奔走編 辺境の街⑤
翌朝、北の辺境の冷たい空気に包まれてエルは目を覚ました。
降雪はまだ訪れないが、窓を叩く風は強く、暖炉には部屋を温める為の火が入り、そう遠くないうちにこの地を覆う辛く長い冬の訪れを予感させる。
室内だと言うのに吐く息は白い。此処での暮らしの厳しさを比較的温暖な気候である王都生まれのエルに告げた。
「おはようございますエル様」
「おはようセラフィナ、みんなは?」
長旅の疲れからかどうやら寝坊したらしい。
すでに仲間の姿は家の中にはセラフィナしかなかった。
セラフィナは家事を手伝っているのだろう、昨夜大量に料理の並んでいたテーブルの上を拭いている。
「レオン様はガラハッド辺境伯と共に騎士団に向かいました。カイル様は先程までいらっしゃったのですが自室に戻っております。エリザベート様は勉強をなさるとおっしゃって机に向かわれております」
「セラフィナは奥様のお手伝いをしているのね。私も手伝った方が良いかしら」
エルの家事のセンスはお世辞にも褒められたものではない。
公爵令嬢なのであたりまえだが、料理を作ると口にしたものは屍のようになり、掃除をすると箒を折る。洗濯をすると必ず服のどこかに穴が開くレベルだ。
それを旅の中で知るセラフィナは、何も言わずに無言でやり過ごした。
やるなとは彼女は言わないだろう。だがやれとも絶対言わない。それが彼女の優しさである。
「エルちゃんおはようね、よく眠れた?朝ごはん、キッチンの鍋にスープがあるから勝手によそって食べてね。アタシちょっと街で買い物があるから、じゃあセラフィナちゃん同行お願いね」
「はい。エル様、わたくしカイル様のお母様のお買い物にお付き合いすることになりました。申し訳ございませんがしばし留守にさせていただきますわ」
「あら、そうなの。はい。じゃあお言葉に甘えて奥様、いただきます」
すっかり辺境伯夫人に気に入られたセラフィナは夫人についていった。
息子の嫁を見つけたと言わんばかりにセラフィナをいつのまにか従えさせていた夫人の手際の良さにはほんの少しだけエルは引いた。
「あ、エルちょうどよかった。オレ学園を辞めた時の勢いで生徒名簿をもってきちまったんだけど、これ見るか?」
夫人の作ってくれたあたたかい塩味のスープを食べていると、部屋に戻ったと聞いていたカイルが紙の束を持ってきた来た。
言葉通りにその紙の束には、エルにとっては忌々しき学園の校証が印刷されている。
「それ、個人情報の流出じゃない?私も見ていいの?」
「いんじゃね、オレ元生徒会役員だし」
正式にはアルフォンスの使いパシリだったけどなと付け加えてカイルは名簿を開いた。
最初のページには王太子のアルフォンスが、次いで筆頭公爵家のヴィンセント、おなじく公爵家のエスメラルダ、マクシミリアンと名簿は家柄の爵位の順に並んでいく。
「ソフィア・オベロン……あいつ、旧都出身なのね」
生徒名簿の半分くらいで、エルは宿敵のひとりの名前を見つけて手を止めた。
リリエッタの背後で囁く黒幕だ。
エルを「計画の邪魔」と言い、追放へと至る冤罪事件を仕立て上げた張本人だ。
そんなソフィアのページには旧都出身、オベロン伯爵家、養子と表記されている。
「へぇ、養子なのか……」
「連れ子とかかしら?後継がいなくても子女を養子にするなんて珍しいし」
養父のオベロン伯爵も、母親と思われるオベロン伯夫人も既に鬼籍、ソフィアの家族欄は空白だ。
「家族がいないのも気になるけどなぜソフィアは旧都からわざわざ王都の学園にきたのかしら。旧都だって王立の学園はあるはずよ」
「そう言われると妙だな。オレみたいにアルフォンスの幼馴染として王家から推薦されたってわけでもねぇだろうし」
カイルも辺境から王都にきている異端組ではある。
彼が北の辺境であるこの街から遠い王都の学園へ来ていたのはそれが理由だったらしい。
他の生徒の出身は、概ね王都か王都近郊の都市の名前が記入されている。旧都からの入学はソフィアともう一人の女子生徒だけだ。
「ミルリーゼ・ブラン。この子は確かブラン子爵家の令嬢ね。確かブラン商会の店舗を王都に作るタイミングで上京したはずよ」
「エルすげえな、全員覚えてんのか?」
「当たり前じゃない。これでも私、元王太子の婚約者だったのよ。学園の同級生の名前くらいは全員覚えているわ、もし仮に王妃になった時、一度会ったことのある国賓に『あなたは誰?』なんて聞けないもの」
エルは自信満々にカイルに答えた。
カイルは気まずそうに頭を掻く。
「でも私の記憶が正しければミルリーゼ・ブランという生徒は去年突然学園から姿を消しているのよ。失踪したという噂もあるけれどまだ学園に籍は残っていたのね」
「ソフィアと同じ街から来たやつが失踪ね。案外何か知ってるかもしれないぜ、ソフィアの過去とか」
エルの復讐相手のリリエッタ、アルフォンスに比べてソフィアは謎が多い。
もし彼女の秘密を知ることができたらエルの復讐の鍵になるかもしれない。
「……ねぇ、次の旅で旧都に行ってみるのもアリじゃない?」
エルはもう一度、ミルリーゼのページを見ながら静かに尋ねた。
カイルは静かに頷くと同じページを眺めた。
ミルリーゼちゃんを探そう




