第38夜 黄昏
「反町さん!!」
貯水槽の横で待機していた逆井が突如現れた反町と明里に駆け寄る。
「うっうぅ…」
反町に意識が戻る。
「逆井…あの子達は…?」
反町は横たわった上体を起こそうとするが、身体が動かない。
「反町さん、無理しないでください!
彼女達は三者と一緒に署に居ます。
白石明里を保護したんですね!?
良かった…本当に良かった。
今救急隊に連絡をー」
逆井のスマホを持つ手を静止する。
「待て逆井…まだ漆原染一が戻っていない。
俺は彼を迎えに行く…うっ…」
反町の背中に激痛が走る。
「反町さん、俺が行きます!
ここに居て下さい!」
逆井は貯水槽の梯子に手をかける。
「ゲホッゲホッ………」
明里が目を覚ました。
ザブンッ!
……………。
「…あれ!?行けない!?何で!?」
逆井の声が貯水槽に反響する。
「漆原くん…」
覚醒したての明里も貯水槽へと歩みを進める。
「ちくしょー!出れないじゃないか!
反町さーん!」
逆井が叫ぶ。
明里が貯水槽の上へと辿り着き、状況を察する。
「閉じてる…どうして…?」
貯水槽には先ほど飛び込んだ逆井が居るだけで、その水面に団地の景色は映されていない。
「あっ、君明里ちゃん?助かった!
ちょっと引き上げてくれないかな?」
「すみません。私…早く行かなくちゃ。
今救急車呼びますからそれまで待っててください!」
貯水槽の人物が誰だがわからないが、感覚的に敵では無い事はわかる。
明里は電話をかけると、場所と状況を伝えてその場を離れた。
"「反界に入る手段は大きく分けて2つある。
1つは白石さん達のように招かれる事。
そしてもう1つは鏡を見つける事。」"
明里は漆原の言葉を思い出しながら建物へと向かう。
1階の部屋部屋を捜索するが、当時の火災により燃え尽きたのか、鏡の類は一切見当たらない。
2階へと向かう。
201〜204号室までを捜索したが同じく無い。
205号室…
明里は邪気を感じながらも、歩みを進める。
扉を開けると、そこは真っ黒に焦げた廊下…
明里は恐る恐る歩みを進める。
ギイッ
火災によるダメージと、経年による老朽化で床は今にも抜け落ちそうだ。
リビング手前の部屋へと入る。
凄まじい悪臭が鼻を突くのを必死に堪え、押入れを開ける。
…キャラクター物の手鏡を見付けた。
鏡面には轟々と燃え盛る団地の様子。
「あった!!」
明里は鏡面に手を差し伸ばす。
すると鏡面からは真っ赤な手が現れ、明里を引き込んだ。
「キャアアアアアア!!」
明里は燃え盛る部屋に投げ出される。
「繭子、逃がさないよぉぉぉおおおおお!!」
先程反町と明里を襲った化物が再び明里に襲いかかる!
明里は既の所でそれを躱すが、周囲には炎が燃え盛り、逃げ場は無い。
次の瞬間
炎の色が黒く変わり、一瞬で跡形もなく消えていった。
明里は隙を突いて部屋を飛び出す。
「漆原くん!!」
「繭子ぉぉぉお!待てぇぇえええ!」
化物が追ってくる。
2階の角部屋から中庭へ向かう途中、各部屋の中から声が聞こえてきていた。
「助けて」
「怖いよ」
「熱い」
「出してくれ」
明里はその声達を振り切り、中庭へ出る。
「漆原くん!!」
中庭には倒れている漆原と、徐々に距離を近付ける繭子。
漆原に意識は無い。
繭子が明里の方に向き直り、迫りくる。
明里はまたもや恐怖で動けない。
全身の筋肉が硬直する。
(ああ、私はここで死んでしまうんだ…)
迫り来る繭子から目を離せぬまま、"死"が明里の頭をよぎる。
刹那
"大切なのは何年生きたかではなく、生きている間に何をしたかだ。"
いつかの無有の言葉を思い出す。
「そうだ…。死ぬのは怖くない!!
