらー」「うーい」
都会にあるジムと同等かそれ以上の施設を持つトレーニングルームで鍛えた後、すっかり暗くなってしまった外を走り始める。
フロートの上にある施設はどれも高く、窓から漏れ出る光と街頭が星空を邪魔していた。潮の匂いを意識しなければ、ここが普通の都市の一部だと言われても納得できるような光景だ。
施設の間を通る道を抜けて、フロート外周のランコースへと向かう。周囲は7mの高い防潮堤があり、登らなければ海を見る事が出来ない。だが、同時に風も防いでくれるので、走るのに丁度良い道だった。
一歩ずつ加速して、ただ無心で走り続ける。お気に入りのR&Bを聞きながら走るこの瞬間は、良い事も悪い事も全てを忘れることのできる時間だ。
5kmを過ぎた頃だろうか、私の後ろから近づいて来る足音があるのに気付いた。いいペースで走り続けた自分に、追いついて来るような奴はそういない。そして足音の癖が一人の知り合いである事を伝えて来た。
「Hey!!」
後ろから聞こえる少し声の低い英語に、速度を緩めて徐々に息を整える。
「Yuki,What'up?」
「I'm good」
振り返りながら答えると、そこにはアメリカ宇宙軍のオスカー・ラッセル大尉が、息を上げながら腰に手を当てて立っていた。
180cmに近い身長と、軍人らしい腕の太さが服の上から分かる。ダークブラウンの髪が街灯で照らされ昼間より少し明るく見え、青色の瞳は夜のせいか、いつもより彩度が落ち着いた印象を受けた。俳優のようにも見える顔立ちも、顔を歪めて息を整える今は見る影がない。
「久しぶりだね」
相変わらずの教科書通りの聞き取りやすい英語に、低い声が相まって教材になれそうだ。訛りが強い英語が苦手な自分にはありがたい。
「ラッセル大尉こそ、お元気そうで」
「元気そうに見えるか?もう30過ぎて年齢を感じてるよ」
「その割には、走っている私に追いついて来るじゃないですか」
「全力だからな」
オスカー・ラッセル大尉との最初の出会いは、自分がポイント・ネモに到着して1カ月程の時、ランニング中に追い越したら、追い越し返されたことで始まった、くだらない競争だった。当初10kmで終わる予定のランが、ハーフマラソンになってしまった後に喋りながら帰った時以来、時々このランニングコースで出会っては、最近の出来事を話している。
あの時のラッセルの年齢を、もうすぐ追い付くことに感慨を覚えていると、ラッセル大尉は上がった息が落ち着いたのか、歩きながら話そうとジェスチャーして歩き始めた。
「ユキは、最近どうなんだ?」
「この前のミッションは、バグズだらけになってきつかったよ」
「バグズは無理か?」
「あぁ、そもそも足が多い生物は無理だね」
お互いにミッションの詳細は機密上話さないが、ある程度ぼかして愚痴を話すことで少し発散できるものがある。
「足がないのもクソだよ」
「なんかあったのか?」
「……あぁ」
困ったように頭を横に振るラッセル大尉は、どこまで話して良いものか悩んでいる様子だった。
「もう5日前の話になるんだが……」
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本土:ポイント・ネモで生活する者達の日本本土の呼称。
部屋:階級上は士官であっても個室を割り当てられていないが、限られたスペースをしかないフロートの上での生活では、左官以上までの我慢だ。
はじめまして。都津 稜太郎と申します!
再訪の方々、また来てくださり感謝です!
今後とも拙著を、どうぞよろしくお願い致します。