大切なのは生きている間に何をするか!!」
明里は金縛りが解けたように漆原に向かって走り出す。
目前には嗤う繭子。
繭子が明里に襲いかかる寸前
その表情からは笑みが消え、動きが止まる。
明里は繭子を通り過ぎ、漆原に駆け寄る。
繭子が止まった理由…エントランスからは肌が赤から黒へ変色し始めている化物が現れた。
「繭子…お前ぇぇ、母さんに何て事を!!」
化物が繭子に襲いかかり、応戦する。
繭子の髪の毛に縛り上げられ、宙に浮かぶ化物。
しかし化物の右手はとてつもない力で繭子の首を掴んでいる。
「殺してやる!殺してやる!殺してやる!」
化物が叫んでいる。
「漆原くん!漆原くん!」
明里の呼びかけに全く反応がない漆原。
その左手はぐちゃぐちゃに砕け、腹からは大量の血を流し、吐血も見られる。
漆原は誰の目から見ても、もう動かない様子。
明里が漆原を担ごうとする。
しかし非力な明里では漆原を2階まで運ぶ事はおろか、この場所から動く事もできない。
「漆原くん!目を覚まして!!」
明里が漆原の頭を抱え、必死に叫ぶ。
後方では繭子と化物の闘いに終止符が打たれる。
化物は繭子に首を切り裂かれ、掴まれていた髪の毛の中に吸い込まれていった。
「繭子ぉぉぉおおおおお!!」
化け物の断末魔が消えた。
繭子は明里と漆原に向き直る。
1歩、1歩とゆっくり近付いてくる。
絶体絶命の状況
明里は大粒の涙を流しながら漆原の頭を抱える。
「漆原くん、漆原くん…
今までいっぱい助けてくれた…
こんな事になって…うっ、うっ、本当にごめん。
…うっ、うっ、ぐすっ…
今度は私が助ける…
漆原くんを絶対死なせはしない!!」
《オン コロコロ センダリマトウギ ソワカ!!》
明里の詠唱と共に眩い光が2人を中心に輝き出す。
一瞬怯む繭子。
が、次の瞬間
すぐさま2人の下へ移動し、長い髪の毛を振り乱しながら明里に襲いかかる。
明里の五体に髪の毛が絡み付く。
「ツキ…ノ…カミ…マ…
シア………ニ…ナ…」
明里の心の中に哀しみの感情が流れ込んでくる。
深い、深い、哀しみの感情。
明里が繭子に取り込まれるー
《星陰裂破》
明里に絡み付く繭子の髪の毛が黒い刃に切り裂かれた。
「白石さん、よく頑張った。
ありがとう…。」
そこには印を結んだ漆原が立っていた。
「ゲホッ、ゲホッ…
漆原くん!」
「早くこっちへ来るんだ!」
漆原がフェンスの方へと明里を誘導する。
《護芒結界》
明里と漆原を五芒星が包み込む。
その瞬間繭子の髪の毛が結界を縛り上げる。
パリンッ!
結界が砕けた。
漆原が足で地面をこする。
「繭子ぉぉお!これで終わりだ!!
《五芒大星陰縛界》」
漆原の詠唱で敷地全体に光を放つ五芒星が出現した。
その五芒星は繭敷地全体を囲み、内部では幾重にも重ねられた小さい五芒星が繭子を縛り上げている。
「ゴポッ…」
漆原の口から鮮血が溢れ出す。
「漆原くん!?」
明里が漆原を抱える。
「そのばば捕ばってろ!!」
漆原が血塗れで叫びながら地面に印を向けると、五芒星が立体的に出現し、2人の身体を205号室のベランダまで運び込んだ。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ…
んむっ…
白石さん鏡はどこだ!?」
右手で口を拭った漆原が出入り口の在りかを問う。
「こっちよ!!」
明里はリビングを出たすぐ横の部屋に漆原を誘導する。
中にはキャラクター物の手鏡。
しかしそこに映るのは明里の顔のみ。
「何で…?向こうの世界が見えない!!」
明里が絶望する。
「クソガキが…小細工しやがって。
白石さん、鏡をこっちに向けて!」
《陰陽境解》
漆原の詠唱に呼応し、手鏡が光を放つ。
「白石さん、飛び込め!!」
しかし明里は漆原を先に行かせようと、一瞬躊躇する。
「馬鹿!早く行け!!!!」
漆原が叫ぶ。
その瞬間
廊下の暗闇から無数の手が伸び、漆原の身体を掴む。
引きずられそうになる漆原。
明里も反対方向から負けじと漆原の手を引く。
ドンッ!ドカーンッ!
中庭の方から衝撃音が聞こえる。
繭子が結界を破壊すべく攻撃を与えているのだ。
「置いてかないで」
「助けて」
「熱いよ」
「ねえ」
「死ぬ」
無数の手から声が聞こえる。
「手を離せ!早く行けっつってんだよ!!」
漆原が明里の手を解こうとする。
「嫌だ!!!絶対離さないぃぃぃっ!」
明里は必死に漆原の手を引く。
「明里、しっかり手を握ってなさい。」
ふと明里の耳元に声が聞こえた。
それは以前、明里を貯水槽へと導いた声。
「おい!白石!このままじゃ巻き添えだ!
早く離せ!」
漆原の身体が引きずられていく。
しかし明里は先ほどの声に従い、漆原の手を力強く掴見続ける。
パアアアアアアアアアアアアアアアアッ
廊下から突如眩い光が発生し、無数の手が漆原の身体を離れた。
その反動で明里と漆原は手鏡の中へと吸い込まれてく。
ドンッ!!
……………
2人が着地した先は205号室ではなく、まだ夏の暑さの残る中庭だった。
漆原は全身に激痛が走り、起き上がれない様子。
明里も意識が朦朧とし、やっとの思いでふらふらと漆原に近付く。
「染一!明里!」
何だか懐かしい声がする。
「無有…ちゃん…」
薄れゆく意識の中、明里は漆原に覆い被さるように倒れた。
漆原もまた気を失う…
辺りは夕暮れに包まれている。
黄昏に染まる美しい空は、激闘を終えた明里と漆原を暖かく包み込むかのように、いつまでもいつまでも、柔らかい橙色の光を放ち続けていた。
陰to陽ー黄昏編ー 【完】




